音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

リザード (キング・クリムゾン/1970年)

2010-08-22 | ロック (プログレッシヴ)


「ポセイドンのめざめ」のところでも書いたが、このころのキング・クリムゾンというのは不思議な集団であった。このバンドを1979年までの間で大きく前期、後期で分けると、前期を牽引していたのは「クリムゾン美学」であることも、「ポセイドン~」のレビューで触れたが、この「リザード」というアルバムを通じて、そのことに関して深く掘り下げてみたい。

単純に他のプログレ大御所バンドとの比較論で行けば、1970年時点で最も知名度もあり、功績があったのは(当時、プログレッシブ・ロックと呼ばれていたか否かは別として)、キング・クリムゾンだけであったといっても過言ではない。そしてその殆どは「クリムゾンキングの宮殿」で作られたものだ。要はこの当時はキング・クリムゾンだけが突出していたというより、クリムゾンだけしかファンに公認されていなかったという言い方が正しいし、しかも、「宮殿」だけが評価されていたという見方もできる。そして、「ポセイドン」によってその意思が引き継がれたのだが、そこには既にバンドという実体がかなり希薄になっていた。大体、名曲「21世紀の精神異常者」にしたって、リリックのある部分以外はすべて即興演奏と言っても良い。日本でもプロバンドである人間椅子(イカ天ファンには懐かしい~)がコピー演奏しているが、彼らの様な超テクニシャンでもこのスタジオ録音盤の演奏再現は難しく、実際、後年、後期クリムゾンが「USA」でライブ再現している演奏は、ウェットンとブラッフォードの当時最強のリズムセクションだったから可能ではあるが(でもベースラインはライヴの方が面白い、パーカッションもビルらしい)、その後に目立った演奏は殆どなく、要するに、これは音楽というより練習盤である。クラシックの音楽家は良くピアノ練習曲を書いたが、これはその名の通り、クラシック音楽としては簡単なもので、寧ろ楽典の理解に適しているものであった。しかし、クリムゾンの「プログレ練習曲」は、さすがに再現が難しく、同時に「ポセイドン」のメンバーを持ってしても「宮殿」を超えるどころか、近づける質の高い音楽を作るのを断念したのだと考えられる。従って、この収録後に、グレック・レイクとマイケル・ジャイルズが脱退し、既にこの時点でクリムゾンは結成時の主要メンバーであるイアン・マクドナルドも含めて3人が脱退するという事態になった。バンドというのは、どんなに方向性や音楽ポリシーが合致していたとしても、テクニックが同等でなければ楽曲は成立しない。メンバーが半分以上いなくなるというのはもはやバンドとしての形を為していないのであり、そこに残るものしこうありたいという願望、こうあるべきだという理想、そしてそれらがクリムゾン美学としてこのバンドに継承され(以前書いたようにピート・シンフィールドがその概念を構築した)、まさに、宮殿という名の音楽道場を設立したのである。このアルバムに関して言うと、。例えば23分にもなる「リザード」が大作だと言うが、既にこのアルバムの直前に、フロイドが「原子心母」を発表し、このジャンルの大作は確立している。寧ろ、このアルバムでは、最初の3曲の方が短い時間の中に凝縮された良い作品になっていて、これぞクリムゾン美学である。レイクが確立したアコースティックの使い方、イアンが提唱した管楽器の被せや、ジャイルズにより完成されたジャズとロックを融合したパーカッションが見事に伝承されている。これは教科書通りである一方、さらに、それを応用した人物がいる。そう、ジョン・アンダーソンだ。前述した23分の「リザード」に参加している。しかし、彼ほどのミュージシャンはこれで満足する訳ない。だから彼はイエスに戻って、長いだけでは無い本物の大作「危機」を作り上げるのである。宮殿という名の音楽道場は素晴らしい後継者を育てることにも成功した。

可なり勝手に理屈を展開したが、こうとでも考えない限り、この「リザード」及びこの時期のクリムゾンが何故存在していたのかに関しては私は理解も納得もできない。しかし、さすがに英国の音楽シーンというのは、商業主義のアメリカと違い、こういう美学が存在していたという点に関しては、クリムゾンがそうだったかどうかという仮説とは別に間違いなく、素晴らしい土壌である。


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