昭和14年、船岡村(柴田町船岡)周辺に海軍火薬廠支廠として開庁し、その後
第一海軍火薬廠となり、その面積は約540ヘクタールという広大なものでした。
民地との境界に境界標石が埋設されました。
船岡・山崎山公園から舘山のハイキングコース沿いに境界標石が多数見られます。
また、しばたの郷土館中庭にも多数あります。
先日、角田市神次郎地区に行った帰り、柴田町並松地区の県道沿いに見なれた標石
がありました。

県道、角田に向かう右側


掲示板の手前

海軍境界標石がありました。
何度も通っていましたが気が付きませんでした。
標石をよく見るとM字が上下二列刻まれています。
多くの人が海軍の標石なので「波」だろうと。

明治40年の地図の凡例
陸軍所轄「M」1個
海軍所轄「M」2個
因みに仙台市西公園に陸軍の施設があり、標石が残されていました。

友人Hさん撮影、その後撤去されたようで、現在探してもありません。
第一海軍火薬廠となり、その面積は約540ヘクタールという広大なものでした。
民地との境界に境界標石が埋設されました。
船岡・山崎山公園から舘山のハイキングコース沿いに境界標石が多数見られます。
また、しばたの郷土館中庭にも多数あります。
先日、角田市神次郎地区に行った帰り、柴田町並松地区の県道沿いに見なれた標石
がありました。

県道、角田に向かう右側


掲示板の手前

海軍境界標石がありました。
何度も通っていましたが気が付きませんでした。
標石をよく見るとM字が上下二列刻まれています。
多くの人が海軍の標石なので「波」だろうと。

明治40年の地図の凡例
陸軍所轄「M」1個
海軍所轄「M」2個
因みに仙台市西公園に陸軍の施設があり、標石が残されていました。

友人Hさん撮影、その後撤去されたようで、現在探してもありません。