史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

本宮 Ⅱ

2012年10月06日 | 福島県
(安達太良神社)


安達太良神社


弾痕

 本宮小学校北側にある安達太良神社拝殿には、戊辰戦争時の弾痕が残っている。

(金礼寺)


金礼寺


賢教院明譽義秀居士
(笠間一之進墓)

 笠間一之進は、二本松藩士。七十石、糠沢組代官。慶應四年(1868)、七月二十七日糠沢村上ノ内にて戦死。

(城之内古戦場跡)


戊辰の役 城之内古戦場跡

 慶應四年(1868)七月二十六日、本宮白沢村糠沢地区(城之内)では激しい戦闘が交わされ、戦死者六十名を数えた。
 本宮市教育委員会の立てた古戦場の案内の脇道を歩いて行くと、竹林に囲まれた薄暗い空間に軍卒合葬墓と戊辰役戦歿者英靈塔と刻まれた二つの小さな碑が建てられている。


軍卒合葬墓


戊辰役戦歿者英靈塔

 樽井弥五郎左衛門の率いる銃士隊は、糠沢の庄屋宅に陣を張った。この樽井隊にも、岩本清次郎、中村久次郎、田中三治、武藤定助ら、少年が加わっていたという。七月二十七日早朝、樽井隊は突然の敵襲を受けた。このときの戦闘で周囲の家屋三十二戸は焼きつくされ、岩村、中村、田中の三名の少年も命を落とした。


軍卒合葬墓


戊辰役戦歿者合葬塔


近藤彌右衛門之墓

 先ほどの竹林から少し離れるが、道路脇の墓地に近藤彌右衛門の墓と戊辰役戦歿者合葬塔が建てられている。
 近藤彌右衛門は、六十五石、山奉行。樽井弥五左衛門隊に属した。やはり城ノ内での戦死者の一人である。

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