日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

夏目漱石  其の3

2007年10月16日 | 総  そ の 他

金之助少年の歩いた道を行く

神楽坂は“金ちゃん”のゆりかごだった !?

明治の時代は・・遥か彼方に消え失せていた

《漱石が住んでいた、漱石山房》

公園内には、胸像と猫塚がある。
 ① 胸像を新宿区が、ロンドンに移そうとしたが・・・断られた。  
   ② 猫塚があるが、これは『吾輩は猫・・・・』の猫のことではなく、
漱石が飼っていた犬や猫のための碑。
【訪れたときは、工事中で廻りをテントで覆われていた】
残念・・・・・
夏目漱石公園

 


JR飯田橋駅
【吾輩は猫で・・・】の中に
「神楽坂の方から汽車がヒュ~トなって土手下を通り過ぎる」
・・・と、一文がある。
甲武鉄道が走っていた。


飯田橋セントラルプラザビル
外堀を埋めてビルを建てた。
JR飯田橋駅の隣ニ建つ。この辺が神楽河岸《揚場》。
金之助少年も、船に乗って浅草方面に遊びに行った
・・・と、ある。
今も外堀の水が流れている。


東京理科大学〔東京物理学校〕
“坊ちゃん”が入学の手続きをとって・・いる。


神楽坂を坂下から坂上を見る
神楽八幡神社の方から、お神楽の音・・・が聞こえて来たから、
とか・・・地名の由来


丸岡淘苑
漱石の家に配達に行ったそう・・・・です


理窓会館
ここに有った「末よし」で漱石の1周忌をやった


相馬屋
神楽坂の街は、いまでも文士がそこかしこに集まる街、
文士に原稿用紙を売っていた。
今でも其の名残が保管してあると・・・・・か。

       
     道を尋ねていたら、「尾崎紅葉旧居宅」を教えられた
               スズムシが鳴いていた


出版クラブ
ここで寄席が催うされていた。
和良店〔わらだな〕に漱石は寄席に通っていた。


「わらだな」の有った地蔵坂


近くでこんなものを見つけた
とても嬉しかった・・・・


毘沙門天
朱塗りでひときは冴えていた。
この辺に寅の日に行われた縁日には沢山の出店があり、
東京で当時一番賑わったと言う・・・神楽坂。
      

神楽坂の街は、ここ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日のメモ

案内地図を片手に地下鉄・早稲田駅から歩き始めた。
夏目坂を登り、漱石公園に出たが、改修中で公園の様相を
見ることはできなかった。
神楽坂通りを露地裏に入りながら、
金ちゃんの足跡を尋ねた。



・・・・・が、しかし、明治は遠くなりにけり・・・・。
近くに居た古老や、店主に尋ねてもチンプンカンプン
聞く方が戸惑った。
あたりを探しみても大きなビル、区画整理で
まったく街の雰囲気は現代化。
金之助少年の面影は、遥か遠い彼方に・・・・。

先般のupで
五十番の肉まんが好評でした。

                         夏目漱石end

 

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朝 顔 3 題

2007年10月14日 | 自然  植物(木、花、苔を含む)

朝の散歩から 

北からの初氷の便りが届くと
夏を彩った朝顔も数を潜め・・・・メッキリ少なくなった。 

 

コオロギをお借りしました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日のメモ

  KY - 新語

 

「空気を読めよ」、「空気が読めない奴だな」の頭文字。
周囲の状況にふさわしい言動ができない人へのイエローカード。
もともとインターネットの掲示板のやりとりで
使用されてきた表現だが、それがメールでも使われるようになり、実際の
若者たちの会話にも登場するようになった。

加齢すると、KYどころではない。
会話でも理解しにくい事がある。相手が難聴であったり、
言語不明瞭でKYはどこえやら。

このところ朝晩急に冷え込んできた。
北からは初冠雪の頼り、季節を読む《KY》もなかなか難しい。

2007/10/09
   戦場ヶ原に霜が降り気温が氷点下となり奥日光には一足早い紅葉シーズン間近となってきました。

〔写真・クイック!来週日光へ山行〕

 


 

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山芋、牛蒡を掘る

2007年10月12日 | 自然  葛飾貸農園、菜園・国府

地球掘削人

掘っても掘っても根は続く
・・・・途中でポイ


山芋の蔓
1ケ所の10本くらいまとめ植え


出てきた出てきた
昨年掘らないで温存したから3年もの・・?


ワンカップより太い
地球掘削人苦戦への乾杯・・・ヤッタ~

 


牛蒡の葉


穴およそ60~70cm 
出てきた牛蒡は、ことのほか細い


途中でポイと折れた
イヤハヤ良くここまで育った・・・。
猛暑中は、萎れかかってもう駄目かと思ったのが
ここまで持ち応えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日のメモ

今日の作業は穴掘り専門だった。
お疲れさん
ワンカップ&缶ビールで乾杯。

地球掘削人も楽しみながら穴掘りはコレマタ愉しい

 

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夏 目 漱 石  其の2

2007年10月11日 | 総  そ の 他

金之助(漱石)少年の歩いた道を行く 

生誕の地&夏目坂 





 


歩きの、スタートは漱石誕生の地から

所は、地下鉄東西線『早稲田駅』に西口前の交差点から、夏目坂を数歩上がった左に黒い御影石に『夏目漱石誕生の地 ①②』と刻んである。
この碑の裏手、今の早稲田大学の理工学部③がある辺で漱石は生まれたらしい・・・?  
この辺の喜久井町という地名は、夏目家の家紋から付いたと書いてある。
昭和41年、漱石生誕100年を記念して建てられたもの。

この文字は、安部能成氏のもの。学習院の院長だった先生も漱石のお弟子さんであった・・・・・・・?

 




交差点の角は、堀部安兵衛が高田馬場に仇討ちに行く途中、立ち飲みで枡酒を飲んだという《小倉や酒店》。その面影はないが、それなりの店の佇まい。

 

 



坂を上がっていくと『夏目坂』の標識がある。④

坂の名前はこの界隈の名主であった漱石の父が名付けたものである。
現在の喜久井町は、夏目家の家紋が菊に井桁だった事からきている。
漱石の随筆「硝子戸の中」に書いてある。
坂はナルく、勾配15~20度位か

 



向かい側が喜久井町の丘で、青年期にこの辺に住んでいた田山花袋が
『早稲田町ここも都の中なれど雪の降る世は狐しば鳴く』
・・・と詠んでいる。
さびしい所だったのであろう。

漱石の『硝子戸の中』にも、
当時の私の家から、町らしい街に出るには人家のない茶畑とか竹やぶを通り抜けていかなければならない・・とある。
漱石は、神楽坂の縁日や飯田河岸から舟で浅草に出たと・・・・・日記にある。

       独り言と

    たまたま勤めていた場所が矢来町であった。
     「ここは、竹やぶがたくさんあった場所です
    ・・・・」と、古老から聞いた。
     勤勤場所のまん前が酒井家で、その昔それはそれは広い
       屋敷で鬱蒼とした竹や樹がたくさんあったと・・・・教えて
       くれた。
       漱石がこの辺を行ったり来たり・・・した事は間違いない。
       

     矢来とは《「遣()らい」からという。「矢来」は当て字》
      竹や丸太を縦横に粗く組んで作った仮の囲い。「竹
・・
      とある。
      ヤブと竹、矢来と漱石に接点がありそうな・・?
       
                

上記の文中一部
「地域紙・ここは牛込・神楽坂」
から抜粋しました


夏目坂付近の地図はここ 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日のメモ

漱石展を見ていたら、流れるような横文字、
詳細なメモ、留学中に学んだ数々本、絵筆を持ってもかなりの力量・・・
そんなこんなで、ついふらりと早稲田付近から
神楽坂付近へと歩いた。

歩いていて、それらしき古老に尋ねても、首を横に振るだけ・・・・・・・・。
明治は遠く遠く遥か彼方なり。

 

                    

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家庭菜園までの通路をたどる

2007年10月10日 | 自然  葛飾貸農園、菜園・国府

オニギリ食べて帰ってきました

サイクリング


東京と千葉との都県境《江戸川》
この橋を渡れば市川市、自転車で40分の道のり
弁当を持ち自転車で・・・・ユッタリこん


市川橋から江戸川上流を見る
京成電車の鉄橋、その向こうが市川国府台の森
森の奥が我が菜園である。


左手に江戸川を見ながら進む。
ランナーに何人も出あった、真っ直ぐ進むと間もなくだ。


ご夫妻で釣りの様だ・・・?
またよし
河口で釣り糸をたらす、釣りは精神修養によいとか・・・?
我慢 ! !!

  
               里見公園の下、羅漢[ラカン]の井《湧き水》
          右図は昔書きがありますが写りが悪かった。
             とてもおいしいといって酌んでいく人が居た。
                   ぺットボトルに10本も。 ・・   


自転車の奥に石段がある。近道なのだ
ここを自転車を押し上げれば・・・・・里見公園、隣が菜園。


公園内は落葉(桜の葉)で一杯
秋深し縄文人は、ワンカップ・・・・ナンチャッテと言ってたら
菜園までたどり着けない。
我慢、我慢。
高台から、江戸川区、葛飾区が一望


牛蒡、サツマイモ、山芋堀をした
野外特設の昼食
オニギリ、缶ビール、お茶で腹を膨らます・・・。

上記付近の地図

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日のメモ

久方ぶりに自転車で菜園まで。
ゆっくり付近の景色を見ながら気分爽快なりき。

大根、ブロッコリーノ手入れ、
時間があったのでサツマイモ、牛蒡、山芋堀と進めた。
山芋、ごぼう堀はかなりの肉体労働だ・・・・。
地球開拓人

                            

 

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夏目漱石展を見る

2007年10月09日 | 総  そ の 他

 江戸東京博物館にて

 


JR両国駅を降りると目に入った看板


下町の雄『江戸東京博物館』

展示品は全て撮影禁止でした。


右の文豪・夏目漱石を買い求める

 
漱石は、油絵や水彩画にも長けていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日のメモ

上京して間もなく、仕事の関係から東京大学法医学科に連れて行かれ
夏目漱石の保存脳を見せられた。
係員から頭の良い方は、重いことと、ヒダが因って居ることと聞かされた。

最近では、勤務地が
牛込・神楽坂にあったことから
漱石の生誕地、夏目坂、夏目公園をときどき見て歩いた。
関心を抱いていた。

博物館の閲覧に2時間ぐらい費やし、
その後、漱石のゆかりの地、牛込・神楽坂を地図を片手に歩いてみた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

               ◎ 漱石・耳話し取って出し

 漱石はとても怖い人だった。いつも緊張していた  
              〔孫房之介談、漱石の長男・純一〔父〕からの又聞き〕

  漱石は2度も養子に出された
生まれて間もなく四谷の古道具屋に出されるもすぐに連れ戻される。
2回目は、四谷の名主・塩原家に出されたが、養父母離婚で夏目家に戻る
                                                                         〔地域誌・『ここは牛込神楽坂』から〕


 

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国 技 館

2007年10月07日 | 総  そ の 他

太鼓、櫓・幟

時津風部屋の力士急死事件に関して、
時津風親方の解雇問題、朝青龍騒動に続き
日本相撲協会は大きく揺れている。

北の海理事長の指導力不足が浮き彫りになって来た。

 



所要でJR両国駅に降りた。
ここは国技館があるところで力士の街。

相撲でも・・・始まるのであろうか・・・?
ずらりと並んだ幟の数々。
今度は○○場所?
櫓から“触れ太鼓”の音が小気味よく聞こえる。
見上げると国技館前のの櫓に灯りが入り、太鼓を打っている。
コンコンココンコン、コンコンココンコン
角界が今熱い。
そんな気持ちが心を揺すぶった。

 



国技館の周辺には力士の顔が見える。

入り口には長だの列。
朝の9時を少し廻ったところ、何だろう・・・・・・・・・・?

に・・・・・聞いてみた。
朝日新聞社主催の『社会福祉大相撲大会』が
間もなく行われるとのことである。

納得、了解
これでオキナク江戸東京博物館へgo 

 

 

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家 庭 菜 園

2007年10月06日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

 秋 野 菜

 

☆ 秋虫も輪唱失せてソロとなり  〔縄〕
 


ブロッコリー20株ほど


青クビ大根  タントタント・・・・。


ネギ
植えつけたばかりのチンゲンサイ
農家の人のオコボレ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日のメモ

菜園の付近は、ネギの特産地として名高い。
矢切のネギは有名。
そんなことから、農家の人たちが余った苗を快く分けて頂いた。
苗はその一部です。

チンゲンサイの苗を仕立てたので植えつけた。
昨晩の雨で程よく根が活着がした。

菜園も大根、チンゲンサイ、ネギ、ブロッコリー・・・・と
やっと賑やかに畑らしくなりました。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

今朝、日の出とともに野周りに行ってきた。
順調に生育。
施肥と、土寄せをした。

《老人は、黙って朝は眠られず》

 

 

 

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家 庭 菜 園

2007年10月05日 | 自然  葛飾貸農園、菜園・国府

サトイモ&サツマイモ 

 


サトイモ


ベニアズマ?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日のメモ

   ▼ サトイモ
    猛暑日の続く畑に良く生き延びたと感心した。
    多くの人がさといモウ栽培したが、ほとんどが暑さにやられたと
    言っていた。
    一株掘ってみた。ヨカヨカ。
    もう少し畑の中で暮らしなさい。お正月用として掘るから、それま 
    で・・・・・・・・・。

   ▼ サツマイモ
    1株試掘りをした。

    上出来の部類。大成功です。
    なぜ、大成功かというと
    植え付けしたときに隣の菜園では蔓が、既に2mくらいに成長、
    園芸店にはどこにも苗がありませんでした。
    泣く泣く隣の菜園主の延びた蔓の先端を分けていただき、
    これを猛暑日のなか土中に植えつけた。
    『駄目で元々、成功すればメッケモノ・・・・』と
      失敗を覚悟で植えつけたのが、ここまでに成りました。

    まだ蔓が元気青々、もう少しこのまま放置して置けばまだ
        太るでしょう。

    早速ふかした。
    サツマイモの味がした。very good

 

 

 

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八ヶ岳・東沢渓谷探勝 (2) 〔小海線清里駅・清泉寮付近〕

2007年10月04日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

アクシデント

雨の中のハイキング

   その1
      現代は文明利器の時代。
     道を知らなくてもGPS〔案内装置〕が目的地まで・・・。
     バスから降りたら人間GPSが、突然効かなくなった。
     反対方向に行きてはぐれ、結局元との出発地点に戻って
     しまった。


美術館 ?

   その2
   GPSをオーバーホールし、出発地・東沢大橋(赤い橋)に到着。
   ここから川俣川に降りて渓谷探勝のはじまり。
   完全装備に身を包んだ43名は、急坂の岩道を枝や樹木につかまり
   やっとのことで川俣川に降り立った。

   渓谷をとうとうと流れる水、埋め尽くすような大きな岩や石、流れに引
   っかかった風倒大木。雨は一層強くなってきた。
   渓谷の流れに誘われながら下流へと進む。

   滑ったりしながらも身を立て直し、列は遅れながらも一歩一歩前進。
   あちこちに出現する丸太の梯子段が雨に濡れて、つるつる滑り思わ
   ぬ時間を要した。
   川を渡る飛び石に落葉などがあると、滑って思わぬ転倒。

   見かねたリーダーは、先頭に向って停止命令。
       『この分では、あまりにも時間が掛かり、危険。
       行程はいま3分の1.ここで中止して引き返します』・・・
   ・・・断が下された。

皆さん怪我もなく、元気に帰還したことが何より。
バスの中で昼食をとり、一路東京へ向った。

英断に皆さんホットするやら・・・・よい勉強になった。

 

 

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