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東京上野・東照宮、その2(寛永寺)

2016年02月07日 | 宗  神社・仏閣・著名な建物

 豪華な建造物です


東京生活が長くなりましたが、
上野公園は何回となく訪れましたが、この境内に踏み入れたのは初めてです。
荘厳な建物です。
 

 寛永寺は1625(寛永2)年、徳川家の菩提寺として造営したことに始まります。 
そして、「寛永時代」に造ったから「寛永寺」と名付けられました。

元々は上野公園一帯を占める実に広大な面積を誇る寺でした。
1868(慶応4)年に官軍と旧幕府軍「彰義隊」との上野戦争で、彰義隊が寛永寺を屯所して激戦。

おかげで、一部を除き焼け野原となってしまいました。


石畳み、巨大な鳥居です。

 東照宮社殿唐門前と参道に、五十基の銅燈籠が並んでいる。
燈籠は神事・法会を執行するときの浄火を目的とするもので、照明用具ではない。

浄火は神事・仏事に使う清めた火でした。

 全48基。国指定重要文化財。諸大名から奉納されました。
 


手水処


参道から本殿を望む

 

 

国指定重要文化財。正式名称は唐破風造り四脚門(からはふづくりよつあしもん)。
柱内外の四額面には左甚五郎(ひだりじんごろう)作の昇り龍・降り龍の彫刻があり、

毎夜不忍池の水を飲みに行くという伝説があります。

偉大な人ほど頭を垂れるということから、頭が下を向いている方が昇り龍と呼ばれています。

天下泰平の願いを込めて彫られたと考えられています。
 

 

 

 

 
この鉄塀の向こうが上野動物園です。手前が寛永寺敷地です。

この塔はもともと上野東照宮の一部として建てられたが、明治になってから
神仏分離令により寛永寺の所属となり、さらに東京都に寄付がなされました。

現在では上野公園の管理下にある。
旧寛永寺の五重塔は、何とあの上野動物園の中にある

原爆の火

近づいてみると千羽鶴が沢山釣り下げられたもので、名付けて「広島・長崎の火」。
中央石板に埋め込まれたガラスまどには小さな火がともされている。

廻りの銅燈籠に代わって、現代の火が灯されているようにも見える。

                                                               ≪写真説明文は、上野東照宮HPから抜粋した≫

・ 手を合わせ兵どもの夢のあと

コメ欄は閉めています。
お越し下さり有難うございます。

 

 


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