史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

坂戸 Ⅲ

2021年11月13日 | 埼玉県

(大智寺)

 坂戸市石井の大智寺は広い境内を持つ寺院である。本堂は教会のような建物である。広い墓地の一番片隅に井上淑蔭(よしかげ)の墓がある。

 雨は降ってくるし、蚊の攻撃は容赦なく、極めてストレスフルな掃苔となった。井上淑蔭の墓の写真を撮り終えたら、逃げるようにしてこの場を立ち去ったが、それでも両腕、両脚を無数に蚊に噛まれてしまった。

 

大智寺

 

智性院権中教正顕徳泰譲居士

(井上淑蔭の墓)

 

 井上淑蔭は、文化元年(1804)の生まれ。文化十三年(1816)、十三歳のとき、比企郡中山村の小松庵鈴木氏の門に入り、十七歳で江戸に出て清水浜臣に入門。林信海とも親交があった。二十四歳のとき、「隠郷談」をかき、のち清河八郎門に入って尊王攘夷論者となった。西川練造、桜国輔らと活躍した。しかし、契沖(1640~1701)の著わした「古今余材抄」を読んで、考証・考古学者に転じた。明治二年(1869)、新政府に出仕し、大学中助教、明経・文章両局兼開校御用、二年後辞官し郷里石井に閉居した。権中教正まで上がった。明治十九年(1804)、八十三歳にて没。

 

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