徒然にふる里を語る

 一市井の徒として、生まれ育った「ふる里」嬬恋村への思いをつづります。

対策

2009-04-30 17:31:59 | Weblog
 午後、「サル対策打合せ会議」に出る。区長が所要ということで代わりに出席した。県の担当と「下仁田・妙義」で群れの研究をしている某大学の院生が来るという。昨年、この地区には委員会の調査で出かけ、非常に興味を持っていたので、喜んで出かけた。

サルの基本的な生態は分かっているつもりである。こちらも5年間彼らと対峙しているので、そこそこの知識は持ち合わせている。どんな説明をするのか興味があったが、「下仁田・妙義」の現状は理解できた。ただ、問題は嬬恋の野猿にどう対処するかという政策の問題である。

当然、被害を受けている我々の感覚と行政とでは隔たりがある。言いたいことは山ほどあるのだが、それを言っていては解決にならないので、取りあえずお互い出来ることに全力を尽くすしかない。

参加者の一人がいみじくも漏らした。「一生サルの追い払いをやるんかい」結局、そんな問題なのだ。根本的な解決策はみんな分かっているのだが、それが出来ないジレンマ。

唯一

2009-04-29 16:50:51 | Weblog
 我が廃屋の枝垂れ桜が満開だ。狭い庭で、思い入れのあるものはないが、この桜の木だけは別格である。以前にも書いたが、植木屋が目をつけたのだが、親父の形見といって断った。実はこれは私が30年近く前に植えたものである。

先日も、その道に詳しい知人に大切にするよう言われた。出来れば新しい場所に持って行きたいとも思うのだが、家内は反対である。しかし、庭木などに全く興味を示さない私が植えた唯一のものだ。

この木の下に、父親が高山から下ろしてきたシャクナゲの老株があるのだが、この花が昨日の霜で見事にやられてしまった。ピンクの花弁が枯れ色に変わっている。そういえば、山々のところどころに浮かんでいたコブシも消えてしまった。

嬬恋の自然の厳しさを感じる。それにしても感心するのはキャベツの苗だ。昨日は凍りついているように見えたが、今日は完全に立ち直っている。まるで道脇のクローバーと変わらない。変わらないというのも可笑しいから、寒さに強いと言っておくか。

連休が始まったが、娘2人は帰ってこない。下の娘は職場らしい。

挑戦

2009-04-28 17:20:16 | Weblog
 朝5時に起き出し外に出た。気温がひどく下がっている。久しぶりに歩きだした。道脇の西洋タンポポが霜で光っている。ここ数日季節が完全に戻ってしまった。浅間山を見ても、逆さ馬から一転、頂上まで真白である。

今日は畑に出た。前橋から姉夫婦が手伝いに来たのだ。腰に不安を抱え焦っていたのだが、取りあえずマルチを1本張り終えた。連休にはもう一度来てくれるということなので、何とか間に合いそうだ。

今年は再度「トマト」に挑戦する。昨年は自己採点で50点である。トマトの栽培はなかなか難しい。原因は土作りが充分でないという気もするのだが、今年は一番水はけのよさそうな場所に作ってみる。

畑の隅のタラの芽が動き出した。週末に温度が上がれば一気に噴き出すだろう。長女や姪に当てにされているので、タラの芽採りにも精を出さなければ。

実行

2009-04-27 17:20:24 | Weblog
 3月分の例月検査を実施。公債費の大きさを改めて実感する。それは兎も角、新年度前半の課題はスキー場の指定管理者問題であり、この件について現状と当局の描くシナリオについて聞いた。

例月検査の席でもあり、当局の説明を聞き置いたが、6月定例会では議論が必要な問題となるだろう。前もって自分の考えを整理しておかないと、住民の期待に応えられるような対応はできない。いろいろ情報を収集していく必要がある。

例月検査で関係書類を見ていると、やはり定期監査が必要だと思うのだが、慣例にしたがい辞職届を提出した。2年間、識見の委員にお世話になり、何とか務めは果たせたと思う。

一番感じることは、前にも書いたが「お上のやることには間違がない」が前提になっていたこと。さもなければ「夕張問題」などは起こらなかったハズだ。改めて実効のある監査が求められる。

慣例

2009-04-26 16:16:07 | Weblog
 季節が戻ったようだ。狂ったように吹き抜ける突風に、散りそびれた桜が天空に舞い上がっていく。挙句に、雷が鳴り米粒ほどの雹が窓ガラスをたたく。畑に出るわけにもいかず、家で暇を持て余していた。

昨日、東京の地下街を歩いたせいか、腰が少し重い。休養だと思えば良いのだが、貧乏症に生れた故、何もせずに1日が過ぎていくのが、少し不安である。そこで考えた。今週の予定は。

そうだ、やることはある。明日、開拓組合の記念碑が建つ。5月の2日には除幕式をやる予定だ。通知を出さなければ。やれやれ、やるべきことをやらないだけだ。慌てて案内状を作った。

ついでにハタと考えた。明日は例月検査だ。議会選出の監査委員は慣例により2年で交代ということだ。辞表を提出する必要があるだろう。そこで休日にも関わらず、所管の課長に電話をする。ここが私のせっかちなところ。

向こうは明日打ち合わせをしようと思っていたという。抜かりはない。慣例によれば議会の構成も変わる。いろいろな動きがあるのだろうか。

美術

2009-04-25 17:45:35 | Weblog
 用事を済ませて先ほど戻った。上野駅で新幹線に飛び乗った。お陰で予定よりも早く帰ることができた。懐かしの銀座だ。JR有楽町駅で降りて歩くつもりでいたのだが、横殴りの雨脚に恐れをなし、地下鉄日比谷線を利用し一駅先の東銀座で下車。徒歩3分で待ち合わせ場所についた。

2時間ほどで用件は終了。上野に出て東京都美術館に寄った。「FFF」という団体の作品展が開かれていて、家内の叔父から招待状を貰っていた。何でも、干俣川から見た夕暮れの浅間山風景を出展していると書いてあった。

30分ほど鑑賞する。叔父の作品は確かに大作である。見覚えのある風景で嬬恋の大地の雄大さが分かる作品である。叔父のは油絵だが、水彩画で数点気持ちを惹かれる作品があった。まあ、審美眼に自信はないのでこの辺にしておく。

それにしても、雨だというのに銀座も上野も人、人、人である。

銀座

2009-04-24 16:54:01 | Weblog
 明日は東京で要人に会う。落ち合う場所が銀座ということだ。私の勤め人人生のスタートは銀座8丁目である。そこに東京支店があった。8丁目といえば銀座の外れだ。それでも新橋よりも聞こえは良い。

会社の独身寮が藤沢にあり、東海道線で通っていた。ほぼ1時間の通勤である。朝はいいのだが、帰りは不規則で時々終電車のお世話になった。仕事半分、道草半分である。新人の安月給では、当然、立ち寄り先はガード下の一杯飲み屋だ。同期に一人気の合う男がいて、いつも一緒であった。

従って、私とすれば新橋界隈の方が安心なのだが、銀座3丁目が指定の場所である。明日は少し早めに出ようと思う。天気も悪いようで銀座を歩くことは難儀だろう。それはそれで良いのだが、要人に何か手土産をと考えたのだが、嬬恋には何もない。

そこで草津まで飛んで、清月堂の「紅花いんげん」の甘納豆を買ってきた。以前、輪作の作物として農林水産省に持って行ったことがある。結構、好評だったことを思い出したのだ。原産は嬬恋で加工が草津である。

豆は嬬恋産ですと言って渡すか。

再編

2009-04-23 16:14:30 | Weblog
 中之条で行われた葬儀に参列し先ほど戻った。年度が替わって3件目だ。このうち2件が村外の斎場である。1昨年までは100%活性化センターで行われていたが、昨年から急に村外が増えた。

先日、区の役員会でどこに問題があり、活性化センターが敬遠されるのか検討してもらった。いくつか理由はあるようだが、高齢化が進み隣組の付き合いも以前と大きく変わっていることも要因の一つだろう。

平成16年、私が区長の折、葬儀などが効率的に行えるよう長期的視野で隣組を再編しようとした。だが一部区民の反対を受けて、肝心の処に手がつけられなかった。今になれば、もう少し頑張って再編をしておくべきだったと思うのだが、最後は時間もなく諦めてしまった。

退任の日にちが近づくに連れて、どうしてもやるという迫力が無くなっていくのが自分でも分かった。結局、同意してくれた区民宅を謝りに歩いたものである。何故再編が必要なのか、時間をかけて説明すべきだったという反省はあるのだが、考えたことは正しかったと、それは今でも思っている。

負け惜しみかも。

今日も出かける。家内は呆れ顔である。

追記
10時過ぎ戻った。連日で今日はセーブである。色々収穫もあったが消耗する話もあり、懇親会も大変である。

秘書

2009-04-22 17:06:33 | Weblog
 中途半端な一日である。パソコンに向かい何を書こうかと迷う日は、それほど多くはないのだが、今日はその一日だ。書きたいことはあるのだが、書かない方が賢明ということもある。相手に迷惑がかかることもあるし。

地元出身の国会議員の秘書氏と話をした。ブログが有名である。睡眠時間2,3時間で飛び回っている様子なので「健康を害さないように」言ってください、と話しておいた。先日の国政報告の感想も付け加えた。

写真が出来て届けに来てくれたようだ。選挙は常在戦場というが圧倒的に得票する理由が分かるような気がする。やはり相手がやらない努力をしているのだ。日常の活動こそ生命線なのだろう。

私も今日は浅間高原に行ってきた。勉強になった。

芝桜

2009-04-21 16:04:53 | Weblog
 「愛妻の丘」は霧雨に煙っていた。晴れていれば浅間山の裾野が一望できる。私流にいえば、たまたま農地に造成できず残った丘である。そこがこれほど世に出るとは夢にも考えなかった。ここに目を付けた人は先見の明があったということだ。

この丘に芝桜を植えた。昨年に引き続きボランティアである。腰が回復途上で一寸心配だったのだが、何とか人並みの作業はこなせた。14人の議員で1時間20分、黙々と植えた。明日イベントが予定されていて、雨天決行の作業である。

頃合いを見計らったように、作業終了直前激しく雨が降り出した。完全に発案者の気合勝ちである。何年かして丘が一面芝桜に覆われるようになれば見事な光景ではある。そういえば、雄たけび台に「愛妻の鐘」が設置されていた。

このあと、将来にわたってどう展開していくのか、興味は尽きない。1つ、2つシナリオを描いてみるか。