ふる里の夏祭りが終わった。ビリーバンバンコンサートを懐かしく聞いた。「白いブランコ」など、音楽に余り興味のない私でも知っている。彼らの歌を聴きながら、私にとって何時の時代なのか思い出そうとしたが、はっきり浮かんでこない。聞けば、丁度40年前にレコーリングされた曲だと言うことだ。
この時代、私は何をしていたのだろうか。大学は全共闘運動が曲がり角を迎えていた。私は、将来どうすか目標も定まらず、惰性の日々を送っていたような気がする。残念ながらはっきりした記憶が蘇らない。何か思い出したくない理由があるのだろう。
この頃の自分には「演歌」や「艶歌」の方が似合っていた。場末の盛り場で、カルメンマキの「時には母のない子のように」や藤圭子の「東京流れもの」に涙していたような気がする。「時には母のない子のように、黙って海を見つめていたい」「ああ、東京流れもの」そんなフレーズが頭に浮かぶ。
そんな自分にとって「白いブランコ」は夢の世界だっただろう。結局、人並みに卒業して日常の世界に戻っていくのだ。そんな私の不器用で泥臭い青春を切なく思い出させる一時ではあった。周りには私みたいな人間が一杯いました。
この時代、私は何をしていたのだろうか。大学は全共闘運動が曲がり角を迎えていた。私は、将来どうすか目標も定まらず、惰性の日々を送っていたような気がする。残念ながらはっきりした記憶が蘇らない。何か思い出したくない理由があるのだろう。
この頃の自分には「演歌」や「艶歌」の方が似合っていた。場末の盛り場で、カルメンマキの「時には母のない子のように」や藤圭子の「東京流れもの」に涙していたような気がする。「時には母のない子のように、黙って海を見つめていたい」「ああ、東京流れもの」そんなフレーズが頭に浮かぶ。
そんな自分にとって「白いブランコ」は夢の世界だっただろう。結局、人並みに卒業して日常の世界に戻っていくのだ。そんな私の不器用で泥臭い青春を切なく思い出させる一時ではあった。周りには私みたいな人間が一杯いました。