東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

68年目のヒロシマ原爆忌

2013年08月06日 | インポート

Photo 広島への原爆投下の約1か月前にイギリス政府がアメリカ側に同意を表明していたことが、機密指定を解除された米公文書で裏付けられた。(共同通信7/4)この公文書では、イギリスは、大戦末期の1945年7月4日にワシントンで開かれた原爆開発協力の合同政策委員会の会合で同意していたとしている。20年ほど前に東京教組の「ヒロシマ子ども派遣団」に参加し、そのイギリスに留学した経験のある教え子からの報告を紹介する。

 初めて派遣団に参加したのは確か10歳の時。とにかく原爆資料館のジオラマとケロイドの写真が怖くて足早に展示の前は通りすぎたのをよく覚えています。結局それ以降毎年派遣団に参加し、その頃の春休みの恒例行事になりました。最初は親の意向による参加だったと思いますが、最終的には派遣団の経験は、自分の世界観や思想が形成される過程でその礎となったと今振り返って思います。広島や長崎への原爆投下はさらっと学校で習いますが、自分自身の目と耳で受け止める歴史はもっとずっと奥深くて複雑に交錯している。実際に自分で情報を能動的に処理していく癖も、派遣団に参加したことがきっかけに鍛えられました。
 
私は19歳から海外で暮らしましたが、やはり西側の第二次世界大戦に勝った国々の若者は「正義のためには戦もやむを得ん」と圧倒的に思っている。ナチスを阻止するために必然だった戦争という認識です。そんな人たちと「いや、そうじゃないんだ」と議論する時は必ず広島の原爆の話をしていました。銀行の階段先に座っていた人を一瞬にして蒸発させてしまう原爆も、正義のためには必要なのか?と。感情論ぽくなるのですが、それでも実際に自分が広島で見てきたことを伝えると相手は誠実に耳を傾けてくれました。
 
政治や歴史について議論するときは同意に至る必要なんて全くないと思いますが、それでも自分が広島で学んで形成された平和への思いはきちんと声にしてこそ意義があるのかなと思います。歴史の大きな流れの中で一個人に一体何ができるのかと思うことも多々あります。しかし、いつの間にか戦争がまた始まっていて、いつの間にか人を殺していて、という流れが完全に無いとは言いきれない昨今の流れの中で、ちょっと待った!と声に出していきたい。それは派遣団で広島に行き、原爆が投下された時あの場所で何が起こったのか学んだからこそ言わなくてはいけない、責任みたいなものかなあと思います。

 「2020年までに核兵器の廃絶を目指す」と今日、松井広島市長は平和宣言で決意を述べた。そのためにも、「正義」で核兵器を正当化することはできないことを「事実」で語っていくことの使命を新たにした。

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