史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

会津若松 南郊

2009年09月06日 | 福島県
(明光寺)


明光寺


戊辰戦役殉難者の碑

 会津若松市南郊の門田町館ノ内明光寺には、戊辰戦役殉難者の碑と、戦死者の墓が並んで置かれている。周辺は長閑な田園地帯であるが、付近は御山から青木を経て宝積寺口に至る街道が走っており、九月十五日、街道上で薩摩藩軍との戦闘が展開された。墓の主はこの前後の戦死者であろうか。


戊辰戦争戦死者の墓

(光明寺)


光明寺

 会津鉄道門田駅の近く、光明寺にはこの付近の戦闘で戦死した一瀬要人以下の墓がある。一瀬要人は千五百石の家老で、越後方面の総督として奮戦した。九月十五日の戦闘で重傷を負い死亡した。


会津藩老一瀬要人戦死之墓


山本権八之墓(左)ほか戦死者の墓

 山本権八は、のちに京都にて同志社設立に尽くした山本覚馬、新島八重の父である。九月十七日、一ノ堰で戦死。六十一歳であった。

(泰雲寺)


泰雲寺

 会津戦争というと、西郷頼母一族の婦女子全員が自刃したといった傷ましい逸話が知られる。このような集団自死の例は、西郷一族だけではない。同じ家老の家柄である内藤家でも、残された婦女子が会津南郊の泰雲寺に移動し、そこで命を絶っている。
 墓標に自刃してこの寺に葬られた内藤一族の氏名が刻まれている。


内藤氏家属墓


内藤可穏次男 梶原平馬墓

 泰雲寺には、内藤家と血縁関係にある梶原平馬の墓もある。梶原平馬は、戦後、北海道に渡りその地の開拓に余生を捧げ、再び会津に戻ることはなかった。星亮一氏によると、梶原平馬の墓は北海道根室市にあるらしい。


武川信臣墓(中)
上田氏家属墓(左)

 武川信臣は、鳥羽伏見の戦いに敗れ江戸に帰った後、藩士の多くが会津に帰国する中、彰義隊に加わって上野で戦った。上野戦争後、江戸市中に潜伏中していたところを密告され捕らえられた。会津藩士家老の弟という事で、拷問を受け、小伝馬町の獄中にて斬首された。二十四歳であった。

(常金寺)


常金寺

 会津鉄道の雨屋駅近くにある常金寺には、やはり戊辰戦争で戦死した会津藩士の墓がある。墓は、本堂向かって左手の奥にあり、難なく見つけることができた。鈴木忠之助、五郎兄弟の墓である。


鈴木重光墓(左)
鈴木重季之墓(右)

 次の目的地に向かおうと、自動車をバックさせたところでトラブルが発生した。駐車場の反対側は傾斜になっており、それに気付かず後退したため、後輪が落ち込み前輪が浮いてしまったのである。異常な物音に気が付いた常金寺の住職さま以下、幼児を含む一族が外に出てきて、私の車を後ろから押したり、タイヤの下に砂利をひいたりしてくれたが、自力で脱出はできなかった。結局、保険会社に電話してレッカー車を呼ぶことになり、ほぼ一時間をこの寺で過ごすはめになった。寺では招かざる客に嫌な顔もせず、お茶を出していただいた上に、住職さまには墓の主のことなど教えていただいた。鈴木五郎は白虎隊に参加し、この付近で戦傷死した若者だったらしい。
 幸いにして自動車に損傷はなく、その後の旅に支障はなかったが、思わぬトラブルのために予想外に記憶に残る史跡になってしまった。

(洞雲寺)


洞雲寺


長谷川常隆 勝蔵 墓(左)
綿引喜伝治墓(中)

 洞雲寺は、芦ノ牧温泉付近にある。ここには、この付近の戦闘で犠牲となった十三人の合葬墓、長谷川常隆、勝蔵、綿引喜伝次の墓がある。この日訪問予定となっている史跡では、ここが最南端となった。

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2 コメント

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Unknown (世良 康雄)
2012-06-17 07:14:30
祖母世良ふじ旧姓白川の伯王家を、飯野八幡宮等から立証急がなくてはと思いますが、世良と同じ家紋梶原平馬は磐城平藩主内藤家と同じ血統ならば、磐城平の飯野八幡宮影響強いのでしょうか?

住所 神戸市中央区古湊通り2-2-10GSハイム
誕生 1970/12/28
学歴 関学商学部1994年
http://my.ameba.jp/menu.do
http://yaplog.jp/groundstlork/
http://twitr.jp/user/blockermachine4
〔或る冬の日、花園院に心惹かれる 臨川寺領地〕
http://d.hatena.ne.jp/naozari/mobile?date=20110210

〔真日本建国 伯家神道の予言 2012年のシンクロ〕
http://jinga123.blog118.fc2.com/blog-entry-34.html

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Unknown (植村)
2012-06-17 22:07:21
世良様

コメント有り難うございました。
申し訳ありませんが、お問い合わせの件、私にはよく分かりません。
役に立たなくて済みません。なお、磐城平藩主は「安藤家」です。
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