史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「日本は外国人にどう見られていたか」 「ニッポン再発見」倶楽部 知的いきかた文庫

2015年01月24日 | 書評
日本人は、自分たちが外国人の目にどう映っているのか、非常に気にする民族である。褒められれば素直に嬉しいし、貶されれば腹も立つ。いちいち気にしなければ良い話だが、何故だか気になってしょうがない。最近でも外国人に日本を語らせたり、外国人旅行者に日本のどこがお気に入りなのか、どこがヘンなのかを語らせるTV番組が連日放映されているが、つい視てしまうのも性分なのである。
本書は、「ニッポン再発見」倶楽部と称するグループが、江戸から幕末、明治期に我が国を訪れた外国人の目に日本がどう映っていたのかを紹介したものである。恐らく複数の著者によるものであろうが、古今の日本見聞録を調査し、かなり面白い読み物となっている。
江戸時代の人たちは「非常に高貴な人な人々の家ですら、簡素・単純極まるもので」「貧しくとも貧困ではない」「笑い上戸で心の底まで陽気」と、西欧人の目に映ったようである。江戸時代と比べれば、現代は物質的には遥かに恵まれているように思われるが、当時の方がよほど精神的には満足度が高かったのかもしれない。
西欧にはチップという習慣がある。私はどうもあれが苦手である。荷物を運んでもらったり、部屋の掃除をしてもらったら、素直に感謝したいが、金銭を渡すという行為によって、上下関係が生じるような気がして、どうもギクシャクしてしまう。チップのない社会の方が、個人的には過ごしやすい。金銭の対価を求めないで施す親切こそが、本当の親切だろうと思ってしまう。
現代の西洋化した日本人の目から見ても、チョンマゲや鉄漿(おはぐろ)、既婚女性が眉を剃り落すという風習は違和感があるが、当然西欧人から見ても理解不能な風習だったようである。
外国人に親切で、識字率が高く、礼儀ただしく、金銭に淡泊で、いさかいを嫌うという国民性は今も日本人に息づいている。本書ではその起源を「武士道」に求めているが、果たしてどうだろうか。武士階級は全国民の一割前後であり、残りの日本人は武士道とは無縁の世界で生活していた。「道」などという大層なものではなく、狭い土地に隣近所の人たちと肩寄せ合うように生活していた人たちの生活の知恵として、今の国民性が形成されただけではないのか。
実をいうと私は、こういうちょっとせせこましくて、一生懸命な日本の国民性が大好きなのである。

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