食後の運動不足を兼ねて、パン工房「ゆいまある」まで散歩しました。あうんの敷地から県道へ出る直前の道路にマンホールが雪を溶かして姿を現していました。弘前市に合併前の岩木町がここに残されていました。マンホールのふたには、稲穂とりんごと桜、山女魚、そして岩木町の花「ミチノクコザクラ」が彫られていました。いつまでも残して置いてほしいと思いながらカメラに収めました。
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今のうちにそういう遺物を記録しておこうと思います。でも岩木山だけは変わらずに座っていてくれるので安心ですが・・・。
弘前市は寺町なので、卍マークなのでしょうね。市町村合併で市章を公募して、トップが以前からのこの卍マークと記憶しています。確か黒から赤に変わったんじゃなかったかな?
市章卍の謂われとしては、「明治33年(1900)6月制定。
伝説:卍(まんじ)は藩祖為信が養子となって間もなく、夢枕に異様な二人の童子が現れ、為信を守護する旨を告げたので、為信が名を問うたところ、「まんじ」・「錫杖」と答えた。そこで、為信は旗に卍の印、馬印に錫杖を用い、兜の前立つにも錫杖をつけたという。以後、「卍」は藩の徽章として用いられた。卍の意味は、「私心を捨て社会に尽くす心」を表す。
もしくは郷土館のような場所に記録として残しほしいですね。
生活に密着したデザインとして貴重ですものね。でもお役所では決してそうは思わないで
簡単に破棄してしまうのではないかと危惧します。
弘前市は卍が市のマークですよね!私は、弘前に行ったとき初めて卍マークを見たとき、思わずドイツ・ナチスを思い出しました。今となっては懐かしいですね。