日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

柴又界隈を歩く「柴ぶら」に参加   NO2

2016年09月05日 | 紀  郷土博物館 葛探団

柴又用水の名残りを見ながら歩く

 

柴又用水の源は、小合溜井(水元公園)です。

小合溜井(水元公園)もともと、江戸川に合流していた、古利根川をせき止めて
溜井としたものである。

享保14年に小合溜井(水元公園)完成している。
小合溜井(水元公園)から、取水する上下之割用水路が東葛西領の主幹用水として
広大な田地田畑を潤していた。

金町4丁目・大關枠にて上下之割用水路から分水し、
小岩用水と名前を変え支流(枝)なって下っています。

水戸道(現在の水戸街道より北寄り)を横断し、大関枠から4~500mを
下ると
新宿3丁目・新宿交通公園付近にて分水し、
ここから柴又用水と名前を変えている。


現在では珍しい名残りが、柴又帝釈天参道(たいしゃくはし)付近を流れている。

用水の中に”開運のご利益の猿3匹”が鎮座し見つめている。

水元公園⇒上下之割用水⇒小岩用水⇒柴又用水
 


柴又用水路

柴又用水に鎮座する『見サル、聞かサルざる、知らサル』

 

   ←拡大
上方に見えるが帝釈天参道で、
【帝釈橋】で、柴又用水が横切る。


参道から、踏切に寄ったところ、柴又用水の名残

 
柴又2-4”柴又児童公園”付近、柴又用水と現代の水道管の交差点。
金町浄水場場からの導水管が敷き設されている、水道道路となり、直線です。

金町浄水場は、1926年8月竣工。原水は江戸川の表流水を導入

 
これは小岩用水のモニメントです。
小岩用水はほとんど埋められていますが、一部親水路となってコイが泳いでいます。

新宿3-24、新宿交通公園付近。
この付近で、小岩用水から分水して柴又用水となる。

 
柴又八幡神社境内の柴又用水の碑。
天保6年(1835年)、鈴木幸七の手によって用水路が引かれ、
水利用に悩んでいた柴又の地を救いました。

これは鈴木幸七に対する顕彰碑です。

この顕彰碑を見て分かるように、田地田畑を耕す人にとっては”水”が一番。
災害現場では、まず一番に給水車の派遣・設置がなされる。

≪水を治める者は、国を治める≫の言葉の通り、時代は変っても
生活に最も大切なものは『水』である。

 

関連すると思われる記事

 

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする