こんにちは。
昨日のこと、ふと、ニコニコ動画で長男のハンドルネームのところを見てみたら、新たに動画が投稿されていた。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm28905567
先日の二人のツーリングの様子が載っていました。
(FBにも載せてみたけど、ニコニコだから、みんなが見えるかどうかがよくわからない)
ヘルメットの上に、GOPROというカメラをくっつけて、道中を撮影していたのは知っています。
それが、編集されて投稿されたのだな。
デジタル音痴のお父さんは、そういうことは多分永遠にできんです。
お前だからの、あの日あの時の回想ができたんだ。
おもろかった。
ありがとうね。
昨日の朝崎さんの歌を今日も聴いてみた。
「19の春」という歌がある。
https://www.youtube.com/watch?v=YRa9To3IYz4&list=RDRPW3VAtTl6s&index=4
それをなんで知っていたかもよく知りませんが、間違いなく聞いたことはある。
それはかつて、戦中派のじいちゃんが歌ったことがあるのかもしれないし、あたしが小さいころには、この歌が流れたのかもしれない。
今、改めてそれを聴く。
・・・
「主さん、主さん・・・と呼んだとて、主さんにゃ、立派な方がある。」
いくら主さんと呼んだとて、一生叶わぬ、片思い。」
・・・
結局未遂に終わった前回の九州ツーリングでも、行けるものなら知覧へ行ってみたいと思っていた。
それは、特攻隊だからということでもなくて、かつての戦争の歴史の象徴のようなもの。
それがあっての今のあたしたちだと思っていますので、そんなご縁を、肌身で感じてみたいと思っています。
そしてこの歌。
これが戦中だとすれば、言葉巧みに検閲を逃れるような歌詞で、それでも、死を覚悟して逝かんとする愛する人に想いを届けたいという歌の作者の心情が、このメジャーな旋律でなおのこと・・・なんとも哀れ・・・
黒田節に、こんな節がある。
「皇御国(すめらみくに)の武士(もののふ)は、何するものと例うべし。
その身に持てる真心を、君と親とに、尽くすなり。」
儒教的な、君=天皇と親のために我が身を尽くせという言葉は、日本人のあたくし、心情的に美しい景色とさえ思います。
がっ!
この「19の春」もまた、同様に魂の呻きと聞こえます。
文化的なことはさておいて、右も左も、行き過ぎてはいかんのよ。
次代の子供たちが、「変なオヤジだったけど、まぁまぁ、そこそこのオヤジだったか?」とあたしを評してくれればそれがありがたい。
再び・・・「阿母」を聴く・・・
https://www.youtube.com/watch?v=TPIJE6z_Uxc&index=2&list=RDRPW3VAtTl6s
「雪の降る日も、道なき夜も、この手を離さずに、あなたは微笑んだ」
・・・
その歌に、じいちゃんやばあちゃんが思い起こされたあたしは、幸せなご縁だったと思います。
願わくば・・・
この不出来な親ながら、少しそれを感じて、次孫へつなげてもらえたらと願います。
(まぁ、こんなこと書いている時点で、めんどくさいオヤジだとも思っています)
昨日のこと、ふと、ニコニコ動画で長男のハンドルネームのところを見てみたら、新たに動画が投稿されていた。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm28905567
先日の二人のツーリングの様子が載っていました。
(FBにも載せてみたけど、ニコニコだから、みんなが見えるかどうかがよくわからない)
ヘルメットの上に、GOPROというカメラをくっつけて、道中を撮影していたのは知っています。
それが、編集されて投稿されたのだな。
デジタル音痴のお父さんは、そういうことは多分永遠にできんです。
お前だからの、あの日あの時の回想ができたんだ。
おもろかった。
ありがとうね。
昨日の朝崎さんの歌を今日も聴いてみた。
「19の春」という歌がある。
https://www.youtube.com/watch?v=YRa9To3IYz4&list=RDRPW3VAtTl6s&index=4
それをなんで知っていたかもよく知りませんが、間違いなく聞いたことはある。
それはかつて、戦中派のじいちゃんが歌ったことがあるのかもしれないし、あたしが小さいころには、この歌が流れたのかもしれない。
今、改めてそれを聴く。
・・・
「主さん、主さん・・・と呼んだとて、主さんにゃ、立派な方がある。」
いくら主さんと呼んだとて、一生叶わぬ、片思い。」
・・・
結局未遂に終わった前回の九州ツーリングでも、行けるものなら知覧へ行ってみたいと思っていた。
それは、特攻隊だからということでもなくて、かつての戦争の歴史の象徴のようなもの。
それがあっての今のあたしたちだと思っていますので、そんなご縁を、肌身で感じてみたいと思っています。
そしてこの歌。
これが戦中だとすれば、言葉巧みに検閲を逃れるような歌詞で、それでも、死を覚悟して逝かんとする愛する人に想いを届けたいという歌の作者の心情が、このメジャーな旋律でなおのこと・・・なんとも哀れ・・・
黒田節に、こんな節がある。
「皇御国(すめらみくに)の武士(もののふ)は、何するものと例うべし。
その身に持てる真心を、君と親とに、尽くすなり。」
儒教的な、君=天皇と親のために我が身を尽くせという言葉は、日本人のあたくし、心情的に美しい景色とさえ思います。
がっ!
この「19の春」もまた、同様に魂の呻きと聞こえます。
文化的なことはさておいて、右も左も、行き過ぎてはいかんのよ。
次代の子供たちが、「変なオヤジだったけど、まぁまぁ、そこそこのオヤジだったか?」とあたしを評してくれればそれがありがたい。
再び・・・「阿母」を聴く・・・
https://www.youtube.com/watch?v=TPIJE6z_Uxc&index=2&list=RDRPW3VAtTl6s
「雪の降る日も、道なき夜も、この手を離さずに、あなたは微笑んだ」
・・・
その歌に、じいちゃんやばあちゃんが思い起こされたあたしは、幸せなご縁だったと思います。
願わくば・・・
この不出来な親ながら、少しそれを感じて、次孫へつなげてもらえたらと願います。
(まぁ、こんなこと書いている時点で、めんどくさいオヤジだとも思っています)