史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

金山

2013年06月07日 | 福島県
(横田)


山ノ内家之墓
(山之内大学墓)

 福島県金山町。“かねやま”と読む。山形県の金山町と同じ読みである。
 金山町の横田にはJR只見線が走る。山之内家の墓がある墓所には、踏切はないが只見線の線路を越えなくてはいけない。積雪が線路を覆うように残っており、容易に墓地に近づけない。どうやら只見線はこの季節不通になっているようである。滑ったり、転んだりしながら、ようやく墓地にたどり着いた。墓石も半ば雪に埋もれていた。


小沼安士之墓
横田善通之墓
中丸俊成之墓

 山之内家家来である小沼源蔵安士、横田大佐善通、中丸三郎右衛門俊成という三人の連名墓である。

 小沼源蔵は、慶應四年(1868)九月一日、会津一ノ堰にて傷。十月三日、蔵入玉梨にて死。二十六歳。
 横田大佐は、山内大学の弟。十石三人扶持。明治元年(1868)九月十五日、一ノ堰にて傷。玉梨にて自害。三十五歳。
 中丸三郎右衛門は、四石二人扶持、長柄者。明治元年(1868)九月二十二日、会津南山で傷。十月二日玉梨にて死。三十七歳。


山内家屋敷跡

 横田小学校の敷地辺りが、四百年にわたって横田を治めていた山ノ内家の屋敷跡に相当する。三方の土塁と後方の深田堀で囲まれていたといい、今もその名残を見ることができる。幕末の当主、山ノ内大学知通は、家臣を集めて山ノ内隊を結成して各地を転戦した。維新後は会津藩執政、斗南藩少参事を務めた。

(小沼家墓地)


小沼雄八墓

 小沼雄八は山ノ内大学家来。慶應四年(1868)閏四月十八日、越後小出島にて傷。五月十四日、宮下で死。二十七歳。

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4 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-07-13 21:51:33
山之内家家来の3人のうちの一人は私のご先祖様です。これまで全く知らなかったので、貴重な情報をいただき有難うございました。またお墓詣りに行きます。
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コメント有り難うございます (植村)
2014-07-14 22:47:00
お役に立てたとしたら幸いです。是非、お墓参りに行ってください。雪のない季節の方が良いと思います。
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Unknown (Unknown)
2014-11-06 20:25:29
以前にコメントさせて頂いた者です。つい先日、先祖のお墓参りに金山の横田を訪れました。墓石の裏に、管理人さんが書いて下さっている「亡くなった場所や月日」が彫られていると思ったのですが、風化が激しく読みとれませんでした。管理人さんは何か別の資料から抜粋されたのでしょうか。もし参考にされた資料がございましたら、教えて頂けたらと思います。
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ご参考 (植村)
2014-11-07 00:04:54
被葬者の情報は、明田鉄男「幕末維新全殉難者名鑑」に拠ります。なお、金山町横田の墓については、四巻中の二巻目に収録されています。
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