東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

子どもを追い出すことで問題は解決しない!

2016年02月12日 | 日記

 「大阪の現状を見てください。実際に問題行動をする子どもたちのせいで学級崩壊しているクラスもある」。これは、大阪市が「個別指導教室」を作ろうということについての記者の質問に答えた橋下市長の言葉だ。要するに問題行動をおこす子どもは、授業を乱して他の「まじめ」に勉強したい子どもたちの迷惑になるから、特別教室へ送った方がよいという。では、いったいどんな子が「特別教室」に送られるのか。
 授業のじやまをする子? 残念だがほとんど、どの子も授業のじゃまをする。先生の話などそっちのけで勝手にわいわいがやがやしゃべりだす。じゃまをしているなんて思っていないでじゃまをする。調子にのってふざけ出す子もいる。自分一人でふざけていればいいのに、周りをまきこむ。
 こういう子たちをみんな特別教室に送ったら、静かでいい。でも教室にはだれもいなくなってしまうかもしれない。そして特別教室が「普通」の教室になり、そこでまたじゃまをする子がいたら特別教室の特別教室が必要になる。
 もっとすごい「問題行動の子」を送るのだと言うかもしれない。でもそれよりもすごい問題行動って何だろう。授業中立ち歩く、大声を出す。友だちをつつく・・・ひとりのそういう子がいなくなれば、教室は落ち着くか。というとそうはいかない。必ず、残された子たちの中から代わりの子がでてくる。
 だいたい、まじめに勉強したい子っているのだろうか? おもしろい勉強なら、子どもたちは、まじめになろうとかそんなことを考えないでも真剣に学ぶ。つまらない勉強なら、騒いだり。いたずらを始めたりする。「学級崩壊」というのは、だれか一人が学級を乱しているのではなくて、みんなが何かに不満を感じて騒ぎ出すからおきる。教員の立場からすればおきてほしくないが、ある意味それは子どもたちの自己主張なのかもしれない。
 「学級崩壊」をおこさせないとかおこることはよくないと言うよりは、学級崩壊がおきたときに子どもたちは何を考え、何を求めているかを考え、そこを追求していったら、子どもたちが抱えている本質的な問題に出会い、教員も子どもも学び合えるかもしれない。
 本来、子どもたちは、枠からはみ出すものなのだと思う。騒いだり、暴れたり、いたずらをいっぱいしながら自分を表現し、成長していく、それが子どもなのだと思う。しょっちゅうもめごとをおこす子がいて、その子のことを個人面談で母親に伝えたら、その母親は涙を流してr先生、この子は大きくなったらどんな悪い人になるんでしょう」と言い始めた。ただありのままを伝えただけだった私はびっくりして「お母さん、ちがうんです。こういう子だから何の心配もいらないんです。無理していい子にしている子のほうが実はずっと心配です。」
 「特別教室」にその子を送ることでの教育的意味は見いだせない。子どもを追い出すところに教育はない。それで根本の問題は解決しないだろう。
(おかのとらのお)


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