柴又用水の名残りを見ながら歩く
柴又用水の源は、小合溜井(水元公園)です。
小合溜井(水元公園)もともと、江戸川に合流していた、古利根川をせき止めて
溜井としたものである。
享保14年に小合溜井(水元公園)完成している。
小合溜井(水元公園)から、取水する上下之割用水路が東葛西領の主幹用水として
広大な田地田畑を潤していた。
金町4丁目・大關枠にて上下之割用水路から分水し、
小岩用水と名前を変え支流(枝)なって下っています。
水戸道(現在の水戸街道より北寄り)を横断し、大関枠から4~500mを下ると
新宿3丁目・新宿交通公園付近にて分水し、
ここから柴又用水と名前を変えている。
現在では珍しい名残りが、柴又帝釈天参道(たいしゃくはし)付近を流れている。
用水の中に”開運のご利益の猿3匹”が鎮座し見つめている。
水元公園⇒上下之割用水⇒小岩用水⇒柴又用水
柴又用水路
柴又用水に鎮座する『見サル、聞かサルざる、知らサル』
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上方に見えるが帝釈天参道で、
【帝釈橋】で、柴又用水が横切る。
参道から、踏切に寄ったところ、柴又用水の名残
柴又2-4”柴又児童公園”付近、柴又用水と現代の水道管の交差点。
金町浄水場場からの導水管が敷き設されている、水道道路となり、直線です。
金町浄水場は、1926年8月竣工。原水は江戸川の表流水を導入
これは小岩用水のモニメントです。
小岩用水はほとんど埋められていますが、一部親水路となってコイが泳いでいます。
新宿3-24、新宿交通公園付近。
この付近で、小岩用水から分水して柴又用水となる。
柴又八幡神社境内の柴又用水の碑。
天保6年(1835年)、鈴木幸七の手によって用水路が引かれ、
水利用に悩んでいた柴又の地を救いました。
これは鈴木幸七に対する顕彰碑です。
この顕彰碑を見て分かるように、田地田畑を耕す人にとっては”水”が一番。
災害現場では、まず一番に給水車の派遣・設置がなされる。
≪水を治める者は、国を治める≫の言葉の通り、時代は変っても
生活に最も大切なものは『水』である。