徒然にふる里を語る

 一市井の徒として、生まれ育った「ふる里」嬬恋村への思いをつづります。

映画

2020-03-31 08:23:49 | Weblog

 大雪の光景を見て、長女がふる里に帰りたいな、と言ったが、家を出て何年になるだろう。高校は渋川市で過ごし、そのまま東京に出た。私も15才で東京での生活を始めたので、本人の望むとおりにしてやりたい、とは考えていた。

 高校時代は演劇に熱中し、担任から「練習に打ち込む情熱を勉強にも」といわれ、先々を心配していたが、そんなある日、知人から「グラフぐんま」に娘が載っていると聞き、早速、「グラフぐんま」を開いてみた。

 群馬県の人口が200万人突破した記念に、県が制作した「眠る男」という映画のカットで、商店街をバックに自転車を押している制服姿の娘が映っていた。

 監督は「泥の河」などを撮った前橋市出身の小栗康平さんで、中之条伊参の廃校をスタジオにして撮影されたとは聞いていたが、まさか脇役でも自分の娘が出ているとは想像もしていなかった。

 幸いなことに、小栗監督から「君は演技の才能はないから勉学に励みなさい」と言われ、次の日から勉強に没頭したようだ。そういう意味では小栗監督に感謝だ。

 夏には帰ってくれば良い。


感覚

2020-03-30 08:09:53 | Weblog

 昨夜の様子では、今朝は路面が凍って、歩くのは無理かと思っていたが、除雪された道路は、普通に歩くことができた。家内から、滑って転んで骨折でもしたら大変だから、明日は休んだ方が良い、と言われたが、それほど老いてはいないよ、と強がった。

 何故、そんなに朝早くから歩くのか、と問われると、早く目が覚めるから、というしかないが、年々、目覚めが早くなる気がする。議員時代は歩きながら、その日の予定を確認したり、挨拶の筋書きを考えたりしていたが、今はそんな必要もない。

 それでも、東の空が明けてくる光景に出会うと、すっかり緩くなった脳が動き出す感覚に襲われる。継続は力で、少し体力も回復してきたかな。

 

 


母親

2020-03-29 08:46:25 | Weblog

 温暖な地で生活している長女からfacetimeがきた。雪の光景を子供たちに見せてやりたいという。4月に小学校3年生になる上の子は、3年前、パルコールスキー場へそり乗りに連れて行ったので、雪がどんなものか分かっているが、下は初めて目にすることになる。

 玄関に出で、周辺の風景を流してやると、一番感動しているのは母親で、帰りたいなという。私に反発し、高校から家を出て大学、就職と都会での生活を選んだ訳だが、それでもふる里への捨てがたい思いは、心の奥に残っているのだろう。

 仕事と子育てに追われる中で、雪の降り積もるふる里の風景を見て、気分新たに今週も頑張って欲しい。最後に今日「米」が届くよ、と伝えると、「じーじ、イチゴ」の声がした。


儀式

2020-03-28 15:15:05 | Weblog

 昨年の11月末に生まれた孫の「お食い初め」の儀式をやるようだ。4カ月が経ち随分重くなった。表情も豊かになり、私の方を見て時々笑う。生まれてから今日まで一緒に生活をしてきたのだから、少しは他人と違うのかも知れない。

 家内が朝から赤飯を炊いたり、料理の準備をしている。「お食い初め」は我が子の成長を祝い、「生涯たべることに困らないように」という願いを込めて、食べる真似をさせる儀式のようだ。

 自分の子供2人には「お食い初め」どころか、七五三の行事さえやってやれなかった。共働きでそんな余裕が無かったせいもあるが、私が殆ど育児に手を出さなかったことも大きい。それでも、2人の娘の桃の節句には雛人形だけは飾ってやった。

 離れて暮らしているいる長女に長男が生まれた折、端午の節句に 「兜飾り」くらい買ってやろうか、と連絡したら、置くところがないのでお金で良い、と言われた。

 まあ、それが一番と思ってしまった自分がいた。

  孫の「お食い初め」のご相伴にあずかりました。

 


情勢

2020-03-28 09:48:10 | Weblog

 昨夜は地区の老人クラブの三役引継ぎがあった。新年度から書記ということだが、引継ぎ資料がUSBの中、ということでチョッとびっくりした。先ほど開いてみるときっちり整理ができていて、片手間ではいかないと、改めて感じたところだ。

 首都封鎖の可能性が高まっていると報じられる中で、田舎の老人クラブと言えども新型コロナウイルスの感染拡大の影響は甚大で、すべての活動が中止となっている。総会は書面議決で済ませたが、新年度の活動は情勢を見ながら進めることになりそうだ。

 首都圏では外出の自粛要請が出されたが、先週の3連休の人出を見ると、早めに要請していればと、考えるのは私だけではないでしょう。田舎でも緊張感が増しています。


上京

2020-03-27 08:56:45 | Weblog

 以前書きましたが、議員在職中は「嬬恋物語」というホームページで議会活動を発信してきましたが、役割を終えこのホームページは閉鎖致しました。「嬬恋物語」の中では、私が15才で東京に出た頃の思い出などを物語風に仕立て、投稿してきました。

 それらを徒然に、このブログに掲載したいと思います。2回目は上京した際の最初の宿です。ここには1年間いました。

  三畳一間

 昭和38年4月、私は中野区鷺宮に間借りした。時代がかった住宅の2階、三畳一間であった。台所もトイレも大家と共用である。大家一家は国鉄に勤める主人と娘2人。奥さんは既に亡くなっており、家事は高校3年の長女が切り回していた。三畳一間で、家賃は月3,000円。当時の相場が一畳1000円と言われていたので、至極標準的である。

 この主人とは、4年前まで年賀状の交換をしていた。但し、年賀状をやり取りしていたのは、私ではなく、私の父親であった。そこには1年程しかいなかったが、父親は、息子が間借りしたと言う縁で、40年近く年頭の挨拶をしていたことになる。 寡黙だが几帳面な父親らしい。 私が杉並区にある高校に進学することになり、父親は知人を頼って下宿先を探した。しかしながら、大学生ならいざ知らず、高校生を下宿させてくれるところはなく、父親自ら上京して見つけたのが、この三畳一間であった。
 結局、私は自炊することになり、電気釜や鍋、茶碗などは、結婚して神奈川に住んでいた姉が買い揃えてくれた。三畳の部屋には机と電気ゴタツ。それから小さな食器入れ。これで一杯であり、寝る時はコタツを畳んで壁に立てかけて布団を敷く。朝は布団を畳んで押入れに入れ、コタツのテーブルを作る。それが最低限の作業である。 

部屋には窓が2つ。三畳の部屋には似つかわしくないが、東の窓からは一番で朝日が差し込み、北側の窓からはイチジクの木の向こうに畑が見えた。道路一本隔てた隣は練馬区で、田園風景が広がり、都会の景色としては、肩透かしを食ったような気もしたが、ここから私の東京での生活がスタートしたのだ。

2006/4/25


冬眠

2020-03-26 08:57:39 | Weblog

 昨日、長い間の冬眠から目覚め、facebookとこのブログを連携させたら、ブログの閲覧者が倍になり、正直驚いている。facebookの影響力を改めて感じるのだが、私の文章力ではどこまで読んでいただけるか、不安もある。

 一日で家の周辺の雪は消えた。昔、小学校の入学式の日に30cmを超える大雪となったが、その夏は気候が不順だった記憶がある。この冬は殆ど降雪がなく、生活には楽だったが、スキー場は大変だったに違いない。

 村営バラギ高原スキー場の指定管理者の資本が代わったと聞いたが、このシーズンはどうだったろうか。指定管理者の決定には自分も関わっていたので、そこは気になる。いずれにしても、新型コロナウイルスの収束が図れないと、生活も経済も日常に戻れない。

 昨夜、首都封鎖が現実味と報じられたが、その影響に想像力が追い付かない。


厄介

2020-03-25 09:52:26 | Weblog

 昨日とはうって変わって、息をのむような空が広がっている。例年、道脇のフキノトウやスイセンが姿を見せると、厳しい冬を越した安ど感と次の季節への期待で、気持ちが軽くなるのだが、今年は重苦しさが拭えない。

 新型コロナウイルスの感染が止まらない。オリンピック、パラリンピックも1年程度延期が決まったようだが、地域の行事も全く予定がたたない。JAの生産者大会も中止、総会は縮小し書面議決の要請が来た。地域の伝統行事である八十八夜祭はどうなるのだろうか。

 NYダウが、2,112ドルと史上最大の上げ幅を記録した。しかしながら、経済政策では止められないのがウィルスの拡大だ。結局、一人一人が不自由を甘受し、今まで以上に痛みを分かち合わう気持ちにならないと、収束は見通せないのかも知れない。

 本当に厄介なコロナウィルスだ。


迷惑

2020-03-24 09:49:55 | Weblog

 これが春先の雪か、と思うほどモクモクと降ってきた。5時過ぎに家を出たときは、東の空が見えた。路面に数センチほど積もっていたが、支障なく毎日のコースをこなした。朝食を終える頃から本格的に降り出したが、本当に迷惑な話だ。

 昨日、裏山の畑の様子を見てきたが、殆んど乾いて何時でもトラクターが入れそうな様子だった。それは良いのだが、楽しみにしていたタラの木が、何本も皮をはがれて幹が変色していた。犯人はカモシカに違いないのだが、防護ネットを張らなかった自分が油断したということか。

 そういえば、数日前、家の横までニホンカモシカが顔を出した。私を見ても逃げる気配もない。こちらも放っておいたが、今年の農業も獣との戦いになりそうだ。電気柵のコードが劣化したうえ、バッテリーの昼夜切り替えができなくなったので、今年は購入しなければならないだろう。

 知人に大型機械で起こしてもらい、専業農家と同じ農薬を使い、獣や害虫に愚痴をこぼしながら、何故作るのかと聞かれると、正直答えに詰まってしまう。

 


墓地

2020-03-23 10:38:24 | Weblog

 彼岸の明けで、お墓参りに行ってきた。家内が朝から忙しそうに動いているので、私1人で共同墓地に向かった。彼岸の明けくらいお墓参りができないの、と言いたいところだが、その辺りは丸くなった。

 彼岸やお盆には、普段くすんでいる墓地の光景が一瞬華やかになる。我が家の墓も不釣り合いのほど、菊や色花で飾られていた。中日に姉と妹があげたのだろう。それに自分の持って行ったカーネーションや小菊を加えた。

 風が強いので注意しながら線香を手向け、「おさご」をまいた。墓は父親が建てたもので、中台には父親の字で「色即是空」と刻まれている。魂入れの折、菩提寺の住職がそれに気づき「誰が考えたの」と父親に聞いた。「倅がさ」と父。

 我が家のお墓には、戦死した伯父2人が刻まれた石塔が並んで建っている。お墓を改修するとき口論になったのだが、私には、祖父が飲みたい酒を断って、息子2人のために、やっとの思いで建てたものを撤去する気持ちにはなれなかった。

 忘れてはいけないし、忘れるべきではない、と今でもと思っている。