7月21日(土)
きょうから子供たちは夏休みです。朝6:30町会の集会所に集まって来ました。
そしてこの日、「語り部」という町会の長寿会の代表者から子ども会の皆さんに、町会の歴史と文化について語り聞かせをする機会を持ちました。
65年ぶりの昔ながらのお山参詣復活を企画した時の一番の狙いは、次世代の人たちへの文化とコミュティ再生の力をつなぐことでした。
私の家の隣の家が、たまたま町会長さんの家であったこと。そしてこの町会長さんは、町の傑出の人物であったこと。社協の会長もやられていて、私は度々この会長と一緒に活動をしてきたことなどがあって、お山参詣を私の引退記念として実施したいので力を貸して欲しいということで、町会住民がこぞって賛成をしてスタートしました。
この町会は170世帯ほどありますが、古来よりまとまりの良い町会だったようです。そしてこれまで、地元には小学校や保育所、JA支所、神社、造り酒屋、バス通りなどもあって、毎年ねぷた祭りには町会でねぷたも出し、お山参詣も出し、獅子踊保存会も子供たちから高齢者まで参加して賑わった時代もあったのです。
しかし、高度成長期が過ぎてから、次第に少子化や経済の低迷期にかかると、JA支所や小学校などが統廃合され、消えてゆきました。
この町会長の町民からの信頼度は抜群で、これからこういう方が果たして出てくるだろうかというくらいです。だからこの方のいるうちに、ぜひとも一つの実績を残したいという思いがありました。
市のまちづくり事業に応募し、企画書を出し満額を獲得できたのも、そういう背景があるのです。
40名の実行委員が主体となって、170人が参加することになりました。本番まであと40日を切って、準備活動も後半になって来ました。
きょう最初のプログラムは、長寿会長と副会長の語り部からスタートです。
長寿会長(80歳)からは、国民学校時代の生徒の様子や、昔の人々の暮らしぶり、災害などについてもお話を聞くことができました。写真をスライドで見ると本当に、暮らしぶりそのものの変化も感じられました。
きょうから子供たちは夏休みです。朝6:30町会の集会所に集まって来ました。
そしてこの日、「語り部」という町会の長寿会の代表者から子ども会の皆さんに、町会の歴史と文化について語り聞かせをする機会を持ちました。
65年ぶりの昔ながらのお山参詣復活を企画した時の一番の狙いは、次世代の人たちへの文化とコミュティ再生の力をつなぐことでした。
私の家の隣の家が、たまたま町会長さんの家であったこと。そしてこの町会長さんは、町の傑出の人物であったこと。社協の会長もやられていて、私は度々この会長と一緒に活動をしてきたことなどがあって、お山参詣を私の引退記念として実施したいので力を貸して欲しいということで、町会住民がこぞって賛成をしてスタートしました。
この町会は170世帯ほどありますが、古来よりまとまりの良い町会だったようです。そしてこれまで、地元には小学校や保育所、JA支所、神社、造り酒屋、バス通りなどもあって、毎年ねぷた祭りには町会でねぷたも出し、お山参詣も出し、獅子踊保存会も子供たちから高齢者まで参加して賑わった時代もあったのです。
しかし、高度成長期が過ぎてから、次第に少子化や経済の低迷期にかかると、JA支所や小学校などが統廃合され、消えてゆきました。
この町会長の町民からの信頼度は抜群で、これからこういう方が果たして出てくるだろうかというくらいです。だからこの方のいるうちに、ぜひとも一つの実績を残したいという思いがありました。
市のまちづくり事業に応募し、企画書を出し満額を獲得できたのも、そういう背景があるのです。
40名の実行委員が主体となって、170人が参加することになりました。本番まであと40日を切って、準備活動も後半になって来ました。
きょう最初のプログラムは、長寿会長と副会長の語り部からスタートです。
長寿会長(80歳)からは、国民学校時代の生徒の様子や、昔の人々の暮らしぶり、災害などについてもお話を聞くことができました。写真をスライドで見ると本当に、暮らしぶりそのものの変化も感じられました。
当県では被爆から61年になり、被爆者の語り部がだんだん少なくなってきているのですが、咽頭がんで声を失った後人工喉頭を使って、紙芝居で原爆の語り部の活動をしている方がいらっしゃいます。
あの日あの時を忘れてはならない、との思いで活動されている姿を見ていると本当に頭が下がります。
無差別殺人としか云いようのない戦争の傷跡は、多くの無念の思いを飲み込んでいったのではないでしょうか。
語りつないでいくこと、その大切さを今回の東日本大震災も示しています。
いつか長崎へも・・そう思う日々です。
自分が年老いていくことで、その知見を活かすことが今使命の一つだと思い始めてもいます。