すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

アフター・コロナ

2020-08-27 12:50:00 | 社会・現代
 一週間に一度か10日にいちどほど電話をくれる友人がいる。彼は建築家で、語学の大天才でもあるのだが(その話は別途することにしよう)、ぼくと同じ年で持病があり、今仕上げ間近の仕事を抱えている。そして、今時、いまだに家にTV がない。だから、コロナ感染症についての、「大丈夫かねえ?」「これからどうなるんだろう?」というような電話をくれるのだ。それでぼくは、「大丈夫だよ。手を洗ってマスクをして、密を避けるように気を付けてさえいればまずうつらないよ。仕事が完成して、コロナが一段落したら、神代植物公園でも散歩して、そばでも食おう」というような会話をするのだ。
 
 コロナは、いずれ克服される。これまでにも治療は不可能と思われていた病気に対し、人間は治療方法や予防方法を見つけてきた。例えばエイズやハンセン病など。コロナも、いずれは治療法やワクチンが見つかり、有効な感染防止法が見つかり、普通のインフルエンザと同じように付き合っていけるように必ずなる。
 それまでの間、観光業や飲食業や、育児中の人や介護中の人は本当に大変だろうが、ぼくたち老人には、注意して生活するよりほかにできることはない。健康を維持し、気持ちを維持するほかにできることはない。健康を維持し、気持ちを維持するためにしないほうが良いことはなるべくしない。そして、できること、したほうが良いことはなるべくしよう。

 「アフター・コロナ」という言葉がしばしば言われる。たいていは、AIの技術の更なる発展、とか、そのうちの一つだが、今まである場所に行って、人に会って、していたことをリモートでするとか、ヴァーチャルで済ますとかいうことが多いようだ。
 年寄りは、そういう潮流には乗らないことにしよう。
 今から、残り僅かな時間を、時代のトレンドに乗ったり踊らされたりするのは止そう。自然の中に出かけて行こう。人に会おう。「便利」で「お得」な方法ではなくて、ゆっくりと豊かな時間を楽しもう。

 忘れてはならないことがひとつ。
 コロナより熱中症のほうがはるかに深刻な問題であるということ。
 熱中症は、つまりは地球温暖化の一つの表れであって、豪雨災害も農産物の不作も、つまりは飢餓も、砂漠化も絶滅危惧種の命運も南極・北極・ヒマラヤなどの氷雪の消失も、すべて一連の問題だ。
 世界各地で起こっている武力衝突や戦争も、旱魃や飢餓が一因となっているケースが多い。
 先進諸国内の格差の拡大、貧困の問題も、外部から利潤を上げられなくなった(収奪できなくなった)分を内部から上げることに起因するから、やはり同じ問題の一部だ。
 これは、ワクチンが開発されるまで耐えて待っている、ということだけでは済まない。大してできることはなくても、目だけはしっかり見開いて注視していよう。そして、声を上げよう。
コメント
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