表題の「夜明け」は、この文庫に収められた一篇「夜明けを駆ける人々」から取られたものである。
「夜明け」というと、明治前夜、すなわち幕末の頃をいっているのかと捉えがちであるが、それほど短絡的なものではないらしい。著者「あとがき」には
――― 夜明けはもっと大きく、文明史的あるいは人類史的観点からのものでなければならない。
と言及されている。
「夜明けをかける人々」では、「解体新書」の時代(十八世紀後半)、杉田玄白や前野良沢らが手探りで西欧の医学を学ぶ姿を描く。
著者は、この時代を「夜明け」と定義しているわけではなく、「われわれ自身の現代が一つの<夜明け>である」という立場である。つまりいつの時代も次の時代の原因を生んでいるとすれば、どの時代も「夜明け」であるということであろう。
本書には二十六篇の随筆が収められているが、個人的にもっとも面白く読んだのが、「大名家と明治維新」であった。江戸も末期となると藩主というものは無個性で床の間の飾りのような存在になっていた。それが当時の帝王学であり、無能で無害、無個性な藩主が望まれたというのである。その典型が長州の毛利敬親である。
一方で、個性的な藩主の典型として、水戸の斉昭を挙げる。斉昭が個性的であったが故に、幕末の水戸藩は幕府を滅ぼす遠因を作り、血で血を洗う藩内抗争を繰り返すことになった。さらには「明治政府に入って国家の経綸にたずさわった人物が一人も出なかった。」その遠い源が斉昭の個性にあったとする論は卓見である。
この本が上梓されたのは、昭和五十三年(1978)。文庫化されたのも昭和六十一年(1986)と四半世紀も前のことである。しかし「現代もまた夜明け」という著者の主張は、新鮮さを失っていない。
恐らく今回の東日本大震災は、日本の将来にとって、大きなターニング・ポイントとなることは間違いない。本当に経済を縮小させて良いのか、今こそ国民的議論を尽くすべきだろう。
「夜明け」というと、明治前夜、すなわち幕末の頃をいっているのかと捉えがちであるが、それほど短絡的なものではないらしい。著者「あとがき」には
――― 夜明けはもっと大きく、文明史的あるいは人類史的観点からのものでなければならない。
と言及されている。
「夜明けをかける人々」では、「解体新書」の時代(十八世紀後半)、杉田玄白や前野良沢らが手探りで西欧の医学を学ぶ姿を描く。
著者は、この時代を「夜明け」と定義しているわけではなく、「われわれ自身の現代が一つの<夜明け>である」という立場である。つまりいつの時代も次の時代の原因を生んでいるとすれば、どの時代も「夜明け」であるということであろう。
本書には二十六篇の随筆が収められているが、個人的にもっとも面白く読んだのが、「大名家と明治維新」であった。江戸も末期となると藩主というものは無個性で床の間の飾りのような存在になっていた。それが当時の帝王学であり、無能で無害、無個性な藩主が望まれたというのである。その典型が長州の毛利敬親である。
一方で、個性的な藩主の典型として、水戸の斉昭を挙げる。斉昭が個性的であったが故に、幕末の水戸藩は幕府を滅ぼす遠因を作り、血で血を洗う藩内抗争を繰り返すことになった。さらには「明治政府に入って国家の経綸にたずさわった人物が一人も出なかった。」その遠い源が斉昭の個性にあったとする論は卓見である。
この本が上梓されたのは、昭和五十三年(1978)。文庫化されたのも昭和六十一年(1986)と四半世紀も前のことである。しかし「現代もまた夜明け」という著者の主張は、新鮮さを失っていない。
恐らく今回の東日本大震災は、日本の将来にとって、大きなターニング・ポイントとなることは間違いない。本当に経済を縮小させて良いのか、今こそ国民的議論を尽くすべきだろう。