8月3日(水)礼文島を縦断した後、稚内行のフェリーに乗船。好天に恵まれて、どこまでも青く穏やかな日本海である。利尻島がまるで海の上に、利尻富士が突き出ているかのように見えた。
15:45稚内港に到着し、ドーミーイン稚内というJR稚内駅から徒歩15分のホテルにチェックイン。そして荷を降ろしてから、早速稚内観光に出かける。JR稚内駅はまだ改修工事が続いており、2年後くらいの完成予定とのこと。翌日の定期観光バスの発着時間などを確認した。その後市内を歩くが、稚内市内もシャッター街が続く。
「稚内副港市場」を訪れて、この日のうちにお土産を送ってしまおうという計画だ。ガイドブックの写真で想像したよりも、少し寂しい市場だ。
唯一これはと思ったのは稚内「ノホモ牛乳」の旨さである。濃厚で甘みもあり、無調整に近い味だった。買い物を済ませて夕食のメニューを考える。市場の前にあったロシア風レストラン「ペチカ」に入店。ここはロシア人店主が1時間おきにギターを弾き語りで歌ってくれる。1970年代の歌手らしいが、声質は加藤登紀子風だった。おとなりの席に後から入店したご夫婦が、横浜の方で実家が旭川だという。墓参りの旅で10日間旅行を続けるという。まるで昔からお付き合いしているかのような雰囲気で、あっという間に時が過ぎていた。
ホテルへ戻って翌日の準備をした。このドーミーインでは夜食が無料サービスされるとのことで、10:30頃出かけてみると結構お客が詰めかけていた。醤油ラーメンが丼は小さかったが、ちょうど今夜の締めという感じで美味かった。最上階にある温泉で汗と疲れを洗い流した。
翌朝(8/4)JR稚内駅前BTから、定期観光バスが発車する。きょうの最終目的地は宗谷岬である。
観光バスは考え方ではあるが時には楽ちんで、バスガイドが知りたいこともどうでもいいことも皆聞かせてくれる。更に居眠りもできるし、喉が乾けばビールも飲めるのが旅の良さでもある。
最初に立ち寄ったのは、稚内港の北防波堤ドームだ。総延長427m、柱の数が70本。半アーチ型の防波堤で、とても防波堤というイメージからは遠い。稚内特有の強風と高波に絶えられる構造で建築されたものらしい。ローマ建築を思わせるような足元の美しさがある。
稚内市の西側高台にある稚内公園に立ち寄り、南極物語などの映画でも知られるカラフト犬の記念碑や、樺太の地の辛い歴史をを表す「氷雪の門」のモニュメントが樺太を背にしていた。終戦後の8月5日、突然ソ連軍が樺太に進行して、大勢の日本人が虐殺された。最後まで電話交換手を務めた交換手が青酸カリを飲んで果てたと刻印されていた。
宗谷岬につながる宗谷丘陵(1万年前の氷河期に凍結融解を繰り返して出来上がっった)が広がっていた。
この地には元祖冒険家で測量家・間宮林蔵の銅像が建っていたし、北方の守りとしての旧海軍望楼なども見られた。
1970年代の「大韓航空機」撃墜事件があった。航路を離れてソ連領に入った大韓航空機が、ミグ戦闘機に「ミサイルで撃墜されたことは記憶に残るが、この地に折り鶴をイメージする慰霊碑が天に向かって羽を広げていた。
15:45稚内港に到着し、ドーミーイン稚内というJR稚内駅から徒歩15分のホテルにチェックイン。そして荷を降ろしてから、早速稚内観光に出かける。JR稚内駅はまだ改修工事が続いており、2年後くらいの完成予定とのこと。翌日の定期観光バスの発着時間などを確認した。その後市内を歩くが、稚内市内もシャッター街が続く。
「稚内副港市場」を訪れて、この日のうちにお土産を送ってしまおうという計画だ。ガイドブックの写真で想像したよりも、少し寂しい市場だ。
唯一これはと思ったのは稚内「ノホモ牛乳」の旨さである。濃厚で甘みもあり、無調整に近い味だった。買い物を済ませて夕食のメニューを考える。市場の前にあったロシア風レストラン「ペチカ」に入店。ここはロシア人店主が1時間おきにギターを弾き語りで歌ってくれる。1970年代の歌手らしいが、声質は加藤登紀子風だった。おとなりの席に後から入店したご夫婦が、横浜の方で実家が旭川だという。墓参りの旅で10日間旅行を続けるという。まるで昔からお付き合いしているかのような雰囲気で、あっという間に時が過ぎていた。
ホテルへ戻って翌日の準備をした。このドーミーインでは夜食が無料サービスされるとのことで、10:30頃出かけてみると結構お客が詰めかけていた。醤油ラーメンが丼は小さかったが、ちょうど今夜の締めという感じで美味かった。最上階にある温泉で汗と疲れを洗い流した。
翌朝(8/4)JR稚内駅前BTから、定期観光バスが発車する。きょうの最終目的地は宗谷岬である。
観光バスは考え方ではあるが時には楽ちんで、バスガイドが知りたいこともどうでもいいことも皆聞かせてくれる。更に居眠りもできるし、喉が乾けばビールも飲めるのが旅の良さでもある。
最初に立ち寄ったのは、稚内港の北防波堤ドームだ。総延長427m、柱の数が70本。半アーチ型の防波堤で、とても防波堤というイメージからは遠い。稚内特有の強風と高波に絶えられる構造で建築されたものらしい。ローマ建築を思わせるような足元の美しさがある。
稚内市の西側高台にある稚内公園に立ち寄り、南極物語などの映画でも知られるカラフト犬の記念碑や、樺太の地の辛い歴史をを表す「氷雪の門」のモニュメントが樺太を背にしていた。終戦後の8月5日、突然ソ連軍が樺太に進行して、大勢の日本人が虐殺された。最後まで電話交換手を務めた交換手が青酸カリを飲んで果てたと刻印されていた。
宗谷岬につながる宗谷丘陵(1万年前の氷河期に凍結融解を繰り返して出来上がっった)が広がっていた。
この地には元祖冒険家で測量家・間宮林蔵の銅像が建っていたし、北方の守りとしての旧海軍望楼なども見られた。
1970年代の「大韓航空機」撃墜事件があった。航路を離れてソ連領に入った大韓航空機が、ミグ戦闘機に「ミサイルで撃墜されたことは記憶に残るが、この地に折り鶴をイメージする慰霊碑が天に向かって羽を広げていた。