たま~に「死」について考えることがあります。
生まれたからには死ぬということは間違いないことなんですけど
自分にも当てはまるのかと自分自身に問いかけると
なんとも実感が湧かない変な気分になります。
しかも生まれ変わりというものがないならば
死んでしまえばそれで自分というもの
(「自分というもの」をどう規定するのかも難しい問題ですが)
は未来永劫、消えてなくなってしまうんですよね。
自分がいなくなってしまった後も、地球は変わらずに回り続け
社会生活も続いていって、それは当たり前のことなんだけど
なぜか切ない感覚におそわれます。
人も羨むような生活をしているあの人や
常に脚光を浴びているあの人も
かなりの高確率で100年後にはこの世から消えてしまいます。
死んだ後の名声なんて、残された家族や周辺の人の問題であって
その死んだ本人には関係ないことなんですよね。
全ての人は平等だなんて絶対思いませんけど
「死」ということに関しては平等なのかもしれません。
そんなわけで「死」というものをどう処理していいか
持て余してしまいます。
生きている間は解決できない問題のようです。
Memento-Mori (死を想え)
生まれたからには死ぬということは間違いないことなんですけど
自分にも当てはまるのかと自分自身に問いかけると
なんとも実感が湧かない変な気分になります。
しかも生まれ変わりというものがないならば
死んでしまえばそれで自分というもの
(「自分というもの」をどう規定するのかも難しい問題ですが)
は未来永劫、消えてなくなってしまうんですよね。
自分がいなくなってしまった後も、地球は変わらずに回り続け
社会生活も続いていって、それは当たり前のことなんだけど
なぜか切ない感覚におそわれます。
人も羨むような生活をしているあの人や
常に脚光を浴びているあの人も
かなりの高確率で100年後にはこの世から消えてしまいます。
死んだ後の名声なんて、残された家族や周辺の人の問題であって
その死んだ本人には関係ないことなんですよね。
全ての人は平等だなんて絶対思いませんけど
「死」ということに関しては平等なのかもしれません。
そんなわけで「死」というものをどう処理していいか
持て余してしまいます。
生きている間は解決できない問題のようです。
Memento-Mori (死を想え)