夢発電所

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八戸市での研修会に向かう

2012-12-01 06:25:02 | 福祉について
11月29日(木)から30日(金)

 前日の夜は木枯らしが吹き荒れ、雷が鳴り続いていた。29日の朝はなんとか天候も持ち直しているが、空気は冷たかった。朝7時30分自宅を立ち、この日から2日間の八戸市での障害者福祉の研修会が開催されることになった。
 通常では私の出番はなく若い職員を優先するのだが、今回はいつも交友頂いている方からのシンポジウムへの登板を受けざるを得なかった。
 今回の研修会テーマは、「共生社会を目指して」ということなので、格別の思いも私にはあった。

 34年前に弘前に移住してきた私は、地縁・知縁もない土地で障害を負った娘たちと新たな暮らしを始めることになったからである。ところが、就職できる予定だった新たに立ち上がる予定の障害者施設が一年先送りにされたということが弘前に来てからわかった。 結局その法人とは縁を結ぶことを諦めた。正職員から失業者の身分を甘んじて受け、職業安定所の行列に身を置くことになったのである。
 幸運にも義母の知縁の力によって、H市役所福祉事務所の嘱託職員としての採用となり、5月から生活保護担当課の医療係付き嘱託職員となった。
 その医療係の上司が、現在の3代目T理事長である。
 2台目のI理事長は同じ福祉事務所の保護課で係長だった方で、初代I理事長は県庁で県庁初の女性課長(障害福祉課)になられた方で、この方が法人を立ち上げるきっかけを与えてくれるために私の肩を押してくれたのである。
 こうした出会いがなければ、現在の私は存在しないのだ。

 結局翌年の2月に福祉事務所を辞し、件の現在の3代目理事長の父上の所属する社会福祉法人の特養が4月に開設するため、その開設準備をすることになったのである。
 当時の青森県の障害者福祉は入所施設一辺倒で、在宅の障がい者は重度であることにより入所か、自宅に幽閉される以外選択の余地はなかったのである。

 この後私の娘たちの介護や療育は、もっぱら家内が務めることになって行くのである。

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