徒然にふる里を語る

 一市井の徒として、生まれ育った「ふる里」嬬恋村への思いをつづります。

日本

2009-12-31 06:47:28 | Weblog
 2人の娘も帰宅。長女は軽井沢まで迎えにいった。彼女の学生時代は万座鹿沢口で、高架に入線してくる特急を待っていたものだが。就職してからは殆どこちらから戻ることはない。

帰りに軽井沢の「つるや」に寄った。ここはテレビでみるアメ横並みに混んでいて、流れに乗って歩くだけだ。勿論、駐車場も満杯で10分ほど空きを見つけるためにウロウロしていた。

何人もの顔見知りに出あった。驚くばかりである。1人、数万円の買い物をするとしたら、本日の売り上げは・・・・・想像がつかない。昔は、地元に落ちていた金も、外貨となって出ていく。

この喧噪のなかに立つと、消費不況などという言葉を忘れてします。日本は未だ豊かなのかい。豊かなのだ。

2009年が終わる。終わることに意味はないのだが、切り替わることが出きるかだ。

総括

2009-12-30 06:36:00 | Weblog
 昨夜の目覚めは2回。「旅の宿」にも少し慣れたか。セブンイレブンまで歩いてきた。流石に今日は入らない。帰りには東の空が明るくなってきたが、雲の勢いが増している。明日にかけて、天気が崩れるという予報はあたりそうだ。

娘2人も今日帰るらしい。しかしながら、家内は今年はお正月料理は作らないと宣言している。引っ越し作業に追われているので、解からない訳でもない。もっとも、今年は「門松」は飾らない。一番近い叔父が昨年亡くなっている。その位の義理はたてよう。

昨夜、「滝沢ひであき 議会報告 NO.11」が届いた。ギリギリ間に合わせて貰った。もう11回目である。後5回の定例会をこなせば、今回の任期は満了する。解かったこと。解からないこと。解かっても出来なかったこと。一度総括しておこう。

議会の難しさは、一人では何もできないことだ。これだけは身にしみて感じている。そうなると、妥協をしなければならない場面も出てくる。ここが真価だ。

熟睡

2009-12-29 17:11:40 | Weblog
 小野上の知人に馬鈴薯が欲しいか、電話をしたら、是非貰いたいということで、結局、午後、小野上まで行ってきた。家の後片付けをしていたら、調達しておいて処分していない馬鈴薯が大分あり、昔の仲間を思い出した次第だ。

旅先の宿のような気がして、昨夜はよく眠れなかった。そうでなくても床が変わると熟睡できない性格なので、これは仕方がない。そのうちに慣れるだろう。結局、4回ほど目が覚めた。

4回目は寝ても仕方がないので、起き出し、久しぶりに歩きだした。流石に外は寒い。歩いていても一向に汗が出てこない。セブンイレブンに入る。そこで朝食を買った。家内への弁解を考えながら、帰宅。家内は未だ寝ている。

新しい家での一夜が明けた。

先祖

2009-12-28 16:11:16 | Weblog
 今日家を移る。天気が心配だが、大きなものは運んであるので、シートでもかける。朝、仏壇の前で先祖に報告した。当分は行ったり来たりの生活だが、徐々に生活の中心が新しい方に移っていくだろう。

予定では、電話回線の切り替えが夕方、と言われているので、ADSLが上手く機能するかチョッと気にしている。ではまた。

昼休みなく、一日中動いていた。ようやく目途がたった。それにしてもいろいろあるものだ。人間の生活の煩わしさまで感じてしまう。家内からは一気にやりたがるからと非難されるのだが、始めたら止まらない。それが当方の性格である。

今、電話が開通した。ADSLも順調である。明日からはここが発信基地となる。気分も新たに、魅力ある情報を流していきたい。

流石に腰が重たい。家内が元気なのに驚く。

家内

2009-12-27 17:45:12 | Weblog
 家を移る準備に忙殺される。とてもではないが、必要最低限だけ持ち出し、残りは当面置いておくというものだ。議会関係の資料も棚ごと残していく。必要のたびに取りに来るつもりだ。

年をとってから動くのが、いかに大変か身に染みている。今の家を新築したのは昭和48年で、その折は何カ月か親類宅の物置を間借りしていた。当時は独身で家は寝る場所さえあれば良かった。全く引っ越すことの苦労など感じなかったのだが、父親は今の私と同じだったろう。

といっても、私の方は未だ気楽である。家内は大変だ。台所用品の多いいこと。普段は気がつかないが、改めて感じる。2人だからといって、別段、鍋、釜がいらないということにはなりそうにもないようだ。

明日、移る予定だ。

ADSLの切り替えが、何とか明日中にはできそうだということだが。

恩師

2009-12-26 17:50:05 | Weblog
 私たちが15歳で上京するきっかけを作ってくれた恩師の奥さんの訃報を知った。高崎に向かう途中弟から聞いたのだ。一昨日亡くなられたことを知らなかったのは不覚だ。帰宅後、とるものも取らず、挨拶に伺った。

友人に連絡を入れると彼もそのことを知らなかった。私と友人は恩師夫妻に仲人もお願いした。もっとも、関わりの深かった者だ。

特に私は世話になった。休みで帰郷すると必ず顔を出して東京の話をした。40数年前のことだ。多分のこの恩師との出会いがなければ、私たちの人生も変わっていたろう。

初心を果たすことはできなかったけれど、多くの人間と出あい、多くの体験をした。それらは今でも自分の財産だと思っている。

そんな恩師とも一時期疎遠になったりもしたが、今ではお互いわだかまりもない。これが時の流れというものだ。

感謝

2009-12-25 17:31:49 | Weblog
 ただ今、12月定例会一般質問の原稿を更新しました。読み直してみると、結構、たたみ込んでいるなあ、と自分では思うのだが、最後の結論を導き出すまで、やれなかったということ。

布石を打っておいて、ということなのだが、この石が完全に浮いてしまった。浮いたどころか答弁側に利用されたということか。囲碁の勉強が必要だ。

事柄の本質を議論するには、やはり、一問一答形式だろう。多分、同僚もそう感じていると思うのだが。それと時間の配分に留意しなければならない。同僚や傍聴者を飽きらせては失格。ここは肝要だ。

今日は7時半に家を出て、前橋まで行ってきた。あちこちで用事を済ませ、こちらは年を越せそうである。嬬恋に戻れば、未だ、まだやり残したことがある。HPの更新もその一つだがこれは完了。

ギリギリ28日の夕方に、電話が新しい場所に切り替わる。当初は、年内は無理と言われていたのだが、数日前に連絡があり、OKということになった。NTTに感謝である。


更新

2009-12-24 17:56:53 | Weblog
 朝一番で「会報」の原稿を印刷所に届けた。年内に刷る上がる予定だ。当初は渋川まで足を延ばす気でいたのだが、義理を果たさなければならない用件ができ、トンボ帰りである。山田電気でソフトを買いたかったのだが、次の機会にする。

先ほど、本当に久し振りにTOPページを更新した。10分もあれば出きるのだが、サボっていた。確かに真冬にソバの花はない。やはり、雪景色だ。この時の写真を「会報」の1ページに使っている。

雪の朝の翌日、日の出をめがけて撮りにいったのだが、雲が晴れずイメージどおりなものができなかった。1時間ほど粘ったのだが、この程度である。文章は全くの走り書きである。確かに手を抜いている。

落ち着いたら、少し気合いをいれる。

原稿

2009-12-21 15:37:57 | Weblog
 年末らしく、気ぜわしい日が続いている。時間に追われ、ブログを書く余裕が出来ない。今日もこれから出掛ける。戻ってゆっくり書けばよいのだが、時期なので、出ればアルコールということになってしまう。

「会報」の原稿を仕上げている。落ち着いて書けないせいか、読み返してみると何となくまとまりに欠ける。明日、再度チェックをする。ただ、ここまでくると大幅な変更は無理なので、誤字、脱字の訂正程度か。

実は先ほど、上書き保存に失敗して、一度訂正した原稿を無駄にしてしまった。焦っているときはこんなものだ。結局、30分ほどの作業が無駄になってしまった、という訳だ。

明日は10時半から全員協議会が設定された。私の考えは決まっているので、うまくまとまって欲しいと思うのだが。

屋敷

2009-12-19 17:46:21 | Weblog
 朝6時から雪をかく。真冬並みの寒波だが、今日だけは少し遠慮して欲しかった。実は、9時から家から家具を運び出す計画をたてていた。昨日のような天気では中止せざるを得ない。夜半に目が覚めて窓の外を眺めた。

インターネットで私の地域をみれば太陽マーク。昨日も同様だったが、あのとおりである。どこが基準になったいるのかとも思ったが、幸い、夜が明けると陽が射してきた。友人たちのお陰で、午前中で何とか終了。小口の荷物はおいおい運ぶ。

年内には新しい場所に動く予定だ。ただ、高揚感はない。何しろ、どんな狭い屋敷でも、生まれ育った場所だ。家を片付けていると、子供たちの幼いころの写真が出てきたりする。少し感傷的なる。今の屋敷が消えるわけではないと、自分に言い聞かせる。