日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

フキ味噌

2021年02月05日 | 社  食べ物

 

季節の贈り物

初物は75日長く生き

 

 

 

初物は縁起がよく、食べると寿命が75日延びると言われてきました。

 

フキ味噌の作り方  

 

 




       ふき味噌やご飯に添えてもりもりと (縄)

           ▽「どんどん食べるさま」「もりもり(と)食べる」
     ▽「もりもり(と)勉強する、頑張る」
    ▽「筋肉でもりもり(と)発達する」
        ▽「勇気がもりもり(と)わく、元気に成る」

 

 

 

コメ欄は閉めています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春一番

2021年02月05日 | 総  お天気


クリック拡大

中川の流れ、キラキラと照り光る

 

 

▽東京の都心で午後1時6分に15.2メートルを観測しました。

このため気象庁は、4日午後2時「関東地方で春一番が吹いた」と発表しました。

「春一番」は立春から春分の日までの間に初めて吹く南よりの強い風で、これまで最も早かった

1988年の2月5日を1日上回り、最も早い発表になりました。


新中川の流れキラキラ・・・と

 

 

 川面立つ「春一番」やキラキラと (縄)

 

 

コメ欄は閉めています

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

散策・高砂橋遠景

2021年02月05日 | 紀  東京下町の情景ウオッチ

葛飾区、青戸地域~中川(高砂橋)~高砂地域を結ぶ

付・奥戸、高砂の渡し

 

 

 

高砂橋(たかさごばし)は、中川に架かる東京都都市計画道路 補助280号の橋である。

現在の橋は2003年竣工の2代目であり、右岸 (西詰) の

葛飾区青戸二丁目と左岸 (東詰) の高砂二丁目の間を結んでいる



 高砂橋の橋示


 高砂諏訪橋からの高砂橋を見る。

 


 高砂諏訪橋歩道橋。東洋サッシュ跡の高層マンション


 船泊りが右岸に移動した、只今左岸工事中。

 


高砂橋、
右の高いビル葛飾一番高い「シティ金町マンション」

 
三角公園の中から見る


 三角公園から見る
10本のワイヤーと鉄骨の橋柱によって支えられていた。

 

「青戸」地名の由来

青戸=青砥説は、地名の類似から、また葛西城を藤綱の居宅跡と誤り伝えたことから生じたらしく、
いまだに混乱があるそうだ。 戸は津の転訛で、大昔の船着き場の意味

 

「高砂」地名の由来

高砂(たかさご・東京都葛飾区)は昭和7年の市郡併合までは「曲金(まがりかね)」と称した所です。
この曲金という地名は室町時代からの古い地名ですが、あまり語調がよろしくないということで、
明治時代、地租改正の時につけられた小字名「墨田・朝妻・出雲・須磨・明石・高砂・吾妻」の中から
最も縁起の良い「高砂」が選ばれたそうです。
(参考文献:葛飾区郷土と天文の博物館発行『かつしかの地名と歴史』)

 

 

 

コメ欄は閉めています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蕗の薹

2021年02月04日 | 自然  植物(木、花、苔を含む)

自然からの頂き物・”蕗の薹”

=春の香りを頂きます=

 

 

 

野の自然から頂いて来ました。

今朝ブログを拝見していたら、「momomamaさんのブログ」に蕗の薹の
便りがありました。

山育ちの縄文人が、忘れていた訳では有りませんが、ついウッカリ
記憶が遠い彼方にありました。

momomamaさんに礼を言い、「早速穴場中の穴場」に「蕗の薹」を
採りに行って参りました。

先ずは、momomamaさんに報告いたします。

 

  
  蕗の薹に夏みかん

 

吹き味噌は、明日じっくり作ることと致します。

今日は、藪の中に分け入ったために、ズボン&ジャンパーが草の実で

汚れました。


先ずは、衣類の洗濯を片付けてからです。

 

・蕗採りは藪に入りて衣に草が  (縄)

     ・蕗の薹ちょいの間採れる穴場かな (縄)

 

 

 

コメント欄はopenです。

コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅  梅

2021年02月04日 | 自然  植物(木、花、苔を含む)

立春・梅花を探しに / 神社の片隅に紅梅発見

 

 

天気良好立春晴れ渡った空、久方ぶりに散策へ。

水戸偕楽園の梅まつりも、1週間後だとか・・そんな思いを胸に奥戸・八剱神社の境内へ、

紅梅を発見した。

 

 

 

紅梅や鳥居をくぐり絵馬の前  (縄)

紅梅や此処社にや起の歴史  (縄)
【八剱神社は天文5年(1536)三河国碧海郡西端村の郷士杉村小左衛門が
当地を開拓するに当たり、守護神として勧請したものと伝えられており、
旧奥戸新田の鎮守社となっていたといいます。】

 

 

 

コメ欄は閉めています

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は何の日、早朝ラジオから・・・2月2日

2021年02月03日 | 総  放送(ラジオ深夜便含む)

終戦から28年、横井庄一さんが帰国

 

 

 

NHK5時から「まいあさ・ラジオ」を聴いていた。

今日は「何の日というコーナー「」があり「横井正一さんが帰って来た日」と報じた。

日本中の人が驚き、沸いた、叫んだ、泣いた。

小生35才の時、衝撃的ニュースとして脳裏の片隅に刻み込まれていた。

もう一度、振り返って見た。

良くぞと言うか・・・頑張ったと言うか・・信念と言おうか・・人間横井正一

(NHK)を見ていたら、何粒かの涙が落ち異様に込み上げてくるものがありました。

歴史は幕を閉じたと言えばそれまでですが、

あまりにも歴史を覆す衝撃的なニュースでしたので取り上げ当時を振り返った。

ネットでの資料を使わせてもらいました。

 


  羽田空港に降り立っ。

横井庄一氏

太平洋戦争当時、陸軍軍曹として参加していたグアム島の戦いで、一人ジャングルに潜み続け
そのまま終戦を知らないままでいた。
横井庄一さんが、終戦から約28年後の1972(昭和47)年2月2日、無事羽田空港へ帰国。

帰国後、

横井庄一
恥ずかしながら生きながらえて帰って参りました

と語った横井氏の戦争が、この日 終わりを告げました。

 

 

NHK  人間・横井正一 

 


現地で使っていた小道具類

 

 

 昭和47年(1972)1月24日、グアム島の南部タロフォフォのジャングルで、1人の残留日本兵が発見されました。この人はタロフォフォ村事務所に保護された後、グアム島警察に移送され、そこで事情聴取されました。そして、愛知県出身の横井庄一さんと判明しました。

 横井庄一さんは大正4年(1915)3月31日、愛知県海部郡佐織村(現愛西市)に生まれました。昭和5年(1930)から豊橋市の洋服店に洋服仕立て職人として勤務したあと、昭和11年(1936)から名古屋市の実家で洋服仕立業を営んでいました。昭和13年(1938)5月に最初の召集で日中戦争に従軍し、昭和14年3月に召集解除となり帰国しました。ふたたび名古屋で洋服仕立業を営んでいましたが、昭和16年8月に2度目の召集を受け、満州へ派遣されました。

 そして、太平洋戦争開戦以来日本軍が占領していたグアム島防備のため、昭和19年(1941)3月、横井さんたちの部隊はグアム島に移動しました。同年7月にはアメリカ軍がグアム島に来襲し、激しい戦いとなりました。しかし、日米両軍の戦力差は歴然としており、勝ち目がなくなった日本兵はジャングルへ逃げ込みました。ジャングルの中を移動しながら反撃することもかなわず、日本兵も減少してゆきました。横井さんたちは戦争が終わったことも知らずに隠れ続け、横井さんのグループも3人になってしまいました。

 やがて、仲間の2人も亡くなり、最後の8年間は1人きりでした。発見されるまでに28年もジャングルにひそんでいたのです。発見されたとき、横井さんは56歳でした。

 1月24日の発見後、横井さんはグアム島のメモリアル病院に移送され、精密検査のため入院することになりました。やがて到着した日本人医師団とグアム島医師団との協議の結果、病院を転院するという形での帰国が決まり、2月2日に特別機で帰国されました。帰国した時、「恥ずかしながら生きて帰ってまいりました。」という横井さんの第一声に、多くの国民は「生きて虜囚の辱めを受けず」と教えた『戦陣訓』を思い出しました。
(横井正一記念館、資料抜粋)

 

 

コメ欄は閉めています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラジオ体操・五行歌

2021年02月01日 | 総  スポーーツ(ラジオ体操を含む)

ラジオ体操123


 

ラジオ体操は、「有酸素運動」と「ストレッチ」の要素を
兼ね備えた、運動法です。


ラジオ体操第1を通して行なった場合の運動としての強度は、なんと速歩に相当するほどのもの。

座っているときの3〜4倍のエネルギーを消費します。

朝起きてから行えば、心身がスッキリ目覚めることで自律神経も整い、
代謝もアップします。(ラジオ体操のお勧めから)

 


 ラジオ体操スタンプ帳

 


 6時20分集合です、まだ薄暗い。

ある方が・・・
 「小学校の、新1年生のようです・・・ね。と言葉を挟んだ」
すると、ある方が・・・・
 「歳を重ねると皆子供に還るのよ・・・アハハ」と脇の声。
またBさんは・・・
 「名前が書いてあるから、自分の家を忘れたときこれが手掛かりになるかもね・・・・」

皆さんの元気な声が、あっちからも、こっちからも、スタンプ帳を頂いたことから声が沸き上がった。
  これでやりがいが出来たと喜ぶDさん・・・・

   ・ 笑い声大きな声と雑談が
          破顔となって皆さわやかね  (縄)

 

 

爽やかラジオ体操元気よく (縄)

 

コメント欄openです。

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北小岩周辺をぶらつく、NO3

2021年02月01日 | 総  神事、仏教に関すること

北小岩天祖神社

 

 

山育ちの人間は、神社仏閣は石段を登ったところに鎮座するものと思っていた。
東京の振出が大田区池上、ここには池上本門寺と言う大きなお寺が街を見下ろすような高台にありました。

東急池上線池上駅を降り、参道を往くととてつもない大鳥居、その先に数えきれないほどの石段があり、
やはり神社は石段の上にあるものとすんなり受け入れていた。

そうは問屋が卸さない、広い東京には様々な神社仏閣がありました。
近くの北小岩天祖神社には石段のイの字も見当たらなかった。

 


鳥居です。


石灯篭
参道は水平石段は無かった。

 


狛犬さん

 


神社倉庫

 



 


本殿

 

お日様は西に傾き境内へ
             影を落として銀杏の梢 (縄)

 

 

コメ欄は閉めています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする