春は何によって感じられるのだろう。冬との違いや夏との明確な違いはどこだろう。ぼんやりとした感覚の中での移行なのだろうとふと思う。たとえば自然の動植物や昆虫の動静によるもの。月の満ち欠けによるもの。衣類の交換によるもの。風で感じるもの。日差しで感じるもの。雨の寒暖によるもの。川の水の増減によるもの。食べ物によるもの。など考えれば結構季節はさまざまな事象の変化によって、私たちはぼんやりとした変化を受け入れて行くのかもしれない。
4月の津軽は暖かくなってきたとはいえ、まだ10度台前半。ストーブは相変わらずがんばって終日燃えている。
昨日の早朝、私は冬タイヤの交換をようやく思い切って行いました。これも春なのだという北国ならではの実感のひとつですよね。
4月の津軽は暖かくなってきたとはいえ、まだ10度台前半。ストーブは相変わらずがんばって終日燃えている。
昨日の早朝、私は冬タイヤの交換をようやく思い切って行いました。これも春なのだという北国ならではの実感のひとつですよね。