ぴかの独り言 GooBLOG vol.1

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2018 大晦日前日

2018-12-30 10:33:00 | ノンジャンル
おはようございます。

28日で本年の営業を終えまして、明日には長男家族が来る予定です。

一日早いですが、

今年も皆さまには大変お世話になりまして、ありがとうございました。


長女にも娘が産まれ、家族が息災で、暮れにももちゃんこそ倒れましたが、お蔭様で復活。

そういうあたしは、満60歳を迎えることが出来ました。


何が多くても少なくても、今の幸せがないと思えば、ありがたさで心がいっぱいになります。

本当にありがとうございます。


来年も、佳き年となりますよう、心から祈ります。

あまねく、穏やかでありますように。

ありがとうございます。



(戌年だったんだなぁ・・・)

陛下のお言葉に涙する平成最後の12月23日でした。

2018-12-23 09:33:00 | ノンジャンル
おはよ。

まぁ、タイトルは無視していいです。


さて、今年が残り一週間となりまして、何もしなくても気ぜわしいのはなぜですか?

年末の大掃除というのが嫌いで、神棚だけきれいにするとあたしは大掃除をした気になりますので、先日の定休日にやったりました。




長男家族の帰省に合わせて、あたしの寝床は事務所になりますので、事務所用に、留守のばあちゃんの家からテレビを持ってきました。

無駄にデカイですが、買うよりまし。




そんな程度の新年に向けての準備を済ませて、あとは、次男は年末ぎりぎりまでお仕事が続きますので、お父さんはお弁当作りとおさんどんに精を出したいと思います。

この頃、勤め先からお魚をいただくことが多いので、サバの味噌煮を久しぶりに作りました。

(次男いわく・・・自分でさばいたらしいが、それにしてはキレイにできすぎているから、手伝ってもらっての出来栄えかもしれないとお父さんはちょっとだけ思っています)

肉じゃがも久しぶりに作りました。

どちらも、まぁまぁかな?




凝ったものや目新しいものが出来ないお父さんですので、お弁当なんかは毎日ほぼ同じです。

揚げ物が、とんかつとから揚げとミンチかつに変わる程度で、あとは卵焼きが甘いのとしょっぱいのと変わるくらい。

これは、エサみたいだなぁといつも思いながら、変えられぬあたしを許してください。

ごめんね~


それでも文句を言わずに、毎日お仕事に向かう次男を、お父さんは誇らしく思っています。

なかなかお休みが取れないですが、体に気をつけて頑張ってください。

陰ながら、応援しています。



嬉しくてありがたいのです。

2018-12-16 13:35:00 | ノンジャンル
こんにちは。

前回ブログから、また10日も経ってしまった。

途中、次男おかあちゃんと京都に一泊旅行に行ったくらいが話題で、あたしはお仕事三昧でした。


先日のご来客は、振袖のご用命でしたが、なんと!平成で言うところの33年の成人式の方。

まだ2年以上も先なのに、お知り合いが豊坂屋がいいよといってくださったようで、突然のお越しをいただいた。

そして、なぜか気に入っていただけてご成約。

ただ、あたし自身は大変複雑で、そんなころに果たしてあたしはちゃんとお仕事をしていられるのか?というのが心配でした。

何度も「本当に今決めても良いのですか?」とお尋ねしてみるものの、それでもよいと言われるので、ありがたく商いさせていただきました。

聞けば、すでによその呉服屋さんからのダイレクトメールが来ているとおっしゃる。

・・・そんなにせっつかなくてもエエのにねぇ

と、あたしは正直に申しました。


これで、あたしは少なくともあと3年は店を開けていないといけない。

そういうご縁だと思いなおして、あと3年、頑張ろう。


今朝は今朝で、

「レモンがたくさん取れたので、よろしければ、送りましょうか?」

と、会ったこともない稲村さんと言う方が声をかけてくださった。

「では、少しだけいただきます」

と返信したら、

「干し柿も入れておきますね、ウッフン 」(ウッフンはうそ)

と、なんともありがたいご提案をいただきました。


こんなことを思い返して、また、つらつらと思う・・・

ご縁の果ての果てで、あたしは正しく生かされているのだなぁ。


どちら様にも、心からありがとうございます。(最敬礼)



平成最後の忘年会は、あたしにとっても区切りだったのだ。

2018-12-06 16:13:00 | 己の記録
こんばんは。

12月にしては、驚くほどの暖かい日が続いたこの頃でした。

寒がりの年寄りのあたしにはありがたかったですが、普段どおりでないと困ることもあろうかと思います。

穏やかでありますように。


そんな本日は、名古屋でお仕事して、いつものスーパーで買い物していたら、ちょうど小さな鏡餅が並んでいたので、新年用に我が家の分ともう一つ、ばあちゃんの分を買って、早速施設に届けてやりました。

それを見せながら、「もうすぐお正月だよ」と言うと、ニヤッと笑ったばあちゃんでした。

そばのテーブルに置いてきました。

・・・

良い年を迎えますように。


さて、回想。

一昨日の夜は、お仕事仲間と名古屋で忘年会

18:00 伏見のリリーバンケットというところに集合。

17:00そこそこの電車で、向かいました。


定時に到着、そして、早速、宴会開始。

ここから、相も変わらず、怒涛の飲み放題の海へとあたしはダイブいたします。


このお仲間たちのグループは、実は、今でこそあたしは言いたいことを言っておりますところの直木さんという方が、10数年前に「どうしたら、呉服屋が生き残れるか?」ということを真剣に考えてくださって、出来た組織です。

発足当初あたしはそこにいなかったのですが、たまたま修行先が一緒だった永野ちゃんという呉服屋さんが「にーみちゃん、入ったら?」と誘ってくれて、ご縁となりました。

当時、子どもたちを抱えていて、そのお仕事の会合(名古屋)に出ている最中に、

「お父さん、学校に来てください」

と電話がかかってきて、申し訳ないと思いながら中座を許していただいたことも覚えています。

(その後、あたしの実情がご理解いただけるようになりまして、あたしもほとんど末席を汚しながらのメンバーを続けさせていただきました。)


そんなご縁のおかげで、あたしも商売が順調にまいりました。

それから、10年は過ぎたと思います・・・

子らはそれぞれ、無事に育ちまして、あたしも還暦を迎えました。

大好きな呉服屋という商いでここまでやれたのは、直木さんが立ち上げたこのグループと、メンバーの皆さまのおかげだと、改めて感謝しています。

そんな中、少し前から、鏡でわが身を見る度に感じていたことがありました。


鏡の中に映る自分は、ハゲ頭のシミだらけの皮膚の緩んだ顔のおじいちゃんでした。

気力はある。

体力も、衰えたとは言えそこそこある。(はずだ)

ただ、そんなこのあたしが、20歳そこそこの若いお嬢さんのお相手をしている・・・というのが、我ながらどうにも気持ちが悪いと思うのでした。
(それでもお越しくださるお客様が、本当にありがたいのです。ありがとうございます。)

まぁ、自分でそう思っちゃったんだから、これはごまかしようがないですの。

・・・

改めて、自分に尋ねてみた。

・・・

「良い潮時である」と、あたしがあたしに答えます。


ということで、今期を最後に、長らくお世話になりましたこのグループからさようならをいたします。


少し前にそんなことを現会長に申しましたら、「忘年会には出るように」と告げられましたので、ひっそりと抜けるつもりでしたが、厚顔で出席いたしました。

そして、宴会開始の乾杯の後に、お礼を言わせていただく機会も作ってくださいました。

皆さま、お世話になりっぱなしでしたが、本当にありがとうございました。

・・・

涙が出そうでした。(うそです)


とまぁ、そんないきさつがありましたこのたびの忘年会。

それでも、あたしがしおらしくするわけもなく、今回設営をしてくださいました芸達者の浅野さんのおかげで、ガンガン飲んで楽しみました。

以下、その時の画像。




あたしをこのグループに誘ってくれた恩人の永野ちゃん

この世に、悪いことなんてあるのだろうか?・・・と、あなたを見ていつも思っています。

お世話になりまして、ありがとうございます。




次期会長の今ちゃん

修行先の後輩ながら、先輩らしいことを一つもせずのあたしでした。(ごめんね)

グループのアイドルのあなたに、たまさかご縁が巡りまして、あたしの進退に関わっていただきました。

いろいろご迷惑をかけますが、どうぞよろしくお願いします。

ありがとうございます。




そねさん

グループの、重石みたいな方です。

芯があるというのか、まっすぐな人です。

直木さんと同じニホヒがしています。

印刷機、お世話になりました。

ありがとうございます。




豊田の兄さん

豊田市のえらいさんのはずなのですが、そんなそぶりを見せず、影に日向に、あたしに声をかけて心配りをいただきました。

直近の兄さんからのメール。

「世界文化遺産記念。秋田名物 きりタンポン挿入、生ハゲごっこ」

(奥様がご覧になっていないことを祈りつつ)

・・・

これには最後までついていけなかったあたしですが、どうぞいつまでもお元気で。

あたしはあなたが大好きです。

ありがとうございます。




丸ちゃん

本当は森さんなんだが、心も体も本当におだやかなまん丸な方で、あたしが勝手に丸ちゃんと呼んでいます。

頭が良くて、気配りが利いて、やさしくて・・・

こんな人、そうはおらんです。

(ついでに、料理も上手い!)

公私にわたり、大変お世話になりました。

ありがとうございます。




タダスさん

グループで、一番近い場所のお仲間です。

その風貌が、どうにもあたしには「高校の社会の先生」に見えてしまっていて、ついブログでもそう紹介してしまいました。

失礼しました。

でも、あたしの印象は、今日まで結局変わりませんでした。

良い意味で受け取っていただければ幸いです。

ありがとうございました。




紅二点。

きいこさんとすみださん

すみださんと何かあるかと期待しながら、なにもなかった事が悔やまれます。

お二人にも、大変お世話になりました。

ありがとうございます。




浅野さん

今回幹事をしていただきまして、楽しく過ごさせていただきました。

さすが、ロータリーで鍛えられていますね。

お見事でした。

お世話になりました。

ありがとうございます。




直木さん(左。右は天野のおじいちゃん・・・いつまでもお元気で)

そもそものご縁は、あなたでした。

心から、お礼申します。

ミズちゃんから

「毎日毎日、どうしたら皆がうまく出来るのかな?って、丸いグラフを作って一生懸命考えていた」

と聞いた時のことを、今でも忘れません。

その後、あなたたちご夫婦には、格別にお世話になりました。

改めて、本当にありがとうございます。

(写真がこれしかなかった・・・すまん)


写真でご紹介できるのがこれだけですが、本当にメンバー全員の方々に、ご迷惑をおかけしつつ、お世話になりました。

心から、心から、お礼を申し上げます、

ありがとうございました。

グループとメンバーの皆さまのますますのご多幸を、心から念じています。

長い間、本当にお世話になりました。

ありがとうございました。(合掌)





(最後は綺麗に終わりたい)


追伸

あとお一人、当日お目にかかれませんでしたが、どうしてもお礼を言いたい方がいます。

土田やさん

その節は、本当にありがとうございました。

お詫びを含めて、心からお礼申し上げます。

ありがとうございます。






父の辞世

2018-12-03 12:54:00 | 俳句


こんにちは。

あわただしい書き入れ時の週末を過ぎました本日です。

お蔭様の商いをさせていただき、ありがとうございます。

これで、しばらく糊口をしのげます。


遠い昔の話。

・・・・・・そうさな、あたしがまだ10歳そこそこなころ、小さなちゃぶ台で家族5人、そろってご飯を食べているときに、父が言いました。

「売るという文字の意味は、買ったものの一割を得ることなのだ。」

・・・

古い”賣”という文字。

買うという字に、十一を足して、売るという文字になっている。

当時幼心に、「あぁ、商いは、そういうものなのだなぁ」と、感じたあたしでした。


商売家に生まれながら、後継ぎではないから公務員となった父は、それでも戦後を食っていかねばならず、実家の支援を受けて母に商売をやらせた。

そんな父は、商売で儲けるという意味では、まことに疎かったと今では思います。
(大正8年生まれ・・・戦後、商売家もクソもない時代だったですね)

食べるために、仕入先様の言いなりの値段で買って、その一割を上乗せして、それでも元が高かったようで、
「お宅は、高いね」といわれていたらしい。
(ということを、呉服屋を継いだあたしは後日知った)

それでも何とか持ちこたえていたのが、の人柄だったようだ。

正直の化身みたいな人で、それを補う、今で言うところの「おもてなし」をしていた。

{お客様のご注文に、商売抜きでぎりぎりまで誠意を尽くした人でした)


そんなで戦後を乗り切った二人です。

そんな両親のおかげで、あたしたち姉弟は育ったです。


姉二人と共に、両親の背中を見て育ちました。

そのおかげで、ここまでこれました。


父は一昨年、97で亡くなりまして、母が今90で施設で過ごしています。

そんな母の手元にあったのが、この小さな紙片です。

(俳句に身をささげた父には大量の文書が残っていますが、すでに父亡き後、母が介護の施設に移動する際、彼女が手元に残したらしい。それを知ったのはずいぶん前でしたが、書くのにここまでかかりました・・・そこまでの想いがありました。)


一川に 一草に 秋深みけり
(いっせんに いっそうにあき ふかみけり)

秋天に 声放らば ありがとう
(しゅうてんに こえはなたらば ありがとう)

秋光を しなわせて水 はるかなり
(しゅうこうを しなわせてみず はるかなり)

思慮をいる 色なき 風のごときもの
(しりょをいる いろなき かぜのごときもの・・・思慮?漢字が読めない)

今という 今が一番 山粧ふ
(いまという いまがいちばん やまよそおう)

落し水 土のにほひの 野に流す
(おとしみず つちのにほいの のにながす)

一枚の 招待状は 花野より
(いちまいの しょうたいじょうは はなのより)

人間を 雀略させて 案山子かな
(にんげんを じゃくりゃくさせて かかしかな)



父が亡くなったのが2月始めで、その前年の秋ごろの句と思われます。
(とは言え、父は母の句をよく添削していましたので、父らしいけれども母らしいという微妙なところを息子は感じ取っています。)

どうにも世話が出来なくなって、父に施設に入ってもらったのが、ちょうどこの頃だったと思います。

その当時の父の句を、なぜか母が、持ち続けていました。


記憶と記録です。

あたしの父母への想いなんざ、誰にもわからなくていいのです。

ただ、あたしの記憶と記録は、残せるものならば残していきたいと思っています。




昭和25年 4月10日発行 の父の遺品の、同人誌。

その中の、父の句。


物象の みな影うすし 秋一日
(ものごとの みなかげうすし あきひとひ)

ゆくは行き 来るはきにけり 除夜の鐘
(ゆくはゆき くるはきにけり じょやのかね)


当時の父 32歳。

今思いますが、あたしはまごうことなく、父の血を受け継いでしまいますた。

じいちゃん・・・老成が早すぎますって!

そして、


その花と その葉の艶と 寒椿
(そのはなと そのはのつやと かんつばき) 


・・・

彼は逍遥と、その人生を楽しんだようです。


偶然見つけた紙片。

これが、父の辞世だと思った出来事。


あたしの、記録です。