金之助少年の歩いた道を行く
神楽坂は“金ちゃん”のゆりかごだった !?
明治の時代は・・遥か彼方に消え失せていた
《漱石が住んでいた、漱石山房》
公園内には、胸像と猫塚がある。
① 胸像を新宿区が、ロンドンに移そうとしたが・・・断られた。
② 猫塚があるが、これは『吾輩は猫・・・・』の猫のことではなく、
漱石が飼っていた犬や猫のための碑。
【訪れたときは、工事中で廻りをテントで覆われていた】
残念・・・・・
夏目漱石公園
JR飯田橋駅
【吾輩は猫で・・・】の中に
「神楽坂の方から汽車がヒュ~トなって土手下を通り過ぎる」
・・・と、一文がある。
甲武鉄道が走っていた。
飯田橋セントラルプラザビル
外堀を埋めてビルを建てた。
JR飯田橋駅の隣ニ建つ。この辺が神楽河岸《揚場》。
金之助少年も、船に乗って浅草方面に遊びに行った
・・・と、ある。
今も外堀の水が流れている。
東京理科大学〔東京物理学校〕
“坊ちゃん”が入学の手続きをとって・・いる。
神楽坂を坂下から坂上を見る
神楽八幡神社の方から、お神楽の音・・・が聞こえて来たから、
とか・・・地名の由来
丸岡淘苑
漱石の家に配達に行ったそう・・・・です
理窓会館
ここに有った「末よし」で漱石の1周忌をやった
相馬屋
神楽坂の街は、いまでも文士がそこかしこに集まる街、
文士に原稿用紙を売っていた。
今でも其の名残が保管してあると・・・・・か。
道を尋ねていたら、「尾崎紅葉旧居宅」を教えられた
スズムシが鳴いていた
出版クラブ
ここで寄席が催うされていた。
和良店〔わらだな〕に漱石は寄席に通っていた。
「わらだな」の有った地蔵坂
近くでこんなものを見つけた
とても嬉しかった・・・・
毘沙門天
朱塗りでひときは冴えていた。
この辺に寅の日に行われた縁日には沢山の出店があり、
東京で当時一番賑わったと言う・・・神楽坂。
神楽坂の街は、ここ
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今日のメモ
案内地図を片手に地下鉄・早稲田駅から歩き始めた。
夏目坂を登り、漱石公園に出たが、改修中で公園の様相を
見ることはできなかった。
神楽坂通りを露地裏に入りながら、
金ちゃんの足跡を尋ねた。
・・・・・が、しかし、明治は遠くなりにけり・・・・。
近くに居た古老や、店主に尋ねてもチンプンカンプン
聞く方が戸惑った。
あたりを探しみても大きなビル、区画整理で
まったく街の雰囲気は現代化。
金之助少年の面影は、遥か遠い彼方に・・・・。
先般のupで
五十番の肉まんが好評でした。
夏目漱石end