鶴君の機関車観?(館?)

鉄道大好き!機関車大好き!鶴君のブログです。機関車ネタを中心に旅行あり、B級グルメありの雑記帳です。ご覧ください。

身延線の旧型国電~富士宮電車区にて~

2015年11月21日 22時57分26秒 | 鉄道
やっと一週間が終わりました。やっとです・・・週末は疲れをとらなくてはいけません。
でも、なぜか昨晩は寝付きが悪く、2時半くらいまで布団の中で悶々としていました。それ以後の記憶はないので、ネタのでしょうが、朝は隣の家が取り壊しのため、大きな音と振動のおかげで9時ちょっとにはおこされました。今夜こそはぐっすり寝たいものです。

さて今回のネタは、またまた身延線ネタです。
身延線の旧型国電と言えば、完全低屋根のクモハユニ44をはじめとして、低屋根の戦前車が活躍していました。当然末期の頃は知っていますが、子供だったので訪れることはありませんでした。飯田線の旧型車がギリギリセーフの世代です。
前回アップした、ワインレッドの115系ですが、撮影したのは1883年です。私が身延線に行ったのはこのときが最初でした。当然、撮影できたのは身延色と湘南色の115系しか見られませんでした。しかい、富士宮へ行ったときに電車の中からスカ色の115系が見えたのです。もしかしてと重い、駅から電車区まで見に行った写真がコレです。


クハ66000他 1983.3 富士宮電車区 Nikon FM2 50mm

115系と見間違えたこの電車こそ、身延線旧型国電の生き残りのクハ66とモハ62の編成です。ネットを見ると廃車は撮影翌年の1984年ということですが、このとき見た感想は動いている感じはしませんでした。もしかして撮影日について私の記録(記憶)が間違っているのでしょうか?撮影は1984年なのかも・・・しかしながら、この車の特徴である裾の絞りを見て115系でないことを確認しました。
ネットで検索してみると、この車両は・・・

1974年に、身延線向けに3ドアセミクロスシート車として62系電車をアコモデーション改造を鷹取工場 、長野工場 、郡山工場で実施したものです。制御車のクハ66形と中間電動車のモハ62形による4両編成3本12両で、車体の構造は、当時新製増備中だった115系300番台と酷似した貫通高運転台、1,300mm両開きドア、ユニットサッシを使用した、新性能近郊形電車とほとんど同形のものとなった。車体の塗り分けは、青15号にクリーム1号の横須賀線色113系と同じでした。ただし、冷房装置および側面行先表示器の準備工事は実施されていませんでした。種車より流用した72系用の側面が垂直な台枠のために、近郊形タイプの裾絞り幅広車体を架装したことで、台枠裾部の外板を折り曲げた独特の外観が特徴となっている。中間電動車のパンタ部分は、狭小限界トンネルに対応するため、パンタグラフ部分の屋根を低くし、パンタグラフの折りたたみ高さを下げている。1981年の身延線新性能化(115系2000番台投入)による戦前形電車廃止後もしばらく使用されていたが、1984年に運用から退き、1986年までに廃車されている。その後は佐久間レールパークの運転シミュレータとしてクハ66002の先頭部が利用されていた。

仙石線のアコモ車もそうですが、こういった下手物は大好きです(笑)
当然、鉄コレが発売されたときは、実物編成の量数なんとかかき集めました。しかしながら、その後4両セットが発売されたため、もちろんそちらも購入したので、私の鉄道には実物の両数以上が在籍することとなってしまいました。。
それにしても、まさかこんな車両が製品化されるとは、恐ろしい時代になったと思いませんか?好き者としては嬉しいかぎりなんですが・・・
コメント (2)
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