徒然にふる里を語る

 一市井の徒として、生まれ育った「ふる里」嬬恋村への思いをつづります。

性癖

2009-09-30 17:38:09 | Weblog
 生憎の雨である。寝ていようと思ったのだが、毎日のノルマをこなさないと落ち着かず、結局、家を飛び出し霧雨の中を30分ほど歩いた。湿度が高いので、時間の割には汗をかき、シャワーを浴びる羽目になった。

農作業とも考えたのだが、雨模様の中、それほどの根性もなく、結局、知人の山荘を訪ねて半日談義した。何といっても、俗世間から離れた気ままな生活は、団塊の世代には夢だ。1クラス46名の4クラスというような構成の中で、競争・競争で育ってきた私など、ドロップアウトしたら、そんな生活を送ってみたいと思っている。

私たちの中学時代は、人の後ろにいたのでは、給食さえ満足食べられない、というような時代だった。これはチョッと大げさだが、同級生を掻きわけて自己主張しないと、教師にだって忘れられてしまうのだ。大体この年になっても、その性癖が抜けず、俺が俺がの輩も多くいる。これが団塊世代の特徴の1つだ。私も含めて皆さんの周りにそういう類がいませんか。

なお、このことの真偽は定かではありません。

店舗

2009-09-29 20:36:08 | Weblog
 久し振りに前橋に出る。雨模様のせいか、道路が酷く混んでいる。急ぐ旅ではないのだが、裏道を走ろうとして脇道に入ったが、途中で迷う羽目になり、後ろの席で知人はお冠である。私としては、運転しているのは私だと言いたいのだが。そこはジッと我慢であった。

シャッター通りとはよく言ったものだ。街を歩いていても空き店舗が本当に目に付く。寂しい限りだが、時代の変遷には逆らいようがないのも事実だ。代わって、郊外のバイパス沿いには大型店舗が競うように出店している。そして、平日にも関わらず、駐車場はどこも満杯なのだ。

私も、ヤマダ電機とユニクロに寄ったのだが、やっぱり安い。ただ、ユニクロでは60過ぎの親父が必要なものは、置いてなかった。同乗の知人に軽蔑されて終わりである。春先には3点も、4点も買ったぞ、と反抗したかったのだが、大人げないので止めた。

そうそう、代わりに宝くじを買いました。

追記
 それこそ久し振りにサル情報 門貝須原から西窪方面に移動 30日は西窪、大前方面への出没の可能性が高いようです。

広報

2009-09-28 17:52:53 | Weblog
 午前10から議会報の編集委員会で、議会事務局に出向く。連休もあったので、久し振りの事務局だ。1人の委員が所用で出席できず、4人と事務局で編集方針の大枠を決める。トップは当然20年度決算なのだが、ここに少し工夫を凝らすことにした。決算の詳細は、当局が発行する「広報つまごい」に掲載されるので、それに対する質疑応答などを解かり易く掲載する。

私も会報を編集しているのだが、どこに重点をおいて広報するかは、非常に難しい。個人であれば、個性で済むのだが、議会の広報は正確性と公平性が求められる。特に、一般質問のまとめ方には気を使う。発言に対する比重の置き方で、インパクトが出る場合もある。

従って、ここは委員の編集が入らないと、事務局には大きな負担である。編集委員会で殆ど作成している町村も多くあるようだが、私たちにはまだ難しい。現状は、実質的に事務局作成となっているのだが、少しずつ勉強していこう。議会活動の一環と捉えれば、目標は委員による編集だ。

反省も込めて、11月に開催される広報づくり研修会に、全員で参加することにした。先進地の視察もしようか。

法事

2009-09-27 16:50:59 | Weblog
 叔父の49日の法要に出席する。今日は郡民祭なのだが、こちらは欠席した。叔父は母親の1つ違いの弟で、94歳と天寿をまっとう出来たのでは、と思っている。3年前に、私の母親が亡くなった時には、5人の兄弟がすべて80歳を超えるという、長寿ぶりであった。

叔父は、朝早くから夜遅くまで、眠っているとき以外は、仕事というような人間で、村でも有名な働き者であった。母親もこの叔父を頼りにしており、兼業農家の我が家では、田植えから稲刈りまで、肝心な農作業はこの叔父に助けて貰った。

献杯の発声と指名され、挨拶をしたのだが、話をしているうちに昔を思い出し、胸が熱くなった。高校2年の春、父親が医の手術をしたのだが、癌と言われ、これ以上東京で学生生活を送るのは無理と思い、帰郷して叔父に相談したのだが、叔父は即座に、自分が応援するから東京で頑張るよう、私を励ましてくれた。

幸いにして、父親は潰瘍ということで事なきを得たが、この時戻っていたら私の人生はどなっていたか、考えることもある。ただ、叔父の言葉を直ぐ忘れてしまったそのツケは、大きかったとも思うのだが。



批判

2009-09-26 17:04:36 | Weblog
 タイトルが何故2文字なのかと、時々聞かれる。大した意味は無いのだが、論理的な思考は余り得意でなく、文章がどうしても感覚的になってしまう。その為、その日の文章の雰囲気を表すような言葉を選んでタイトルとしている。しっくりいくこともあるし、後日、自分で首を傾げるようなこともある。

 連日、ニュースやワイドショウが「八ツ場ダム」問題を報じている。今日の地方紙には、「八ツ場対応に批判」のメールが地元役場に送られ、対応に苦慮しているという記事が載っていた。寂しい話では無いかと思う。私も多くは語れないが、3世代にもわたり国家や政治に翻弄される人々の心の痛みは、想像を絶することだろう。

 朝から憂鬱なのだが、姉夫婦が畑仕事を手伝いにやってきた。先日防除したトマトが数日で一気に色づいた。ナスも私の背丈まで伸び、未だ花を咲かせている。日中温度があがるので、息を吹き返したようだ。品目は少なくなったが、もう少し家計に貢献出来るかも知れない。

運動公園で陸上大会が催されている。選手の名を読み上げる女性の声が流れてくる。ふと眼を上げた空は夏の雲だ。幾分気持ちが楽になる。

八ツ場の地元が日常を取り戻すのは何時になるのだろうか。


原稿

2009-09-25 18:13:16 | Weblog
 朝、野菜の直売所にキャベツを買いに行く。「議会報告NO.10」を印刷所に持ち込むのだが、いつも無理をお願いしているので、手土産にと考えた。原稿は自分で作るので、印刷して貰うだけなのだが、格安に手際良く対応してくれる。

私がVISTAに変更したときには、普段は殆んど使わないWindowsをバージョンアップしてくれた。専門家はやはりマックなのだ。気持ちの良いご主人と気のきく奥さんに魅かれて、3か月に1度訪れるのが楽しみでもある。

そんな訳で、来週には上がるかも知れない。目標は一応村の広報誌が出るまでと思っているのだが、最後の方は何時もきつくなる。今回も日曜日に行事が入っているので、少し遅れるかも知れない。

そこで、多めに印刷しているので、もし必要な方がいましたら、次にメールを下さい。お届けするか、郵送いたします。

 E-mail:takizawa@tsumagoi-story.com

午後、地デジの関係で県の出先機関まで出向く。こちらの思い込みもあって、今日は同じ場所を2往復することになったのだが、途中での会話がヒントになり、ことが上手く進むような気もする。そうなれば、2往復も無駄ではないということだ。

車中で役場に電話し、総務省に確認してもらうというような綱渡りであったが、懸案の1つが解決できそうだ。

追悼

2009-09-24 16:37:44 | Weblog
 戦没者慰霊祭と追悼式に出席する。嬬恋村から354人の先達が戦火に散った。私の家も、父親の兄弟3人の内、兄2人がこの大戦で亡くなっている。従って、私には父方の従姉は1人しかいない。この従姉は、伯母が再婚しても姓は変えず、結婚するまで私と同じ姓を名乗っていた。

子供の頃、祖父が時々「何もしてやれない」と嘆いていた。それは私の父親への当てつけでもあっただろうが、誰もがその日を生きるのに忙しく、父親を責める気にはなれない。伯母も何年か前に他界し、従姉とも季節の挨拶程度なのだが、それでも彼女のことは意識の中にある。何といっても父親のたった1人の姪なのだ。

遺族も年々年老いていく。出席者の数も減っているような気がする。遺族会代表の挨拶にもあったが、戦没者の親から兄弟へ、そして私のように兄弟の子へと移っている。私はこのことはしっかり引き継いでいきたいと思う。古びた写真でしか知らないが、伯父2人が戦火に倒れているのだ。

昨日は「八ツ場ダム」で今日は「戦没者追悼式」国家というものを考えると気が重くなる。

「議会報告NO.10」の原稿が出来た。明日、印刷所に入れる。

更新

2009-09-23 14:59:28 | Weblog
 秋分の日 本家に線香をあげに出かける。ここも長男が外に出て、普段は無人である。私の方は、ここから祖父が出たことを何時も意識している。除籍簿を見ると、私までが一族の戸籍に載っている。

私の子供の代になれば、こんなことも忘れ去られてしまうのだろう。近いうちに、祖父が新宅に出たこの場所を離れることになるのだが、その時には「ごめんな」と祖父に言おう。あの頑固な祖父が何というか。

新しい大臣が「八ツ場ダム」を視察しているようだ。秋分の日というのも、巡りあわせだが、簡単には解決策は出ないと思う。テレビで如何にも物知り顔で解説をしているコメンテーターを見ると、何か寂しさを感じる。

秋だからではあるまいに。

HPのTOPを更新した。納屋とソバの風景だ。それと、9月定例会の一般質問原稿を更新。

翻弄

2009-09-22 17:12:44 | Weblog
 家の前の国道を他県ナンバーが走っている。この連休は大分入っているようだ。観光客に里帰り客、どちらにしても喜ばしいことだ。朝、自分の集落を1時間ほどかけて1回りするのだが、あちこちに見慣れない車が止まっている。

昨日の同級生ではないが、彼岸の連休となりふる里に戻ってきたのだろう。我が家の子供たちはどうしているか思っていたら、昨夜、下の娘が帰ってきた。R144号は渓谷付近で大分混雑していたようだ。

娘ではないが、「八ツ場ダム」でも見に来ているのか、と考えたということだ。連日テレビで映像が流れ、日本中の注目を浴びているのだから、まるっきり的外れとも言えないかもしれない。

国家権力に蹂躙され、政治の流れに翻弄され、立ち尽くさざるを得ないとしたら、それは余りにも辛すぎる。そして、無念すぎる。

「議会報告」の原稿が大体仕上がった。A3をA4に縮小して印刷してみた。印刷してみるとパソコンの画面とはイメージが大分違う。何か所も修正が生じる。明日もう1度チェックしてみる。

何時もこれでOKと思うのだが、どこかにミスが見つかる。原稿があがってホットするのが原因かもしれない。

彼岸

2009-09-21 10:41:08 | Weblog
 昨夜は区評議員会に出席、午後9時半過ぎに帰宅する。最後に9月定例会の報告をさせてもらった。簡単に終わる予定が、地デジ、教育施設再編、指定管理者などの問題で熱が入り、結局、30分以上しゃべってしまった。

地デジや教育施設再編の問題は、私の地区にとっては大きな課題であり、情報はつないで置きたいと考えている。指定管理者については、あがったばかりの「議会報告」原稿をコピーしていった。

 「切羽詰まった状況で」という表現に、充分審議を尽くしたのか、というような厳しい質問も受けた。評議員の中には状況を察して、肯定的な意見もあったが、この先どうなるのか、矢張り、そこに関心があるようだ。

最後はトップが方針を出すしかない、というような発言があり、そこで司会が会議を閉じた。

家内から、今日は敬老の日といわれ、あっそう、という感じである。私の中では、敬老の日は未だ9月15日なのだが、秋の大型連休の入込はどうだろうか。そこは心配である。

彼岸だ。

15の時一緒に東京に出た同級生が突然訪ねてきた。彼岸で帰ってきたらしい。一時期体調を崩したと聞き、心配していたのだが元気そうで安心した。実家は私の家から歩いて数分である。

人懐っこく誰からも愛されていた。誰が都会に一番溶け込めるかという話題で、全員が彼を推した。結果はその通りになった。

パノラマラインを走ったらしい。忘れかけていた嬬恋を思い出したと言っていた。私は嬬恋を忘れかけていないだろうか。自分に問うってみる。