すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「ラ・ボエーム(浮草暮らし)」

2022-02-10 07:37:25 | 音楽の楽しみー歌

 ネーサン・チェンがこの曲でショートを滑るのを見ていて、「ああ、懐かしい!」と思った人はかなりいるのではないだろうか。何よりもまず、アズナヴールのあの声の響きが懐かしいし、その声から紡ぎ出されてくる、ぼくの青春が、ぼくたちそれぞれの青春が懐かしい。
 今日の昼にフリーがあるそうだから、そこでは別の曲が使われるのだろうから、それが始まる前に、急いで訳を掲げておこう。

      シャルル・アズナヴール (樋口悟:直訳)

未成年には分からない
ある時代の話をしよう
あの頃モンマルトルでは
リラの花が窓辺まで咲いて
ほとんど家具もないぼくたちの巣は 
ひどくみすぼらしかったけど
そこで二人は出会ったのだ
ひもじさに悲鳴を上げていたぼくと
裸でモデルをしていた君と
  「ラ・ボエーム」「ラ・ボエーム」
  その言葉は「二人は幸せ」って意味だった
  ラ・ボエーム ラ・ボエーム
  二日に一度しか食べられなくても

近くのカフェでぼくたちは皆
栄光を待つ者だった
空きっ腹を抱えて
惨めではあったけど
そう信じて疑わなかった
そして どこかの居酒屋が
暖かい食事と引き換えに
一枚の絵を取ってくれると
ぼくたちは詩を口ずさみ
ストーブの周りに仲間たちと集まって
冬の寒さを忘れた
  ラ・ボエーム ラ・ボエーム
  それは「君は美しい」って意味だった
  ラ・ボエーム ラ・ボエーム
  ぼくたちはみんな天才だった

ぼくはよく画架に向かって
君と幾夜も夜を明かした
君の胸のふくらみや腰の線の
デッサンを描き また直しながら
ひと椀のカフェ・オ・レを前に腰を下ろすのは
もう明け方だった
へとへとになりながらも夢見心地で
抱き合わずにはいられなかった
人生を愛さずにはいられなかった
  ラ・ボエーム ラ・ボエーム
  それは「二人は二十(はたち)」って意味だった
  ラ・ボエーム ラ・ボエーム
  誰もが時の調べを生きていた

あるとき 偶然に導かれて
ぼくたちの古い住みかの
界隈を一回りした
見覚えのあるものは何一つなかった
ぼくの青春を見ていたはずの
壁も通りも
階段を上がってかつてのアトリエを探してみたけど
もう何も残ってはいなかった
新しい大道具に囲まれた
モンマルトルは悲しげで
リラも枯れていた
  ラ・ボエーム ラ・ボエーム
  二人は若く 愚かだった
  ラ・ボエーム ラ・ボエーム
  その言葉にはもう 何の意味もない

注1:リラの花はフランスでは青春の象徴です。だから、かつては貧しい二人の窓辺に咲き、今はもう枯れている。だから、「リラの花の咲く頃」、人々は愛を語る。また、だから「過ぎ去りし青春の日々」で、青春はリラの色をした瞳を私から背けてしまう。そういうことが本当は分かっていないと、「涙の向こうで揺れているリラ」や「窓辺に開くリラの花」が、単なる小道具になってしまうと思います。

注2: 原曲でMontmartreには八分音符2つしか充てられていないのに、日本語のモンマルトルは音符5つになっている。これは日本語の特徴で仕方ないし、そこが短所なだけではなく長所にもなりうる(俳句や短歌の短詩形を発達させた)のですが、歌の詞として訳そうとすると「愛の部屋で」「愛の眠りの」「愛の街角」などのあいまいな決まり文句を採用せざるをえないのは残念なことです。ただ、そんな条件の中でも、なかにし礼さん訳の歌詞はさすがに簡潔で素晴らしく美しい。

コメント
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