(天妃山)
早朝から茨城県の史跡を回ってきて、本日最後の訪問地北茨木市の磯原海岸に行き着いたときには、夕日が山端に沈もうとしていた。このすぐ近くに詩人野口雨情の生家もある。
北茨木市磯原の天妃山は、元禄三年(1690)、光圀が天妃神をここに祀り、磯原の海の守護神とした。以来、この小さな山は天妃山と呼ばれることになった。標高二十一メートルという低山で、あっという間に山頂に達することができる。その後、天保二年(1831)、斉昭が日本尊の妃、弟橘媛(おとたちばなひめ)を海陸の守護神として合祀し、麓の神社は弟橘媛神社と改称された。
弟橘媛神社

磯原海岸
(磯原防災コミュニティー・センター)
吉田松陰先生遊歴之地碑
弟橘媛神社のすぐ近くの磯原防災コミュニティー・センターに吉田松陰遊歴之地碑がある。吉田松陰が東北遊歴の旅に出たとき、この地に立ち寄っている。それを記念した石碑である。
早朝から茨城県の史跡を回ってきて、本日最後の訪問地北茨木市の磯原海岸に行き着いたときには、夕日が山端に沈もうとしていた。このすぐ近くに詩人野口雨情の生家もある。
北茨木市磯原の天妃山は、元禄三年(1690)、光圀が天妃神をここに祀り、磯原の海の守護神とした。以来、この小さな山は天妃山と呼ばれることになった。標高二十一メートルという低山で、あっという間に山頂に達することができる。その後、天保二年(1831)、斉昭が日本尊の妃、弟橘媛(おとたちばなひめ)を海陸の守護神として合祀し、麓の神社は弟橘媛神社と改称された。

弟橘媛神社

磯原海岸
(磯原防災コミュニティー・センター)

吉田松陰先生遊歴之地碑
弟橘媛神社のすぐ近くの磯原防災コミュニティー・センターに吉田松陰遊歴之地碑がある。吉田松陰が東北遊歴の旅に出たとき、この地に立ち寄っている。それを記念した石碑である。