徒然にふる里を語る

 一市井の徒として、生まれ育った「ふる里」嬬恋村への思いをつづります。

手袋

2020-09-30 14:10:06 | Weblog

 歩いていると、手先が冷たくなり、明日から手袋が必要だと感じた。厚めの服装で家を出たが、5時前の気温は確実に一桁に違いない。歩き出しても体が温まらないので、急ぎ足になる。

 東の空が明るくなるにはもう少し時間が必要だ。黙々と歩く。何のために朝早くから歩き出すのか、と聞かれると、答えに窮するのだが、一日のリズムを整えるため、というのが模範解答だろう。

 知り合いの農家にキャベツを2ケース切って貰った。今、ヤマトまで運んだが、中之条町なので、当日便で届くようだ。電話をすると、今年はキャベツが高くて買うのをためらってきた、とか言っていた。未だ小売りでは値が下がらないらしい。

 明日は10月、畑の跡片付けは疲れる。道上の隣人と話をするのだが、春先の気合が懐かしい。何だかんだと言いながら1シーズンが終わろうとしている。来年はどうするか決めてないが、まあ、同じことを繰り返すのだろう。

 人生ってそれが幸せなのかも知れない。

 庭先の草花シリーズはキダチダリアです。華やかさだけでなく高貴さを醸し出す。

 


展開

2020-09-29 10:48:48 | Weblog

 「嬬恋晴レルヤ」の取り組みを見ていると、私の私的なブログなど意味があるのか、と思ってしまう。キーボードを叩く指先が鈍るのだが、「嬬恋晴レルヤ」は発想も展開も素晴らしいな、と感心している。ニュースフィードに自分のブログと並ぶとその思いを強くする。

 それでも、それぞれがそれぞれの立場で、この村を愛し支え懸命に生きていく、それが「嬬恋ハレルヤ」ではないか、と勝手に思い直して、ブログを綴っている。嬬恋村と言うふる里が、それぞれの心の拠り所であることを願い、控えめに発信していきたい。

 台風19号で甚大な被害を受けた鹿沢高原には魅力を感じていた。桟敷高原、湯尻川、角間山、湯の丸と私のような素人でも、かけ外のない豊かな資産だと考えていた。湯尻川は畑の排水の流入しない唯一の河川だ。私達は、清流に若葉や紅葉が映える湯尻川を関東の奥入瀬と呼んでいた。

 管理釣り場にどうか、というような議論もしたが、すべての思いが一瞬にして濁流にのみ込まれてしまった気がする。そして、その川が大きな被害の一因なったことを考えると、自然災害の恐ろしさに改めて立ち尽くす。

 庭先の草花シリーズ picture thisによればムギワラギクと呼ぶそうです。

 

 


羽目

2020-09-28 11:18:15 | Weblog

 少し早いが、畑を片付けだした。今朝は残っていたカボチャを収穫したが、栗カボチャなどがコンテナに2つ、坊ちゃんカボチャがコンテナに1つ、これをどう処理するか、頭を悩ますことになる。

 春先には早く畑を埋めたくて、無計画に植えるので、最後にまた気を使わなければならない羽目になる。これはせっかちな性分が災いしているのだが、人生何事にもこんな感じだった。

 明日まで待てない、というところがあり、家族からあれこれ言われたが、結局は治らなかった。野菜など、誰にでもやれば良いではないか、と思われるかも知れないが、そう簡単ではない。

 少々物が悪くても、気兼ねなく置いてこれるところは、何軒もない。核家族が多いので、同じものを一度に貰っても困るだろう。従って、今シーズンは少量づつ回数を多くと思ってきたが、この量のカボチャはそんな訳にはいかない。

 私のは青系のカボチャなので、保存があまり効かない。家内は味付けをして冷凍保存しているが、それにも限度がある。長女にも送るとか言っていた。私もこのところ毎食カボチャの煮物である。

 自分で作ったものなので、いらないと言えないのが辛い。

 今日の庭先の草花は、友人宅のダリアです。やはり華やかだが、今の自分はチョッと違和感を覚える。


一緒

2020-09-27 11:24:42 | Weblog

 珍しく家内が裏山の畑に出る、と言い出した。それも動噴で消毒をする、というのだ。実は昨日、諦めた筈の若いブロッコリーを採ってみた。見た目では青虫が這った形跡がないので、家に持ち帰りゆでてみた。

 虫は出ず、シャキシャキとして食感が良い。青虫に喰われた外葉を見て嫌な顔をした家内が、美味しいと言い出した。私の方は若干の嫌味を込めて、コナガが舞っているので、もう一度消毒をしないと無理だなあ、と返す。

 家内が、明日は天気が良さそうだから、消毒をしたら、と被せてくる。腰が万全でないので動噴が背負えるかどうか分からない、と冷淡に答える。すると家内は、準備をしてくれれば私が消毒をする、と言い出した。

 一晩経てば考えが変わるだろうと思っていたが、今朝、顔を合わせると、何時に畑に出るときた。これは本気だぞ、適当にあしらうと後に祟ると直感し、10時に畑に向うことにした。

 畑に着いても未だ動噴を背負う気でいたが、消毒用のマスクもない未経験者が効率よくできる筈もない。私の方は朝から自分でやると決めていた。メンツを潰さないように、今朝は腰の状態が良さそうなので、やってみる、とソフトに申し出た。

 家内からは「後で腰が痛いとか言わないで」の一言で、こちらの責任になってしまった。無事、消毒を終わりネギに追肥をしてきたが、家内はミニトマトやナス、パプリカなどを採ってご機嫌である。

 気が変わらないことを祈るばかりだ。

 今日の庭先の草花 picture thisによれば、ゼニアオイという花です。花言葉は何故か分かりませんが「皮肉」だそうです。


産地

2020-09-26 11:13:05 | Weblog

 中之条の知人からブドウが届いた。大粒な「藤みのり」と「ゴールドフィンガー」という種類だと思うが、糖度もあり食味豊で驚いた。彼岸には須坂の巨峰とマスカットを買っているのだが、それに引けを取らない。

 家内も娘も沢渡でこんなに美味しいブドウが取れるの、と驚いている。家内は酸味と甘みの調和が良いと感心していた。娘は皮ごと食べられる「ゴールドフィンガー」が気に入ったようだ。マスカットと変わらないらしい。

 どのくらいの生産量があるのか分からないが、食味で勝負できるのではないか、と思いながらご馳走になった。ここに至るまでには、生産者の大きな努力と工夫があったのではないか、と想像される。

 嬬恋のキャベツ産地も、昭和初期からの先人たちの努力で基礎が築かれた。そして、日本が高度成長期に入る頃、模範としていた「岩手カンラン」を追い越した。その要因の一つが「柔らかく食味が良い」ことが消費者に受け入れられた、と聞いたことがある。

 やはり食味が大切だ。沢田のブドウもいつかメジャーになることを願っている。

 庭先の草花 突然片隅に咲き出すイヌサフランです。

 


線香

2020-09-25 09:05:05 | Weblog

 今日は彼岸の明け、霧雨の中お墓参りに行ってきた。家内は仕事らしいので、一人で祖父母、両親、そして戦死した伯父2人の墓に線香を手向けてきた。普段は色のない共同墓地が、今朝は彩り鮮やかに見えた。

 跡取りが外に出ている本家の墓に線香をあげた。私は、ここから祖父が新宅に出て、私で三代目と言うことは常に意識しているが、私の子供たちは、そんな気持ちは持ち合わせていない。

 彼岸の入りに、多忙だった家内が花を買い忘れ、私とイザコザしたのだが、聞いていた娘が庭のシュウメイギクを飾れば、というので、普段ならそれで十分だが、彼岸の意味が分かっていないなあ、とチョッと体の力が抜けた。

 コメリで彼岸用の花を3束買ってきて、仏壇に飾り、それを墓地に持って行った。子供たちに地域や家のしきたりを教えてこなかった、自分に責任があるのだが、時の流れには勝てないので、仕方がないか。

 今日の庭先の花は彼岸花です。昔は田んぼの畦に咲いていたのだが、この花も見なくなった。知人の家に咲いています。

 


訪問

2020-09-24 08:18:29 | Weblog

 昨日でようやく歯の治療に一区切りついた。約4ヶ月かかった。都合の良い時間が予約できず、家に戻れば午後9時近くなることもあり、治療が終わる前に体が終わってしまうのではないか、と考えた時期もある。

 今になれば、思い切って前橋まで出て良かった、と思っている。課題のかみ合わせが良くなり、食事が楽くになったが、年を取ってからの苦戦は、若い頃から歯を大事にしてこなかったことが原因だ。今回、つくづくそのことに気付いたが、子供の頃、歯を磨くと言う習慣が無かった。

 歯科衛生士のメンテナンスが月1度、先生の検査が3ヶ月に1度の計画で、次の予約を入れてきた。最後に、先日届けた幻のキャベツ419が、どうしてスーパーで買えないのか尋ねられたので、あのキャベツでは農家が所得を上げられない、とだけ答えておいた。

 このブログを開設して、今日が4,714日目になる。トータルの訪問者数293,277uu、トータルの閲覧数736,445pvとなる。

 勝手に思ったことを書いているので、数字にこだわっている訳ではない。議員時代はその立場から発信していたので、慎重に構えていた面もあるが、現在では気ままにブログっている。それでも訪問してくれる方に感謝だ。

 庭先の草花シリーズ この時期は何といってもアスターです。種が飛んだようだ。

 

 


葛藤

2020-09-22 10:13:06 | Weblog

 この連休の入込はどうだろうか。国道を走る他県ナンバーが少ないような気もするが、浅間高原や万座温泉の状況はどうだろうか。家と裏山の畑、そして時々コンビニと、行動の範囲が限られているので、地元情報が過疎っている。

 活字媒体にも余り接しなくなったが、政治や経済の情報はインターネットで十分に取得できる。若い頃は、朝日新聞と日経が必携だったが、今は、地方紙1紙と夏季だけ農業新聞が入る。地方紙は「おくやみ」欄がメインで、農業新聞はキャベツの相場だ。

 生活の範囲が確実に狭くなっている。体も徐々に動かなくなってくる。先日、玄関のマットに躓き腰を痛めそうになった。感覚として上がっている筈の足が、現実は上がらないのだ。これはかなりショックだった。

 走ろうと試みると体の状態が良く解かる。以前のように軽くステップが踏めない。長く続かない。自分自身にイラつくが、それが現実だ。チョッと変わった行動をとると下半身に疲れが残る。

 それが年相応と思わないとストレスの原因となる。ここが肝心なのだが、若い頃の記憶が残像となって離れず、葛藤の日々がある。私の愚痴に、いい加減で諦めたら、と家内が口を出す。

 庭先の草花シリーズ この時期は何といってもコスモスです。どこの家の庭にも咲いています。

 


風船

2020-09-21 09:42:25 | Weblog

 朝、歩けなかったので、夕方家の周りを散歩していると、赤いホウズキが目に飛び込んできた。懐かしさに惹かれデジカメを向けた。無人の家の庭先、失礼しますと断りながら、シャッターを切った。

 子供の頃、ホウズキなどどこにでも生えていたが、今は殆ど見ない。彼岸にホウズキに出会えるとは、それこそ何かの縁を感じる。昔は、彼岸に赤いホウズキを仏壇に飾ったものだ。

 ホウズキで作る風船を知っていれば、かなりの年代だ。ヘタの部分に爪楊枝で穴を開け、割れないように柔らかくもんで、種と汁を取り出すとホウズキ風船が出来上がる。悪たれどもが真剣に取り組んでいた。

 下から息を吹きかけ飛ばしたり、口の中で唇と下で抑えるとブーブーと音が出た。吸い込む息で膨らますと、風船に戻り、また吹き鳴らす。ひどく素朴だが、僕らの夏休みの遊び道具だった。白いランニングシャツに半ズボン、そして赤いホウズキ、今ならインスタ映えするだろう。

 近頃、やけに昔の話が出てくる。

 庭先の草花シリーズ 赤いホウズキ

 


彼岸

2020-09-20 08:23:16 | Weblog

 彼岸、昨日は彼岸の入りで共同墓地の掃除に行ってきた。家内に声をかけるも、忙しそうなので、一人で墓地周辺の草を刈った。横で知人が夫婦で花を飾っていたので、お墓参りは彼岸明けではないの、と尋ねると、彼岸の入りに飾って、明けに片付けにくるのが家の習慣と言っていた。それもありだ。

 盆前に姉夫婦と一緒に掃除をしたが、それから雑草が大分伸びた。共同墓地なのではっきりした区切りはないが、私の家の墓は本家の後ろにある。今、本家が無人となってしまったので、墓の管理も思いに任せず、私とすれば一抹の寂しさがある。

 お墓の草刈に行く、と言うと家内は草など刈らなくも良いように改修すれば、と言うが、ただで出来るわけではない。無理をしても、両親も祖父母も喜んではくれないだろう、と勝手に思うことにしている。

 共同墓地は、老人クラブがボランティア活動で定期的に清掃してきたが、それが止まっている。神社、活性化センター、駅へ通じる階段なども、月に一度ボランティアで掃除をしてきたが、先日の役員会で再開に不安の意見も出て、老人クラブとしては今年は中止と言うことになった。

 高齢者の集まりの組織をどう運営していけるのか、先が見通せない不安がある。世の中は動き出したようだが、そんな雰囲気ではない。

 路傍の花シリーズ 最後はクサノオウです。道端のどこにでも咲いているが、その気にならないと目に留まらない、寂しさがあります。