(大塩湖)
大塩湖
大塩湖は、富岡市でも南の方(つまり甘楽町寄り)にある。野鳥が集まることでも知られているらしく、カメラを持って歩いていると、地元の方から「今、珍しい鳥がいたらしいですが、撮れましたか」と聞かれたが、端から鳥に興味のない私は、何のことかわからなくて聞き直してようやく理解した。
詠田家春興(新居守村の碑)
湖の周辺は「いしぶみの丘」と呼ばれている。ふるさと創生事業の一環として、富岡市にゆかりの深い文化人の碑を建立し、その功績を顕彰している。ほとんど知らない人ばかりだが、私の目当ては、新居守村の碑である。
新居守村は、文化五年(1808)の生まれ。父は、小幡藩用達頭役新居又左衛門秋住。父の影響もあって学問を志し、国学者本居宣長らの著書を精読した。天保十年(1839)、京都の東条義門の門弟となり、義門の著わした「活語指南」を江戸芝神明の岡田屋嘉七より出版。江戸において国学者として活躍した。皇典学に通じ、勤王の思想を指導し、その普及に努めた。慶應三年(1867)、神祇伯白川家より学士職を授与され、明治元年(1868)十一月、岩鼻県社寺掛として群馬県内の神社史の調査研究に当り、翌明治二年(1869)十一月、大学中助教となり、のち上野国一の宮貫前神社や甘楽郡笹森稲荷神社の社掌を勤め、皇典講究所委員を兼ねた。明治二十六年(1893)、年八十六で没。
生地である高瀬村(現・富岡市)には新居守村の墓があるらしいが、場所が特定できない。御存知の方、情報を求む。
有り難うございます。
新村守村の墓の場所が分かりましたら、ご教示ください。
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