史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

浅草 Ⅵ

2016年12月02日 | 東京都
(本龍寺)


本龍寺

 今、「弾左衛門とその時代」(塩見鮮一郎著 河出文庫)を読み始めている。本書によれば、本龍寺は浅草弾左衛門の菩提寺で(台東区今戸1‐6‐18)、かつては相当な墓域を占めていたようだが、今は墓地の片隅に「矢野氏墓」が二つ並べられているのみである。司馬遼太郎の「胡蝶の夢」にも描かれているように、弾左衛門(直樹)は、松本良順を通じて被差別民の「身分引上」に努力した。


矢野氏墓(弾左衛門の墓)

 弾左衛門が本拠地とした浅草新町(別に「囲内」とも)は、山谷堀(さんやぼり)の北側に当たる。現在、山谷堀は埋め立てられ公園となっており、今戸橋の欄干だけが残されている。この辺りは今も二十余りの寺が集まる寺町となっているが、新町はその寺に囲まれていた。弾左衛門の屋敷跡地は、現在の浅草高校の一部という。


いまどはし 今戸橋欄干跡

(待乳山承天山)
 待乳山承天山(まつちやましょうてんざん)は、浅草寺の支院で正しくは本龍院という。その創建は、縁起によれば推古天皇九年(601)夏、旱魃のため人々が苦しみ喘いでいたとき、十一面観音が大聖尊歓喜天に化身してこの地に姿を現し、人々を救ったため「聖天さま」として祀ったといわれる(台東区浅草7‐4‐1)。
 境内に池波正太郎生誕の地モニュメントがある。大正十二年(1923)、池波正太郎が生まれたのは旧住所表記で浅草区聖天町61番地(現在住所でいえば台東区浅草7‐3付近)で、待乳山承天山のすぐ近くである。生家は関東大震災で焼失してしまったが、少年~青年期を台東区で過ごした。「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」などの人気シリーズを始め、「人斬り半次郎」「幕末遊撃隊」「西郷隆盛」など幕末に題材をとった時代小説も多い。


待乳山承天山
本龍院


池波正太郎生誕の地

(西光寺)


西光寺


池波正太郎の墓

 西光寺に池波正太郎の墓を訪ねた(台東区西浅草1‐6‐2)。インタホーンを押すと寺の夫人が現れ、場所を教えていただいた。建物の裏が狭い墓地となっており、そこに池波家の墓がある。

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