徒然にふる里を語る

 一市井の徒として、生まれ育った「ふる里」嬬恋村への思いをつづります。

同僚

2021-02-28 08:37:34 | Weblog

 2月も終わり。朝から陽が射しこんでいる。今日は気温が上がりそうだ。毎朝、7時半ごろパソコンを起動させるが、サッとブログに取り組める日と、無理やり言葉を並べるだけの日がある。

 2月最終日なので、何かしらのイメージが湧いてきそうなものだが、それが無い。昨夜、少し眠りが浅かったので、脳が目覚めていないのかも知れない。特別に神経を刺激した訳でもないが、早めに目が覚めて、その後ウトウトしていた。

 惰性でfacebookを開くと、幾つものコメントが入っている。主は、一緒に海外研修に参加した同僚で、その国際的センスと知見は私の及ぶところではない。中国やミャンマー、そしてベトナムで人材の確保や取り組みについて話したことを振り返ると、流石に先見の明があった、と改めて感心する。

 同じ団塊の世代で共有の体験もあり、社会的な立場には雲泥の差があったが、親しく付き合わせて貰い、私の現役時代の活動も豊かになった。ブログを読んでくれていることに感謝を込めてエールを送ります。

 ミャンマー編 一泊しただけだが妙に印象に残るバガンの宿 平成26年2月14日撮影

 

 


時間

2021-02-27 08:49:51 | Weblog

 地区の課題、明治以前からの入会地として区民が利用していた土地の綴りを引っ張り出した。この件については、私も30年近く携わってきたが、なかなか権利関係が整理できない。上の世代から聞かされた通りに処理出来なかったりで、時間がかかってしまった。誰もが仕事の合間にやってきたので、1年くらい何もせずに過ぎてしまう。

 地区にとってもう一つの課題であった、開拓農業協同組合を清算に持ち込むことを優先したこともあり、入会地の方は先延ばしされた。組合は目的を達したので清算しよう、と私と仲間が言い出した時、長老たちからは解散は無理、と言われた。それを何とか私達の世代で仕上げたので、気が抜けた面もある。

 正直のところ、一世代であれもこれも片付けなくても良だろう、という思いと入会地の解決の難しさから遠ざかってしまった。地区だけでは解決できない問題でもあり、数年前から行政に支援をお願いしている。やはり私達とは違ったアプローチができるので、何とか前に進みたいものだ。

 老骨に鞭打ってという言葉があるが、もう一踏ん張りしなければいけないか。

 ミャンマー編 ヤンゴンの商店街 東南アジアのどこにでもある光景だ。平成26年12月12日撮影


無理

2021-02-26 08:09:36 | Weblog

 老人クラブの総会資料をコピーした。区のコピー機を使ったのだが、性能が進化していることに驚いた。十数年前では考えられなかった仕様だ。ただ、200部から印刷するとなると流石に2時間半ほどかかった。

 午後1時に、知人のハウスに山ウドを取りに行くことになっていたので、少し焦ったが、何とか間に合った。例年併せて開催している敬老会が中止となったので、総会は役員会に諮って書面議決とすることになった。その段取りをした。

 今年の老人会長は、区長と同じように今までとは違った神経を使ったに違いない。本来なら慰労会の一つもしてやりたいところだが、そんな訳にもいかない。社会が落ち着いたら、一杯やりましょと、今日も話したが、いつになったら可能か見通しも立たない。

 結局、お互い慰めに過ぎないことは分かっている。それにしても、固辞するのを無理やりお願いして、この状況だから、これからは考えざるを得ない。無理を承知でという訳にはいかない。緩やかに、緩やかにかなあ。

 政府が「対ミャンマーの新規ODAを当面停止する方向で検討に入った」という記事が載っていた。日本から多くの企業が進出しているので、そのくらいしかできないだろう。

 ミャンマー編 ヤンゴンのメインストリート 平成26年2月12日撮影

 


終着

2021-02-25 08:11:36 | Weblog

 JR吾妻線の大前駅は終着駅だ。一昨年の台風19号で大きな被害を受け、約4カ月にわたって不通となったが、関係機関の尽力で復旧して1年がたった。感謝の花束贈呈が新聞に載っていたが、田舎の赤字路線を継続するには、地元の不断の努力も必要だ。

 吾妻線が開通したのは、私が何とか大学を卒業し、就職した1年目だった。ラジオで開通のニュースを聞いたことを覚えている。これからは長野原で乗り換えなくても帰郷できるのか、と感動を覚えた。

 当時、羽根尾駅は○○先生駅、袋倉駅は対抗する○○先生駅と揶揄されたが、その頃は政治家の力量の見せ所だったに違いない。まあ、高度成長の始まりで、国にも国民にも余裕があり、それほど問題にもならず収束した。

 長野県の篠ノ井に繋ぐと言うような話も聞いたが、それはあくまで机上の計画だったのだろう。終着駅のイメージを広げるために、河川に沿って数種類の桜を植えた。新緑のプラットホームに立つと、春霞の中に桜並木が浮かび上がる構図だ。断崖絶壁に建つ家並みと共に、きっとインスタ映えするだろう。

 長女の義父と初めて会った時、大前駅が話題に上った。若い頃、終着駅に興味を持ち、大前駅にも降り立ったことがある、と話していた。

 ミャンマー編 イラワジ川に陽が沈む頃 平成26年2月14日撮影

 


回覧

2021-02-24 08:34:57 | Weblog

 地区の敬老会及び生涯学習発表会を中止する、という区長名の回覧が回ってきた。突然の新型コロナ騒動で、区長にとっても大変な1年だっただろう。区を代表する区長に選出され、地域のために頑張ろう、と思ってスタートしただろうが、あらゆる行事が中止となった。そして、何かをやろうとすれば批判も出る。

 新型コロナウイルス感染拡大で社会全体にストレスが渦巻いている。地方ではこれ以上対策を取りようがないほど、それぞれが自粛しているが、やはり、都市部から漏れ出してくることは避けようがない。地方とって、それがこのウイルスの脅威だ。

 首都圏を除いて緊急事態宣言が解除されそうだが、1週間前倒しする判断が正しいかどうかは結果次第だ。リバウンドが起これば時期尚早だったということになる。どこまで抑え込めば良いのか、私などには分からないが、それぞれ政治的な判断もあるのだろう。

 緊急事態宣言解除で、私達の気が緩むことが一番怖い。これから陽気も良くなる上に、年度の切り替わりで人の動きは激しくなる。次の波が来れば東京五輪、パラリンピックは開催できないだろうと思うが、為政者にとっても難しい判断なんだろうなあ。

 ワクチン接種の調査票がきたが、希望する、とした。年内には何とかなるのだろうか。

 情報統制が強化されたのか、今日の新聞にはミャンマー動静が載っていない。

ミャンマー編 イラワジ川の夕日 同僚と静かに眺めていた。平成26年2月13日撮影

 


洗車

2021-02-23 08:28:56 | Weblog

 乗用車が塩カルをかぶったので、スタンドで洗車して貰った。大分汚れましたね、と言われたが、暮れ以来の洗車だ。この時期、雪のチラついた朝や夕方に走ると、てきめんに塩カルを浴びる。私の軽トラックなどエンジンの調子は良いのだが、運転席の床が落ちそうだ。いよいよ車検時に廃車をせざるを得ない。

 こまめに洗車をすれば違うのだろうが、車には余り興味が無いので、動けば良いくらいの考えだから無理だ。都会では車を運転する必要も無かったので、免許も帰郷してから取得した。軽トラックを買ったのは、仕事を止めて農業の真似事を始めた年だ。

 まる16年乗ったことになる。知人の軽トラックは平成元年だが、昨年車検を取ったと聞いた。車庫があり冬場余り乗らなければ持つのだろう。私の軽トラックも、塩カルを浴びなければ、後何回か車検を取れただろう。最初の選挙から軽トラックで走ったが、狭い路地でも山道でも、そして雪道でも重宝した。

 今となれば笑い話のような話だが、初めての選挙では訳も分からず4カ月で15,000kmくらい走った筈だ。どれだけ効果があったかは分からないが、典型的などぶ板選挙だった。もう、当時の元気はないが、軽トラックには感謝だな。それにしても走れば嬬恋村は広い。

 ミャンマーでは各地で大規模なゼネストが始まったようだ。日本政府は企業を人質に取られ、傍観しかないだろうなあ。

 ミャンマー編 バガンのマーケット 平成26年2月14日撮影 

 


神秘

2021-02-22 08:31:17 | Weblog

 昨日は季節を忘れる暖かさだった。午後、家の周囲を歩いたが、寒さに慣れた体が汗ばんできた。ウィンドブレイカーを脱いで腰に巻いた。あちこちで、厳冬に耐えてきたフクジュソウが、黄金色の花びらを開き出した。

 自然の営みに神秘さを感じる。私達の生活が、一つの新型コロナウイルスの出現で大混乱していても、草花は時期になれば、季節に合わせた営みを始める。私の庭でも、フクジュソウの周りでオオイヌノフグリが星屑を撒いたように咲いている。

 気温の上昇で、ネコヤナギの芽も一気に膨らんだ気がする。陽だまりのフキノトウも頭を持ち上げてきた。目に飛び込んでくる草花に接すると、張り詰めた気持ちが緩んでくるが、iPhoneを開けば社会の現実を目にすることになる。

 病気をした折、見舞いに来てくれた友人に、これを機会に、世間との関りをシャットアウトしたらどうだ、楽になるよ、と言われた。もう嫌というほど人と関わってきただろう、病気の原因もそれだよ、と真顔で念押しされたが、そういう訳にもいかなかったなあ。

 ミャンマー編 ヤンゴンのマーケット 旅行客で賑わっていた。平成26年2月13日撮影


夕食

2021-02-21 09:41:16 | Weblog

 昨晩は私の発案で、家内がお勝手に立たない晩とし、近くの食堂からカツ丼を取った。商業を守る商品券を使ったが、一年を通して家内がお勝手に立たない日は無い。副食はそれぞれが勝手に作ることにし、私は自分で越冬用の野菜を使いスープを作った。

 娘たちはインスタントの味噌汁を使ったようだ。家内の手を煩わせずに夕食は終わったが、孫が泣き出して、最後の後かたずけは結局、家内がする羽目になったが、気持ちが伝われば少しは癒しになったろう。

 時間ができたので、夕方、家内と前の家に保存している白菜とキャベツの様子を見に行った。3週間ほど前、白菜は知人に分けてやったが、残っている一部に腐れが出始めた。キャベツも、色の変わった表面を剥けば使えそうなので、合わせてコンテナーに3個持ち帰った。

 早速、家内が前橋の姉に取りに来るよう電話をしていた。処分するにはこの手が一番だ。家のモロには馬鈴薯と大根が大分残っているようだ。結局、費用を含め生活のことは昔から無関心だ。それこそ家内任せできたが、今でもそれは変わらない。

 姉が野菜を採りに来たらカツ丼の話をしよう。

 ミャンマー編 ヤンゴンの街角でくつろぐ庶民 平成26年2月13日撮影

 

 


田舎

2021-02-20 09:33:02 | Weblog

 季節の変わり目になると軽い腰痛が出る。今回も低気圧の移動に合わせたように腰が重くなり、3日ほどパソコンから離れた。一度離れるとサボリ癖が出てしまう。大した日常でもないので、更新しなくてもどうのということもないが、覗いてくれる人もいるので、そこは考えなければ、と思っている。

 先日、上の娘から写真が送られてきた。長男の9才の誕生日の写真だ。狭い部屋にHappy Birthdayの飾り付けがしてある。私も家内も孫の誕生日を失念していた。娘の誕生日は祝日の上、命名する折にその日が分かるような字を使っているので、誰でも想像がつく。孫の誕生日は娘と何日も違わないのだが。ウッカリしていた。

 少々遅くなったが、昨日、東吾妻町で「やよいひめ」を買って、誕生祝いに送ってやった。夜、facetime で、夏休みには田舎に帰って野菜作りを手伝って、と話すと、行きたいけどコロナで行けないかも知れない、と孫がいう。コロナに負けないで。と私。

 子供たちが安心して動けない状況で、オリンピックが開催できるのかなあ、と思ってしまう。本当は夏休みに孫が田舎に帰れ、オリンピックも始まる、という形が一番良いのだろうが、難しいだろうなあ。

 ミャンマーの報道が少なくなった。締め付けが厳しくなっているのだろう。

 今日のミャンマー編は、ヤンゴンの街角でくつろぐ人々 平成26年2月13日撮影


除外

2021-02-16 08:40:23 | Weblog

 風が変わって気温が急激に下がってきた。考えてみれば未だ2月半ばだ。嬬恋にとっては寒さが一番厳しい時期の筈だから、仕方がない。三寒四温と言うが、春の訪れは行ったり来たり。季節外れの暖かさや寒さは、それだけ春が進んでいることかも知れない。

 今朝の新聞に、過疎新法で嬬恋村と上野村が除外されることが載っていた。私が1期目の平成22年、過疎地域に指定され「自立促進計画」などを作ったが、財政状況の悪化していた嬬恋村にとっては、大きな支援となった。

 過疎地域の指定から除外されることは、並みの町村になれたと喜ぶべきことかも知れないが、財政運営上からすれば大きなマイナスだ。一昨年大規模災害に見舞われた上に、新型コロナ騒動で経済の柱の一つ、観光産業の低迷が続く中で大きな打撃となる。

 もう現役でないので、除外となった詳細は分らないが、財政力指数や人口減少率の面で、自立促進が進んだということか。平成22年の指定当時、周囲の町村から「おめでとう」と言われたが、除外されて「良かったね」という関係者はいないだろう。それが過疎指定だ。

 私が心配しても仕方がないが、村の将来構想にも大きな影響が出るだろうなあ。

 ミャンマー情勢が混沌としている。スー・チーさんの拘束も続いているようだ。研修旅行では、過酷なビルマ戦線で倒れた同胞の慰霊碑を訪ねた。

  バガン 日本人慰霊碑 平成26年2月14日撮影