徒然にふる里を語る

 一市井の徒として、生まれ育った「ふる里」嬬恋村への思いをつづります。

感動

2020-05-31 07:37:20 | Weblog

 ツユクサの写真がなかなか難しい。陽が昇ると咲き、午後には萎えてしまう一日花だ。昨日の昼過ぎ、デジカメを持って周囲を歩いてみた。日差しが強くてイメージ通りに撮れなかったが、色合いの違いにツユクサの奥の深さを知った。

 道脇の雑草に三色が混在して咲いていた。注意して見なければ、見逃してしまう花だが、密かに感動している自分に気付く。

  田植えの季節といえばこの色

  淡くて私の好きな色合い

 

  珍しいと言われる白いツユクサ 道中2株ほど出会った。

 


父親

2020-05-30 13:38:03 | Weblog

 庭のサツキが咲き出した。前の家から移植したものだ。以前は、庭とも言えない狭い屋敷の片隅に埋もれていた。父親が植え込んだに違いないが、何年経っているかは分からない。かなりの老木だ。移すにあたり活着するか不安だったが、数年で勢いを取り戻した。

 私にとっては、寡黙で目立つことの嫌いな父親の遺産みたいなものだ。華やかさとは無縁の父親が、このサツキを狭い屋敷に植えようとした心の内を推し量ると、チョッと切ないものがある。2人の兄が戦士しなければ、違う人生があったに違いない。

 この花が、年上の母親に使われていた父親の安らぎになった、と考えると、私の見る目も違ってくる。この気持ちは家内や子供たちには分からないだろう。陽当たりの良い道路沿いの石垣の上に植えてやった。

 勘違いするなと言われそうな気もするが。

 

 


季節

2020-05-29 10:00:47 | Weblog

 午前4時半に床を離れ、5時前に家を出る。未だ陽は上らないが、大分明るくなった。何を考えるでもなく、道脇の草花を眺めながら歩く。そんな生活に慣れた。今朝は、昨夜の雨に加え、気温が下がったので、ツユクサが勢いづいている。

 ツユクサが目に付くようになると、昔なら田植えの季節となるのだが、我が家が米作りを止めて何年経つだろうか。戦後、開田した馬踏道という浅間押しの地帯で、米を作るのは多くの労力が必要だった。

 私は共働きだったので、二人で働いて給料を貰い、食味の良い米を買った方が合理的と思っていた。そこで、私が父親から家計を任されたのを機に、米作りを止めてしまった。月夜野産を始め、あちこちの米を食べたが、今は仲間と新潟の専業農家から買っている。

 我が家が米作りをしていた頃は、高冷地で水が冷たい環境の中で育つ嬬恋産は格下だったが、今では国際的な品評会で優秀な評価を得るまでになった。自然環境の変化と継続する農家の努力が報われたのだろう。

 家内などは嬬恋産に切り替えようか、などと言うが、もう貴重品で簡単には手に入らない。そうかと言って、今になって米作りを始めるわけにもいかない。先日、粘土を牛馬で運んで「田んぼ」を造った経験がある、と話したら、下の世代が笑っていた。

 私の子供の頃は、地域にとっても我が家にとっても、生きるために米の増産が優先課題だったのだ。そんな思いを残した田んぼも荒れている。ツユクサの季節に。

 今日の写真は深山で撮ったムラサキヤシオです。カラマツ林では場違いな存在でした。ツユクサの写真はいつか。

 

 

 

 


記録

2020-05-28 14:11:27 | Weblog

 徒然にブログを綴っているが、昨日のアクセス数が過去最高を記録した。ページビューもすごい数字になっている。facebook友達も80人に満たないのに、これほど多くの方が訪れてくれたことに驚いている。原種テッセンのお蔭かな。

 朝、根腐れ気味のキュウリの補植をした。4月25日に分けて貰った地元産の苗だが、上手く管理できなかった。畑の準備が遅れたということもあるが、ハウスを持たないので、軟弱な若い苗の管理は難しい。トマトやナスは順調に成長しているので楽しみだ。今年、力を入れようと思っているネギもこの雨で勢いを取り戻してきた。

 作物の成長に合わせ、雑草が目立つようになった。特にスギナが一気に伸びてきた。傾斜のある畑で、上部は表土が流失し軽石交じりになっている。そこに繁茂しだした。昔から、土が酸性だとスギナが成長しやすい、と言われているので、多めに石灰を投入しているが、駆除することはなかなか難しい。

 ネットで調べると、石灰の投入では効果は期待できない、土を肥沃化することが必要と書いてあるが、先人の教えを否定することにも抵抗がある。表土の失われた部分では肥沃化も難しい。取りあえず先人の知恵を信じて人力で頑張ろう。

 分家で畑が欲しくてたまらなかった祖父のことを思うと、荒らすのは忍びないが、体力が落ちたら、タラの木でも植えようか。

 義理で書いたようなブログになりましたが、今日の1枚はシナノボタンキンバイです。この時期は山吹色の花をつける山野草が目立つ気がします。

 

 以前に撮った普通のシナノキンバイを追加します。

 

 


原種

2020-05-27 11:27:04 | Weblog

 今日はプロフィール写真の説明から入ります。テッセンですが、園芸用に改良されたものでなく原種です。以前は隣町辺りにも自生していたようですが、今は殆んどが改良されたもので、原種は貴重らしいです。我が家のテッセンは園芸用なので、挿し木が成功したら分けてくれるよう頼んでおきました。

 テッセン原種 野生らしい逞しさを感じます。

 

 

 昨日の夕立で畑に行く農道が大分流された。私の専用に近いので、管理も自分でしなければならない。水切りをしておいたのだが、キャベツの植え付けが始まったところで、表土が流れ出し排水管がのみ切れなかったようだ。今日も夕立がありそうなので、応急処置をしてきた。

 昔、キャベツ生産のトップと言われるような農家の知遇を得て、冬の間、頻繁に伺った。体が不自由にも関わらず、人を使っての農業経営を確立させたが、強烈な信念を持ち、私はいつも頷きながら話を聞いていた。

 ブラジルの開拓に夢を託す農大生など、目的を持つ人たちが集まってきた。キャベツ生産に対する理念に感銘を受け、頑張る人たちが多かったような気がする。報酬も成果主義であり、頑張れば頑張った以上の待遇を受けていたようだ。

 ただ、使えないと解かると「兄ちゃんは無理だから帰りな」と言いって、十二分な旅費を渡して返す厳しさもあったが、私などは晩年まで心優しく接して貰った。何故、こんな話をするとかと言うと、応急措置をしながら「農家にとって畑の表土を流すことは、投資した財産を捨てることに等しい。滝沢、解かるか」とよく言われたことを思い出したのだ。

 所得税の申告で、税務署に表土の流失分を控除するよう求めた、という話しも聞いたが、本人は真剣だった。その結果については敢えて聞かなかった。それだけ土を大切にした農家だったのだと思う。集中豪雨に台風と、自然環境が厳しくなるなかで、農家も大変だろう。

 今日はテッセンから脈絡もなく思い出話になりました。近頃、昔の話が多いですが、本当に尊敬していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


樹勢

2020-05-26 10:30:23 | Weblog

 家を新築時に多くの仲間から、庭木を貰った。家内は自分なりのイメージを持っていて、知り合いの庭師に頼んで整備しようと考えていたようだが、私が費用を捻出できず、自分でやることになった。浅間石を運び、前の家のツツジ類や野草を移植した。

 ドウダンツツジの大木も3本ほどもらい受け、知人たちの力を借りて、植え込んだ。百日紅にアララギ、藤、ツツジ類、結構、多様に入っている。多くの仲間の好意に家内も納得したが、数年前から、自慢のドウダンツツジの樹勢が落ちてきた。

 知人に相談すると、西日が当たりやすい上に、土質が悪いので幹が陽焼けして樹勢が落ちている、と教わった。秋には油粕などを施してきたのだが、やはり環境を覆すことができず、花の付きが悪くなっていたが、季節外れの大雪で幹が2本折れてしまった。

 白根系の朱の強いドウダンツツジだったが、残念だ。それに代わるように、小さな苗木で貰ってきたドウダンツツジが花を付け始めた。これが見上げるようになるには、何十年とかかるだろうが、苗木を育てた人と植えた人がいたことは忘れて欲しくない。

 でも無理か。「井戸を掘った人の苦労は忘れられる」これが現実かな。

  今日のプロフィール写真は代替わりのドウダンツツジです。後ろの藤は、父親のいとこがくれました。

 

 


イナカッペー後編

2020-05-25 14:01:15 | Weblog

 久し振りに太陽を見たような気がしますが、ここ数日、梅雨の前ぶれのような天気が続きます。今日は、昨日のつづきを掲載します。改めて読み返してみると、56年経っても記憶に残っていることに驚きます。順調だった東京生活での初めてのトラブルだったので、強い印象があったのかも知れません。この話には続編があるのですが、それは次の機会で。

 

    イナカッペ―後編

 その日の昼休み。数人の仲間が教室の片隅で雑談をしていた。私はその横で彼らの話を聞きながら、夏の日射しを受けて萎えたイチョウの木を眺めていた。仲間達は次の休みに渋谷の街に出かける話をしていた。渋谷。VAN。一度片隅に降りた街。私は立ちあがり、彼らの後ろから割り込むように、一緒に連れて行ってくれないか、渋谷は始めてなんだ、と声を掛けた。すると、渋谷はお前みたいなイナカッペの行くところでは無いよ、カッペはカッペらしく勉強でもしていな、と言い放つ奴がいた。成績はいま一つのAだった。回りの仲間が笑っている。

 この一言に血が上る。イナカッペなりに少しは自信を持ってきたのに。突然、私の中で何かが切れた。私はAに向かって叫んだ。カッペで結構。ふざけるな、このビヤダル野郎。便所の鏡に自分の姿を写して見ろ。Aの顔が見る見る赤くなり、唇が震えるのが解った。私は身構える。Aの寸胴の体が私に向かって跳ねてくる。仲間が辞めろと叫ぶ。机が倒れる。授業の始まるベルが鳴る。

 俺に任せろ。明日一番で話を付けてやる。Tが繰り返す。私は彼の日焼けした顔を見つめ頭を下げる。そして長女がくれたサイダーを一気に飲み干す。胸が熱くなる。

 2006/09/25

 今日の写真は浅間のウラジロヨウラクとツバメオモトです。撮影は私です。

 


イナカッペー前編

2020-05-24 10:35:40 | Weblog

 今日は私の「嬬恋物語」より、東京での高校生活のある日の出来事を掲載します。クラスメートとのトラブルです。ここに出てくるT君は、大学卒業後ペルーに渡り、大志を成し遂げたと聞いています。チョッと長いですが、興味があったら読んでください。何しろ57年前の話です。

   イナカッペー前編

 3畳一間で横になっている。夏の日の夕方。粘りつくような夜のトバリがゆっくりと窓の外を覆いだした。私は夕食の準備をする気にもなれず、ラジオから流れてくる名も知らない曲に身をゆだねている。静寂を破るように玄関のベルが鳴る。長女が私を呼ぶ。私はラジオのスイッチを切り、部屋の扉を空ける。彼女は階段に身を乗り出すようにして、学校の友達が見えたと私に告げる。誰だろう。それまで同級生が下宿先を尋ねて来たことは無かった。何しろ3畳一間である。人を誘う事などおこがましい。

 重い足で階段を下ると玄関には同級生のTが立っていた。帰宅途中なのか学生服姿で、カバンとバットケースを下げている。話があるので寄った、とTは言う。彼は以前の私と同じように坊主頭である。先輩のいない私達の高校で、Tは野球部のキャプテンだ。家は私の下宿から十数分の所にあると彼から聞いていた。Tとは苗字のアルファベットが同じなので席が近かったが、クラスで特に仲が良いと言う訳でも無かった。しかし、彼は仲間の面倒見が良く、クラスの誰からも慕われていた。

 長女が、上がって貰ったらと声を掛ける。その声に押されて私は彼を3畳一間に招く。Tは、一人暮らしか羨ましい、と言いながら裸のコタツに脚を投げ出す。私は彼の突然の来訪の意味をうすうす感じていた。Tは私の故郷について尋ねる。私も故郷にはTと言う苗字が多くあり、母の実家は同姓だと話す。階段で長女の声がする。私が顔を出すと彼女がコップ2つを渡してくれる。サイダーだと言う。コップの中で小さな泡が弾けている。
  Tが真顔になって切り出す。今日の一件は俺に任せろ、話を付けてやると言う。Aは放課後になっても未だ興奮していたらしい。田舎野郎になめられてたまるかと、仲間に喚いていたようだ。Tは続ける。Aは気の弱い男だが、中学時代の仲間がいる。お前は一人だ。早く手打ちをした方が賢明だ。私もそう思っていた。Aが嫌いでは無かったし、何故こんなことになったのか、私にも解らなかった。(つづく)

 写真は例のツバメオモトです。

 


達観

2020-05-23 10:45:26 | Weblog

 朝、1時間ほど畑の周りの雑草を刈ってきた。腰の状態が万全でないので、無理をしないよう心掛けている。以前は、始めたら終わるまで一気にやり切る、という主義だったが、もう体がついていかない。無理をして故障するよりも、体が耐えられる範囲で動かす、それが肝心と達観した。

 何より時間がある。どうしてもやらなければならいことは余りない。とりたてて趣味もないので、時間をつぶすのが畑仕事くらいしかない現状では、無理をする必要がないわけだ。加えて、現状ではふらふら出歩く訳にもいかない。アルコールは飲むものでなく消毒薬、そんな感じだ。

 昨日、有害鳥獣用の電気柵を張り直した。十年ほど使ったので、ゲッターというコードが劣化し、通電性能が落ちている。春先、必要な長さのコードが手に入らなかったので、古いコードを仮設で回しておいた。500m巻きだとどこでも買えるが、それでは長すぎる。欲しいのは畑に合わせて250mか300m巻きだ。

 先日、通販で250m巻きが手に入った。多分、このコードが劣化するまで農作業はできないだろうから、最後となる。二重手間になったが、張り替えた。バッテリーをセットすればいつでも通電可能となる。

 今年は獣とは喧嘩しない、と決めてトウモロコシは作らなかった。狙われるとすればカボチャだが、これはネットで改めてガードする。一応区切りがついた。後は時期を見ながら、必要な野菜の種をまいていけば良い。

 地元産のトマト苗は花が咲き出した。気温が上がれば着花促進剤を吹き付ける。何となくホッとする土曜日だ。

 写真は二ホンサクラソウ「浜千鳥」と教わった。サクラソウは愛しい花だよね。70を過ぎてもその思いは変わらない。

 


質素

2020-05-22 16:08:59 | Weblog

 今日のプロフィール写真はホウチャクソウと言う野草です。植えた記憶がないので、関心も無かったのですが、改めて見ると控えめで質素な野草という気がします。無論、名前も知らない野草で、写真を撮って知人に見て貰いました。

 ホウチャクソウだと、直ぐに分かったようです。考えてみると、2年前まで傍に家内が長野原から分けて貰ってきたツバメオモトが咲いていました。そちらに目がいって、この花には見向きもしなかったのですが、そのツバメオモトが絶え、日陰の身から表舞台に出てきた、そんな感じです。

 知人にツバメオモトの話をすると、多分、それに種が付いてきたのではないか、と言うことです。ホウチャクソウとツバメオモトは同じような環境で生育するようです。嬬恋村でも干俣の高山には自生している、と言う話しでした。

 今日は最初に農作業の話題を書いたのですが、写真挿入の段階でミスをして飛んでしましました。その話は明日ということで。