夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

野田村の小正月行事へ

2012-01-16 08:54:43 | チームオール弘前
1月15日(日)AM6時に弘前を立ち、一路野田村へ向かいました。総員46名でした。

 AM9時30分に野田村役場前に到着しましたが、晴天のこの日はまったく雪もありません。でも吹く浜風は無性に肌を刺し、しばれる感じです。たちまち手指、耳たぶは凍傷にかかりそうな冷たさです。
 野田村はこの日「小正月行事」で、どんと焼きや大黒舞、餅つきなどで村民がつどい、交流して楽しみました。
 神主さんの祝詞や関係者の玉串奉てん、村長さんの挨拶などの後、いよいよ「どんと焼き」の始まりでした。炎が強風に煽られ、火の粉が飛ばないように、門松などの上には金網がかけられていました。
 またも餅をまゆの形に作った「まゆ玉」を吊るすというように、農作物の豊作を願う形式も会場には見られ、ひとりひとりが色のついたまる餅を願い事と一緒に桜の枝につけていました。


 野田村の昨年は、ほとんど津波で被災した人々の対策を含め、復興計画の年だったといってもよかったのかもしれません。本当にこころから喜べない状態から、少しずつではあってもその復興の兆しを、村民の方々も感じられて来たのではないでしょうか。
 堆かったがれきの山々も、昨日は運搬処理作業が進んで先が見えるほどになっていました。
 三陸鉄道の復旧工事もかなり進んでいました。
 私たちボランティアも昨年8月末でいったんがれき撤去作業を終了し、以後村民への心理的支援活動という形で移行してきました。
 8月「復興祭」10月「塩の道ウオーキング」11月「男和佐羅比山登山」12月「クリスマス」そしてこの1月「小正月行事」支援活動です。

 昨日も「チームオール弘前」のユニフォームを着ていると、村民の皆さんの温かな声や表情を見るにつけ、私たちボランティアへの感謝の念が感じられとてもうれしく思いました。そしていよいよこれからこのユニフォームではなく、本当に個々の面識と信頼感の上に野田村の人々とと弘前市民が心からの友人として、相互交流活動ができる時代に入って行けるのだと思いました。

 

 昼食をバス車中でいただき、どんと焼きや行事の後片付けをお手伝いしました。そして初めて参加の人たちのために、津波の被災エリアを見学するために移動しました。
 野田村の海沿いを走る国道45号線、十府ケ浦海岸、そして三陸鉄道、西に下って下安家漁協などを車中から見ました。甚大な被害を受けた下安家川漁協の鮭ふ化場も再生し、通常営業を行えるところまできたと説明を受けました。津波は鮭のふ化場も飲み込んだそうですが、それでも鮭は川を遡上してきたそうです。そのことがふ化場の関係者を勇気づけたのではないでしょうか。

 この日の私の楽しみにしていた「なもみ」は、残念ながら午後5時からの登場ということで、バスは野田村発午後2時の予定のために諦めるしかありませんでした。
 「なもみ」とは、岩手県版「なまはげ」のことです。ナモミは囲炉裏のそばに座って終日動かずにいると、囲炉裏の熱さで赤みが膝に残ってしまうが、それを剥ぐ(怠ける気持ちをはぎ取る)ことをいう。ナモミ剥ぐが、「なまはげ」に転化したものらしいです。

 このことはとても残念に思っていたところ、帰途「道の駅大野」にバスが立ち寄ったのです。すると車窓から「ナモミ」を見る光栄に預かったのでした。
<ahref="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/77/7fab00805f2697735a7640cd5a2186e0.jpg" border="0">

 恒例となった車中での個別の感想披露は、それぞれの思いは異なりますが、総体的な声としては、住民との交流がこれほどありがたくうれしいと感じられたことはないのではないかと思うことです。それはチームオール弘前のメンバー2000人を超える方々の、4月からずっと時間と労力を積み重ねて来たからこそ得られた信頼関係だからです。
 8月末までのボランティア活動は、ひたすら「がれき撤去作業」だったこともあるのかも知れません。
 チーム北リアスの渥美先生が言われていたように、「寄り添うことの大切さ」を9月以降は特に感じてきました。
 どんなに私たちが野田の人たちのために良かれと思う活動をしても、それはまた日常生活という中では「見送る人」と「見送られる人」という関係なのだからです。寄り添う関係とは、そばにいつもいるという関係をいうものだとすれば、それはまた弘前市という遠距離の位置では、難しい状況もあるのです。その気持ちをまたもちつつ、野田村を訪問し続けたいと思っています。とりあえずは毎月最低1回の訪問活動をすることで、野田村を見続けることを自分に課していくつもりでいます。一緒に野田村と弘前でお花見ができること、それが今年の一番の夢かもしれません。

 

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (あねご)
2012-01-16 12:37:46
随分きれいになりましたね。
野田村の人達が徐々に震災前の生活にもどりつつあると感じました。
8月までのボランティアと同じ位、と言うか それ以上の人が参加してるとは驚きです。
野田村の方の招待というのもすごいと思いました。李先生がお喋ってた交流もうまく進んでるんですね。温かい気持ちでブログ拝見しました。
返信する
あねごさまへ (なりたはるみ)
2012-01-17 19:33:03
 黄緑のユニフォームを着ていることの弘前大学という看板は、そろそろオシマイにしても良いのではないのではないかと思い始めています。これからは参加者が、地元の皆さん一人一人とのお付き合いこそが、大切なんだと思っています。ボランティア自身が楽しむこと・・・それこそが地元の皆さんにとっての喜びを増殖させることに繋がるのだと思いました。
 「笑顔」という自然治癒力は、素晴らしい人間の力だと思います。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。