すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

訂正と補足

2022-02-11 10:08:04 | 音楽の楽しみー歌

訂正:昨日の記事をアップした後で念のために「朝倉ノニーの歌物語」にアクセスしてみたら、ぼくはフランス語の大きな間違いをしていることに気づいたので、訂正しておきたい。

 第三節の「時の調べを生きていた」と訳したところは原文では
   Et nous vivions de l’air du temps 
だが、「vivre de l’air du temps」は成句で、「無一文で暮らす」という意味なのだそうだ。
ただ、貧しく、腹が減って、というのがすでに繰り返し出てくるし、

「時の調べを生きていた」⇒「霞を食って生きていた」 と訂正したい。

(「l’air du temps」に含まれる詩的ニュアンスは残しておきたい。例えばニナ・リッチの香水「l’ air du temps 」はやはり「時の調べ」だろうし、ここを単に「無一文」とするのはやや寂しい。「かすみを食べて生きる」の訳語は「ロワイヤル仏和中辞典」にあった。)

ついでにその前の「誰もが」はやはり「二人は」に訂正しておきたい。これは、浮草暮らしをしている仲間たち全員を包みたかったので、勇み足。
 ぼくはシャンソンに関心を持っていた時期は比較的短かったので、調べ足りないところはいろいろある。朝倉ノニーさんの上記のサイトは大変詳しく、教えられるところが多い。これを読んでいる人は関心があったらそちらも当たってみてください。

補足:「ラ・ボエーム」はもともとはプッチーニの有名なオペラのタイトルだ。主人公は絵描きではなく、お針子のミミと詩人のロドルフォだ。こちらは「冷たい手を」、「私の名はミミ」、「愛らしい乙女よ」、「あなたの愛の呼ぶ声に(ミミの別れ)」、「みんな出かけてしまったの?」など、心を震わす名曲が目白押しだ。ただ、オペラはそういうものが多いが、ストーリーはややお粗末だ。これは名曲集として聴くほうが良いかもしれない。あるいは、映画のほうが良いかもしれない。アンナ・ネトレプコがミミ役を演じた2008年の映画は哀切で涙が止まらなかった。
 オペラの舞台は1830年代のカルチェ・ラタンだが、これは「レ・ミゼラブル」の中の学生たちの蜂起(1832年)と同時代だ。
シャンソンの「ラ・ボエーム」は主人公を絵描きに絞って、したがって舞台をモンマルトルに移した。こちらは歌があるだけで、どんな物語があるのかはわからない。(ぼくは「ラ・ボエーム」を最初に聴いたのはアズナヴールの歌唱ではなくて、ジョルジュ・ゲタリーという歌手のものだった。感情がこもらなくて上っ面な歌だった。シャンソンの10枚組のCD の中にあった。これは1965年のオペレッタの中で使われたものらしい。それは見ていないし、見るつもりもないが。)
アズナブールの歌の素晴らしいところは、オペラとは逆に、それを聴くぼくたちが、聴きながらめいめいの青春の物語を重ねられるところにある。例えばぼくの年代なら、5月革命のパリに重ね合わせることもできるし、あるいは茗荷谷の、今は無い東京教育大学のキャンパスに重ねわせることだってできる。
 個人的には、ゴットフリート・ケラーの小説「緑のハインリヒ」の、ミュンヘンの画学生たちの極貧の青春を連想する。同じような青春がいつの時代にもあちこちにあった。

 

コメント
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