夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

障害者週間記念「みんなちがってみんないい」開催

2012-12-03 12:33:50 | 福祉について
12月2日(日)

 障害者週間記念行事「みんなちがってみんないい」を岩木文化センター あそべーるで開催しました。
 写真は生活介護のメンバーによる「静かな森の大きな木」の一場面です。

 樹は動けないけれど、木の葉となって想いは旅をするという筋書きに見えました。
 
 その後益田 彩乃さんのコンサートです。

 エレクトーンの軽妙洒脱な演奏と、ソプラノの天使の歌声のような演奏を楽しみました。こんなに素敵な歌声を身近に聞けるのは、幸せなことです。

 戦争や原発事故の災禍が収まるのではないかとすら思える、とっても至福の時間でした。

 会場では押し花作品や、陶芸・書道作品が展示されました。

 

 



 
 

八戸市での研修会に向かう

2012-12-01 06:25:02 | 福祉について
11月29日(木)から30日(金)

 前日の夜は木枯らしが吹き荒れ、雷が鳴り続いていた。29日の朝はなんとか天候も持ち直しているが、空気は冷たかった。朝7時30分自宅を立ち、この日から2日間の八戸市での障害者福祉の研修会が開催されることになった。
 通常では私の出番はなく若い職員を優先するのだが、今回はいつも交友頂いている方からのシンポジウムへの登板を受けざるを得なかった。
 今回の研修会テーマは、「共生社会を目指して」ということなので、格別の思いも私にはあった。

 34年前に弘前に移住してきた私は、地縁・知縁もない土地で障害を負った娘たちと新たな暮らしを始めることになったからである。ところが、就職できる予定だった新たに立ち上がる予定の障害者施設が一年先送りにされたということが弘前に来てからわかった。 結局その法人とは縁を結ぶことを諦めた。正職員から失業者の身分を甘んじて受け、職業安定所の行列に身を置くことになったのである。
 幸運にも義母の知縁の力によって、H市役所福祉事務所の嘱託職員としての採用となり、5月から生活保護担当課の医療係付き嘱託職員となった。
 その医療係の上司が、現在の3代目T理事長である。
 2台目のI理事長は同じ福祉事務所の保護課で係長だった方で、初代I理事長は県庁で県庁初の女性課長(障害福祉課)になられた方で、この方が法人を立ち上げるきっかけを与えてくれるために私の肩を押してくれたのである。
 こうした出会いがなければ、現在の私は存在しないのだ。

 結局翌年の2月に福祉事務所を辞し、件の現在の3代目理事長の父上の所属する社会福祉法人の特養が4月に開設するため、その開設準備をすることになったのである。
 当時の青森県の障害者福祉は入所施設一辺倒で、在宅の障がい者は重度であることにより入所か、自宅に幽閉される以外選択の余地はなかったのである。

 この後私の娘たちの介護や療育は、もっぱら家内が務めることになって行くのである。

職員会議~みんなでひとこと

2012-11-28 06:57:25 | 福祉について
11月27日(火)

 間もなく12月、「師走」と呼ばれる一年最後の月がいよいよ迫った。迫ったと感じるのは、来月があうん作業棟の増築工事のスタート月でもあるからかもしれない。
 「地域で普通に暮らす」を目指して法人を立ち上げ、その成果が少しずつだが感じられるようになった。私が青森県に来て34年目、そして障害者福祉を手がけて18年目のことである。「普通」って基準は何?と聞かれたことがある。「普通の社会生活」とは「通常の社会人が、生きる人生の平均的日常生活の継続」とでもいうのだろうか。「劣等処遇の原則」とかいう考え方(=「価値観」)があったが、公的サービスを受ける人の「処遇」は「通常の一般社会での生活よりも低い暮らしの保障」とかいう考え方である。
 ノーマライゼーションでいう「普通の暮らし」は、そういう価値観ではない。「等生化」と訳される場合もあるが、「平等」という「他の市民と同じ権利と義務を持つべき」ということだけではなく障がい者(知的)をその障害とともに社会が受容することであり、彼らにノーマルな生活条件を提供することである」と。(バンクミケルセン)
 ノーマライゼーションは障がい者個人に働きかけ、障がい者も健常者の考える「ノーマル」にしようというするのではなく、障がい者も健常者もともに支えあい快適に暮らせるようにするために環境に働きかけることの大切さを示している。

 法人全体職員が話し合う機会の、「合同会議」が開催された。今回は各事業所の職員が、自身の職域の活動状況を紹介し理解を求めてもらうことになった。
 これまでの会議のあり方では、いつの間にか上司から部下への下達的な雰囲気があり、話す人は決まっていた。今回の会議では話そうとしない人達に、発言をする機会を求めたものであった。こうすることでそれぞれがどのような活動をしてどのような課題を抱えているのかや、これからの方向性を探る上でも非常に全体の活動がわかりやすく見えてくる気がした。誰でも最初は多くの人の前で意見表明をすることは緊張もすることもあるが、少しずつその経験によって自信をつけることができるようになるのだとそう思う。
 だらだらと会議をするのではなく、90分の中で当日の目標を確実に遂行して、キリッと終了する会議は今後も堅持して行けたらと思う。

拓く人

2012-11-27 07:19:26 | 福祉について
11月26日(月)
 
 朝から雨がちの一日。
 次女は昨日のパンパンに膨らんだお腹も嘘のように、今朝方はぺしゃんこになっている。午前中は通院のために一応絶食を指示されており、水分はOKとのことでかぼちゃスープを口に近づけるとすんなり飲んでくれた。結局2杯も飲んでくれて、少し安心している。主治医のもとへ通院し腸の具合が完全ではないものの、食欲が出て水分も取れるとのことで入院は回避できた。

 仕事場に何とか戻って、その足でスタッフと五所川原市にあるビータという事業所を訪問する。再来年卒業予定の発達障害の少年の卒後を託せる場として、そういう特性を持つ人達の特化した事業所が県内に2箇所あり、母親に同行したのである。
 事業所の理事長さんはまだ30代前半の若さだというが、どことなく昔の武田信玄を彷彿させる武将のような風貌だった。児童の支援事業を行なっている他、生活介護事業所として野菜カフェを開業し(定員10名)、グループホームに現在は4人入居しているという。
 何よりも私の感心したのは、理事長の見ている方向性である。「どんな人も地域で暮らす社会」づくりをしようというのである。
 法律の中でありきたりの形態や活動を志向するのではなく、社会人としての彼らを少しでも社会になじませる努力をしている。地域を開こうとする彼の姿勢そのものは、圧倒的に開拓者の眼であると思う。久しぶりに刺激的な人と出会った一日であった。

収穫祭開催

2012-11-24 09:30:31 | 福祉について
11月23日(金)勤労感謝の日

 あいにくの寒い一日、冷たい雨がそぼ降る天候の「収穫祭」でした。
 それでも一年の収穫に感謝し、集まったのは各事業所のメンバーさんと保護者、ボランティアさんです。
 社会福祉法人 抱民舎も芸達者の職員が増えてきました。サックスとピアノ、ドラムズ、アコースティックギター、オカリナなど多彩です。
 この日もディズニーのメロディを演奏して喜ばれた三人です。


 外では冷たい雨にも負けず、抱民舎特性の焼き芋機での石焼き芋がどんどん完成していました。ついでに焼きリンゴもできました。

 
 お昼ごはんは法人の畑で栽培した枝豆ご飯と、ジャガイモの入った豚汁などが並び、リンゴやりんごジュースもとても濃厚な味で美味しかったと好評でした。
 

  
 食後はメンバーさんたち中心のミュージックパフォーマンスやショートミュージカル「静かな森の大きな木」や「ジンギスカン」踊りなどが賑やかに展開されました。
 
  
 メインイベントはわがスタッフの参加する異業種「ファミリーバンド」のコンサートでした。いやあ生演奏は、障がいなどには関係なくみんなが惹きこまれますね。

書を愉しむ会

2012-09-09 07:16:19 | 福祉について
 もうすぐ「あうん感謝祭」(9月22日~23日)が予定されています。あうんが地域の中で順調に活動を展開できているのは、地域の皆さんのバックアップがあったからという感謝の気持を持とうとスタッフが話しあって命名しました。
 今年新たに活動を始めたのは、「陶芸」と「書を愉しむ会」です。
 二つの活動も地域の方にご指導に参加していただいて、初めての文化祭が行われることになります。
 先日作品展準備のために、書を愉しむ会が開催され冒頭の写真の作品が生まれました。
 脳性麻痺の18歳の女性です。彼女は意欲的な生き方をしており、特に車椅子サッカーや書道、詩を作ることなどにも積極的です。
 彼女が幾つかの作品を書いた中で、私の目を引いたのがこの作品でした。お母さんが彼女の社会活動の背中を協力に押し続けていてくれる感謝の気持が、まさに力強く字の中にあふれている気がして思わず写真を取りました。
 

在宅障がい児・者福祉ニーズの変化

2012-08-19 06:44:59 | 福祉について
 今年に入ってから、障がいのある子供たちの福祉事業所が増えたという実感があった。
それは「児童ディサービス」と「放課後ディサービス」という新規事業が国の事業として新設されたことによる。
 私が弘前で障がい児・者の福祉課題に取り組んだのは18年前のことで、その時代は圧倒的に入所施設しかなかった。通所施設はかろうじて弘前市に1箇所あったが、それさえも重度の障がい児者は対象外であった。
 私はどのような障がいがあろうとも、地域で暮らし続けられる社会づくりを目指して、働く親たちを支援しようとした。親が働いている間、障がいのある子供たちが日中活動ができる場を確保するための条件づくりこそがテーマであった。
 親たちの働くを助けるためには、遠い山間部の場所にしかない養護学校の送り迎えを行うこと。そして放課後を樂しく過ごせるようにバックアップすること。母親の休養保障を「レスパイトサービス(レスピットとはホッとするという意)をもう一つその要件に加えた。それを制度のない中で開始して、口コミで広がった。個人負担の多いこのサービスを、県への提言によって、「短期入所事業」という国の制度を利用して実施がなされた。そして自立支援法の中で「市町村生活支援事業」の中で、「日中一時支援事業」と言う名前で継承された。市町村事業の報償単価が低廉なために、他事業所では利なしと考えるところが多かったのか、わが法人の利用率が大幅に増加するまでは取り組もうとしなかった。もしくは取り組みに消極的であった。人件費にもならない単価水準は、ノーマライゼーションなどという言葉では無力であった。
 児童福祉法が改正になって、その中で国が新規事業として打ち出した「児童ディ」と「放課後ディ」はまさにその事業者側のやる気を起こさせる単価保障があって、あっという間に事業所が二桁になった。わが法人は「日中一時支援事業」だけを現在行なっているが、あっという間に親たちは個別支援の可能な新規サービス事業所へ移っていった。
 日中一時支援事業は、個別支援が難しい。従来の事業利用者(成人)と一緒に活動しなければならないために、個々の年代や障害程度、障がい種ごとには支援できない事情がある。まして中学部以上になると下校時間が遅くなるために、事業所での滞在時間が短く、収入増にはならないのである。そのためか児童ディや放課後ディは小学部に通う子供たちの奪い合いが始まっているのだ。
 逆に利用する側から言えば、自分の子供の福祉や教育ニーズによって事業所を選んでいるように見える。
 これはまた新しい時代の画期的な進化とも言えるのかもしれない。事業所側から言っても、一番の課題は人件費確保なのである。10名程度の事業であっても、2千万円を超える報償単価がそこにあると知れば、食らいついていく事業所は数多いことは頷けるのだ。
 たまたまではあるが、わが法人の日中一時支援事業の拠点施設の改修工事が間もなく始まり、その建物が使用できないことから、児童館を借り上げた。12名ほどの児童だけそこで活動を開始してみたが、予想以上に児童の自立度の向上が見られた。
 生活介護の利用者と一緒に過ごしていた時には、個々の利用者が発揮できなかった能力がずんずん広がっている。目が見えない女児は手探りで自分の遊び場を探して目標に到達できるようになった。寝てばかりいたような発作の多い男児も、自分で食事も自立し、活動的になった。
 この10名程度という単位が、まさに一人ひとりを活き活きさせる数なのかもしれない。スタッフも雑居の混乱から、少数化による支援の明確化ができる環境を自覚できたようだ。
 入所施設はますます、特定条件の人達だけの場所に変わろうとしているのかもしれない。
 

60歳以上人口の3人に1人

2012-04-18 06:54:42 | 福祉について
4月18日(水)

 今朝の朝刊に60歳以上のシニア人口が4,100万人で人口の3分の1が60歳以上だと書かれていた。自分も含めてその中に位置するのを見て、高齢社会がずんと重たくなっているのを感じる。
 そしてさらに記事の中には、平均余命についての記載があり、男性が23年、女性が28年で、何れにしても平均的には人生90年時代の到来ということがうかがえた。
 ショッキングなことは更に続き、年金の年間所得平均では一人年間198万円で、世帯収入は平均308万円だという数字である。私の65歳からの年金額はこの額よりの低くて、本当に年金だけで暮らせるのだろうかと思う。家内の年金と合わせても、300万円を下回るのだ。私は80才まで生きる自信はないが、残された家内は果たして貯金を崩しながら90歳まで暮らせるのだろうかと思う。
 そういう意味では、いかに健康生活と質素倹約的な生活がこれから求められるのかと想わざるをえない。働けるうちは働いていた方が、生活水準は安定することは間違いない。あと5年間はなんとか健康で暮らしていこうと強く思う所以である。
 ウォーキングでの通勤生活もようやく1週間で、いよいよ来週からサイクリングをスタートさせたいと心ひそかに思っている。

社会状況の変化

2012-03-26 17:26:56 | 福祉について
 弘前市はこのところNPO法人等が「児童ディサービス」を運営する事業所が増えてきたなと感じます。今から18年前には入所事業所しかなかったのに、いまや通所事業所がどんどん増えて来ました。さらに今は児童ディや放課後ディが単価の関係もあるのか、増えているような気がします。いずれにしても入所という考え方が、少しずつ地域で暮らそうという姿勢に変化してきたことが背景にあるように思います。身近な場所に通えるようになったことは、本当に喜ばしいことだと思います。私たちが始めた通所送迎サービス事業も、ほとんどの事業所が実施するようになってきました。学童保育としてのスタートが、こうして認知されたことを喜びたいと思います。

進歩するということ

2012-02-07 16:23:22 | 福祉について
 法人ができる前からお力添えいただいている初代I理事長が、本当に久しぶりにお顔を見せにおいでになった。彼女は県の障害福祉課長や児童相談所なども経験されてきた方であり、そのこともあってかときどきは手厳しい指摘もされるのである。
 きょうは重度障がいのメンバーの進歩について、「もう少し変わっているかと思ってくるのだけれど、なかなか進歩しないものねえ」と嘆かれるのである。
 私も時々スタッフの仕事ぶりには感謝しつつも、もう少し重度障がいの人たちの支援方法を工夫したらどうかと思うことがある。現状はほとんど身体介護やリハビリという観点ではよくやってくれていると感じるのだが、彼らの日中活動の内容がかなり中身がないことは感じるのである。

 ちょっと工夫すれば、手作りでも彼らの知的関心を刺激することができる気がしている。このところ学校の放課後を利用する元気坊主が、私の顔を見れば「何か作って・・・」と催促するようになっている。それは手作りで彼らが楽しめる遊び道具をいろいろ作って、遊ばせているためなのだ。「おや?」と思うような何かを準備して、彼らの関心を高めるための工夫をすることで彼らは進歩していくと思う。きょうはボールの出る不思議な箱と、空気鉄砲を作成した。Aさんはそれで遊びを楽しんでいる。
 きわめてこの手作りおもちゃも、個別的な興味や身体能力に影響されるのだ。現にこれこそB君に喜んでもらえると思って作っても、片麻痺や脳性まひの方では、効果が出にくいものもあるのである。失敗は成功の母というが、まさにそれは提示してみないとわからないのである。そして大いに受ければ、私としてはとてもやりがいのある喜びにつながっている。
 さて、今度は何を準備しようかな・・・。