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史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「岩倉使節団という冒険」 泉三郎著 文春新書

2009年05月28日 | 書評
 「堂々たる日本人」(祥伝社黄金文庫)に続いて、泉三郎氏の岩倉使節団に関する著作を読んだ。「堂々たる日本人」と比べると、使節団が訪問した国々における描写にページを割き、著者の主張は最低限に抑えられている。とはいえ、著者は八年にわたって岩倉使節団の足跡を追って、主な場所は全て踏破したという方で、岩倉使節団に対する思い入れは尋常ではない。微に入り細に入り訪問先でのできごとを紹介している。
 著者の主張は、最終章の「中東、アジア、そして日本」の後半部分、それと「エピローグ」に集約されている。この部分は、さすがに説得力のある内容となっているが、特に木戸、大久保、伊藤がそれぞれ米欧回覧から持ち帰ったものがその後の憲法制定に植え込まれたという主張は納得がいく。
――― 西洋にはキリスト教があって人心の機軸をなしているが、日本にはそれに相当するものがない、仏教は衰頽に傾き、神道も宗教として力を持たない。だから伊藤(博文)は、「我が国に在っては機軸とすべきは独り皇室あるのみ」とし、天皇を憲法の核心においたのである。(213頁)
 明治の先人は、西洋の進んだ文明を積極的に取り入れた。西洋文明と一言でいうが、憲法、国会、裁判所、牢屋、学校、貿易、造船、製鉄、鉱山、銀行から鉄道に至るまで、彼らがこの旅で吸収したものは数知れない。明治の先人は、「和魂洋才」をスローガンに、常に日本のアイデンティティを意識して、日本独自のものを付け加え、或いはアレンジして、日本にもっとも適した形で受け入れていったのである。
――― 岩倉使節団の物語は、必ずやわれわれに知恵と元気を与えてくれるものと信じるのである。
という著者の結びの言葉に共感を覚える。

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