音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

ロンリーハート ~90125~ (イエス/1983年)

2013-01-23 | ロック (プログレッシヴ)


正直、このイエスサウンドには驚いた。前作「ドラマ」で、メンバーが大きく変わったものの、サウンド的には軌道修正を図れたと共に、イエスの伝統的な部分を継承しつつ、新しい段階に入れたらと筆者的には感じていたからである。だが、どうも一般の音楽評論家には受けがよくなかったし、その大きな原因として、イエス=ジョン・アンダーソンという図式が彼らに根付いていたのも事実で、同時にリックも一緒に退団したわけだ。この二人なしのイエスに対する不安感を当時(あるいは現在でもイエスの歴史を語る際に)、衰退期と称していた。ただ、筆者的には前作に関してなんの不安も感 じず、また、逆にバグルスの二人が入って、音が然程変わったという感もなく、寧ろ、当時としてはちょっと違ったイエスを演出したことに関して大変期待を持ったのと、同時にイエスはやはりクリス・スクワイアだと、彼がいる限りこのイエスサウンドはしっかり守られているというそれまでの仮定に確信を持ったのであった。

しかし、残念ながらこの時代にプログレは、最早過去の遺物になっていた。それはイエスだけでなく、パンクの胎動と、ニューウェーヴがメインストリームになりつつあった時代、例えば、ジェネシス(因みに筆者はこのバンドを入れて5大プログレロックバンドとは思っていない、4大プログレ主張者のひとりであるが)は完全にプログレを捨てていたし、そもそもフロイドは「ザ・ウォール」の発表により、プログレのフロイドではなく、それ以上の地位に君臨する立場になった。クリムゾンELPも既に70年代に終わっていたし、商業音楽はプログレハードロックという訳のわからないジャンルを設け、そこに新しい金蔓を求めていたのも事実である。この段階においてイエスも事実上の解散(活動停止)となったが、その後、クリスはアラン・ホワイトと共にあのツェペリンのジミー・ペイジとXYZ(由来は元Yesと元ZeppelinでEx.Y,Zから命名したと言われる)を結成したがリハーサルだけで終わってしまった。一方、スティーブ・ハウは、ジェフ・ダウンズと共に、キング・クリムゾンのジョン・ウェットン、ELPのカール・パーマーと共にエイジアを結成したが、これがまさにイエスの全盛期に勝るとも劣らないビッグ・メンバー、しかもプログレファンに取っては、元3大プログレバンドの共演となり期待が膨らみ、結果、大当たりしてしまう。1982年のデビューアルバム「詠時感~時へのロマン」は全米チャート8週連続第1位、全世界で1500万枚のセールスに繋がった。このことにクリスがどう影響されたかは分からないが、寧ろ、これに感化されたのはジェフ・ダウンズと別れた元バグルスのトレバー・ホーンの方で、彼はクリスに働きかけ自らプロデュースを買ってでたが、クリスは同時期、トレバー・ラビンという全く新しいタイプのギタリストと合流、アラン、それにサードアルバムまでイエスのメンバーだったトニー・ケイと合流し「シネマ」というバンドを結成していた。そこでホーンは彼らにデモテープを作成させ、それをジョン・アンダーソンに聴かせ納得させて、ジョンが合流したと同時にイエスを再結成させたのである。新しいギタリストのラビンはスティーブとは全く違う、どちらかと言うとヘビメタの様な音。また彼はマルチ・プレイヤーでもありヴォーカルも取り、特にキーボードは、相変わらず旧式のプレーでサンプラーなどが嫌いなトニー・ケイに変わってラビンの演奏も多く、結局、ツアーの前にトニーは解雇されてしまう。しかし、この新生イエスの評価は高く、シングル"Owner Of A Lonely Heart"は全米No.1、多くの国のチャートで1位を取り、これに牽引されこのアルバムも大ヒットになった。

クリス・スクワイアはこの曲を、80年代の"Roundabout"(全米で13位)だと言っている。"Roundabout"はイエスを最も象徴する曲、言わば代名詞みたいなものだ。この作品でイエス自体が変ったのだ。しかし、同時に筆者に於いては驚き、そしてトレバー・ラビンという新しい才能に出会えたことは嬉しかったが、一方でイエスとの付き合いは残念ながらここまでだった。無論、この後の作品も聴いてはいるが、「尊敬するミュージシャン」であったのは、やはり"Roundabout"が代名詞だった時代までである。


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