史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「坂本龍馬を英雄にした男 大久保一翁」 古川愛哲著 講談社+α新書

2010年01月30日 | 書評
大久保一翁は、幕府の中枢にありながら、勝海舟とともに薩長両藩や尊攘派志士からも高い支持を受けた特異な幕臣であった。薩摩藩の小松帯刀は、
「一翁を老中にしなければ政治にならない」
といい、更に
「一翁と海舟が老中になれば、長州問題でも何も天下は鎮まる」
とまで断言した。
著者は、大久保一翁のことを「剛直」「無私」といった言葉で評するが、その一翁の面目が躍如としたのが、大開国論の主張であろう。慶喜による大政奉還の実に五年も前のことである。一翁の先見性、時代を見る目の鋭さに改めて驚くほかはない。
一翁が大開国論に至った一つの契機が、一橋慶喜の将軍後見職就任であった。慶喜を政治の表舞台に立たせることは、薩摩藩にとって斉彬以来の悲願であった。このとき大久保利通は
「数十年の苦心焦慮せき事、今更夢のようなる心持。皇国の大慶言語に尽くし難き次第なり」
と感慨を日記に記している。
薩摩藩が感慨に浸っている頃、一翁は勅使の待遇の改善を主張する。これに対し慶喜は、勅命で改正するのは面白くないと一蹴した。このとき一翁は、慶喜の本質を見抜いたのであろう。慶喜は、表面では尊皇を主張しながら、実質は幕権強化主義者であった。このことは時間の経過とともに誰もが認識することになるが、この時点で敏感に感じ取っていたのは一翁一人だったかもしれない。
朝廷を蔑ろにしようという慶喜の真意を知った一翁が、徳川家が朝敵となるのを回避するために思い至った思想が「大開国論」であった。
一翁の主張は、「飽くまで朝廷が攘夷を断行せよというのであれば、大政奉還するべきである。徳川家は駿遠三の一大名に身を引き、諸侯による公議会に諮って政事を行うべき。」
というものである。
当時としては突飛な発想であったが、国内に騒乱を引き起こすことなく、徳川家を朝敵の汚名から守るためには、この方法しかなかった。文久二年(1862)の段階では、一翁の主張は相手にされず、不快に感じた慶喜によって左遷の憂き目にあっただけであったが、一翁の思想の正しさは、その後の歴史が実証している。
本書のタイトルは、「坂本龍馬を英雄にした男」となっている。確かに、坂本龍馬の大政奉還論も船中八策も、大久保一翁の主張の焼き直しでしかない。一翁無くして坂本龍馬の活躍はあり得なかったというのは、著者のいうとおりと思う。しかし、一翁の偉大さを語るのに、何も龍馬の名前を本のタイトルにまで引っ張り出す必要もあるまい。龍馬ブームに便乗しようという出版社の意図かもしれないが、一過性のブームに振り回されるのではなく、大久保一翁という人物の大きさを広く知ってもらいたいと思う。

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2 コメント

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Unknown (石原 博之)
2010-01-31 23:54:03
植村様、ご無沙汰をしております。
「竜馬が長州をゆく」の管理人の石原です。
相変わらずの精力的なご活動に、感心しております!
時々訪問させていただいて勉強しております。
これからも体調管理に気を付けて、情報発信をなさって下さい!
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Unknown (植村)
2010-02-01 23:54:03
石原様

コメント有り難うございます。
ちょうど1週間前にウィルス性の胃腸炎に罹患して、高熱と嘔吐により、伏せっておりました。何よりカラダが資本を思い知らされた次第です。
関東から長州は遠い。なかなか長州まで足を延ばせませんが、「いずれまた」という想いはずっと持っています。
では、また。
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