徒然にふる里を語る

 一市井の徒として、生まれ育った「ふる里」嬬恋村への思いをつづります。

現金書留ー後編

2020-05-09 16:17:33 | Weblog

 今日、ミニトマトの苗を下ろそうと思っていたが、気温が上がらないので、延ばすことにした。管理が上手くいかなかったのか、根腐れ気味なので、明日は何とか定植したい。このところの寒暖差は私だけでなく、作物にもストレスがかかっているようだ。

 先日、端午の節句に付き物の菖蒲が通販で、数本1,100円と書いたが、今日たまたま、その菖蒲を見つけた。子供の頃、田んぼだった筈の湿地に生えている。誰もが田んぼを作っていた頃は、どこでも見られたが、田が荒れた現在では貴重だ。

 菖蒲と言えば「花菖蒲」をイメージするが、全く別物で菖蒲の花はひどく地味だと思う。花と言うより穂という方が似つかわしいか。今年、その写真を狙ってみる。

 昨日に続いて、私の東京での生活「現金書留」の後編をお届けします。

  

  現金書留-後編
 
 仕送りの中から先ず家賃三千円を長女に渡す。彼女はそれを受け取ると、今月は月末までキチンと持たせてねと言う。おせっかいな奴と思いながらも、私は素直にはいと答える。仕送りが届くと急に気分が豊かになる。その日の夕飯は外食だ。私は駅前の定食屋に向かう。上京して暫くすると、東京の生活に慣れた私は外食を覚えた。店はカウンターに十人も座れば満席だが、夕食時には若者で繁盛している。私はそこの日替わり定食が気に入っていた。夫婦だろう。力士を想像させる親父と小柄な女性がカウンターの中で汗を流している。魚を焼く煙と野菜を炒める湯気が換気口に吸い込まれていく。
 最初に外食をしたのは中間テストの前夜だ。食事の支度をする時間が惜しかったと言うより、面倒に思えた。そこで駅前の定食屋に飛び込んだと言う訳だ。一食百数十円かかるのは痛いが、試験で頑張れば田舎の両親は許してくれるだろう、と勝手に解釈して、テスト期間中そこを利用した。それがきっかけで、その後も時々その定食屋を利用する事になった。勿論、毎日そこで食べていたのでは仕送りが持たないので、月初めが主である。それ以外は相変わらず、大家の台所で食事の支度をしていた。大家一家では、主人と次女が台所に立つ事は余り無く、殆んど長女が一人で切り盛りしていた。
 ある日、並んで夕食の準備をしていた私に、長女が突然尋ねた。将来はどうするの。田舎に帰るの、それとも東京に残るのと。それは当時の私には難しい質問であった。嬬恋から東京に出るのが目的で、その後の事は余り考えていなかったのだ。私は、未だ解りません、大学までは行くつもりです、と答える。小さな鍋のふたがカタカタと音を立てる。彼女がもう煮えたわよと言う。私は慌ててガスを消し、彼女を見つめる。

 2006/08/27