ぴかの独り言 GooBLOG vol.1

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巣篭もり生活の功罪

2020-05-30 14:29:00 | ノンジャンル
こんにちは。

コロナの自粛解禁?となり、ほのかに気分的には上向きになっています。

ただ、もうすっかり大丈夫なんだかんね!と言うには程遠く、手洗いだけはしっかりしています。

そんな日がまだ続きそうですが、どちらさまも、どうぞご無事で。


さて、田植えから1週間がたちますが、おとなしくしているせいもあり、取り立ててイベントがありません。

が、ブログを1週間空けると、それはそれで落ち着きの悪いところもありますので、無理にでもネタを探して書いてみる。


巣篭り生活が長くなりまして、台所での時間が増えました。

格別何か作りましょう!という発想ではなく、この頃、少しだけ食材が増えました。

そんなことが原因ですの。

以下、羅列してみます。




生食できるホタテの貝柱の割れたやつが、手に入った。

冷凍されたのを解凍して水で洗うと、生ホタテとしておいしく食べられた。

それが1kgあるから、韓国風にごま油とキムチのタレとネギを入れてみた。

・・・刺身で食ったほうがおいしかったです。(失敗)




ラムチョップがありましたので、これはクミン塩で焼きました。

次男も大好き、間違いのないおいしさでした。




宮崎牛のヒレ肉が4kg、冷蔵できたので、冷凍庫に収めるべく速攻で4つにぶった切る。

その一つで、ステーキ。(およそ一人400g)



とろけるほどのやわらかさでした・・・が、次男は平気でしたが、あたしは200gで充分でしたね。

でもさすがに、おいしいお肉でした。



(中は、超レア)





鴨肉が手に入ったので、人生2度目の鴨料理。

と言っても、焼くしか脳のないお父さん

焼いたりました。

皮目の脂がすごいので、それをフキフキ、弱火で時間をかけてじっくり焼きます。

で、出来た。



我ながら上出来です。

これは、ワサビ醤油がうまかった。


とまぁ、こんなことして過ごしておりました。

コロナのせいとは言いませんが、お陰で、肉を焼くのはうまくなったかな?

ただ、功罪相半ばで、あたしはキッチンドリンカー。

酒量も上がって、それはよろしくなかったのかもね~


そんなあたしを見て、彼はこう言った。

「あほ!」




そして、そんなあたしとN木さんとのやり取りを眺めていたももちゃんは、こう言った。

「二人とも、しょうもな!」





そんなこの頃でも、唯一、理性的なミズちゃんが、前回の田んぼで負傷したあたしの小指を気遣って、こんなものを送ってくれた。



かつて同じ症状になったご自身が使っていたという、指を固定するギブス

それを早速装着して、感激のお礼とともに画像を送ってみた。

すると・・・




・・・

巣篭りが続きますが、お陰さまであたしの回りには、笑顔が溢れています。


どちらさまも、ありがとうございます。
(結論が、おかしい)
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18回目の田植え、終了~!

2020-05-23 11:43:00 | 田んぼ
こんにちは。

本日は、18年目となります田んぼ同好会田植えを挙行いたしました。


朝8時、市野さんと隊長と集合して、まずは、師匠のおやっさんのところまで苗を取りに行く。

コロナもあり~ので、おやっさんのご機嫌伺いをかねて、挨拶代わりに行ってみた。

だ~れもいなかった・・・が、苗が並べられているところに、「豊坂屋さん 32枚」と札があったのを見て、3人で車に積む。

その途中で、長女のまゆみちゃんが登場。

(言わんでもいいけど、シングルマザー)

みなさま、お元気そうだと聞いて安堵しました。

なんか、まゆみちゃん、きれいになってんぢゃね?

と言えば、「うふふ」と応えました。


さて、田んぼに戻ると、すでにキミ君とヨシヒトクンが田植え機をもっこり山から無事に持ってきていた。

さぁて・・・やるぜ!


「まずは、ニーミさんから・・・」

と、誰からともなく声がでる。

(なぜか田植えの一番は、あたしが多い)

よかよか、やったろうぜ!

苗を積んで、いざ、田植え開始!


一年一度しかつかわないから、毎度初めててみたいに操作の確認をして、いざ、しゅっぱーっつ!

動き出してしまえばこっちのもので、まっすぐに植えることだけを考えて、フルスロットルで植えていく。

トラクターでもそうだが、あたしは直線にはつおい!(あほ)

で、端まで行ってUターンをするときに、慣れない操作のせいか?あたふたしている間に小指が ポキッ! と音を立てた。

イテッ!

一瞬のことでしたが、小指をヘンなところにはさんで、あらぬ方にねじったらしい。

まぁ、小指一本のことです。

そうそう痛みがあるわけでもないので、その後も続行。

1号地を半分ほどやっつけたところで、交代。

その後も、皆で代わる代わる田植えしました。


今回はこちらも参戦。



前回トラクターを単独運転しました隊長の息子・和輝が、2週連続で、今回は田植えにも初挑戦です。

写真が小さいですが、和輝、大変頑張りまして、見事にまっすぐ苗を植えました。

そして、その前にいるのが、隊長の次男・こうと(いつもながら漢字がわからない)。

彼は、素っ裸になって、田んぼの中を縦横無尽に楽しんでおりました。

・・・よい景色。




今回も全員参加で、順調に田植えが進みます。

2号地は、若干の土壌の問題がありますので、今年は少し考えて田植えします。



相変わらず、ソツのない市野さんです。

この人がいなかったら、田んぼ同好会はもちません。

それほどの重鎮であることは、他のメンバーも納得するでしょう。

(実は、代表のあたしよりも、ずっとちゃんとしている・・・たぶん、他のメンバーもそう思っていると思う)


そんな光景を眺めながら、あたしの小指がだんだん痛くなってきた。

う~む・・・これは役に立たんな・・・

そう思いまして、後を託して、このあたりで戦線離脱いたしました。


家に帰って、テーピング。



指が曲がったまんま。

それでも、我慢できる程度なので、しばらく様子を見てみよう。

あたしは、お医者が嫌いなんだよ。


それからしばらくして、市野さんから電話。

「田植え、無事終わりました。苗が4枚余りましたので、オヤッサンにお伝えください」

ということで、オヤッサンにも早速FAX。


まぁあたしの指のことはさておいて、今年はとても順調で、4枚も苗が余ることなんて今までになかった。

その上に何より、隊長の息子たちが、田んぼでほとばしっているのが嬉しかったんだ。

田植えを終えた和輝に聞いてみた。

「大変だったな」

「楽しかった」


それを聞いて、喜ぶあたしと隊長でした。




次男・こうとも、あたしたちを楽しませてくれました。



いつか兄弟で、トラクターと田植え機、コンバインまでの操縦を、会得してください。
(田んぼ同好会、全員の切なる願い)




お陰さまで、18回目の田植え、終了しました。

これまでで一番楽しい田植えでした。

メンバーのみんなのお陰です。

本当に、ありがとうございました。


(隊長へ 和輝のお米・一袋 忘れんように)
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今度の土曜日は、いよいよ田植えです。

2020-05-20 15:08:00 | ノンジャンル
こんにちは。

よい天気。

どちら様も、お元気でお過ごしでありますように。


週休4日もだんだんと慣れてきまして、雨が降って予定が狂ったりすることはありますが、おおよそ、休日のルーチンが固まってきました。

次男のお仕事の日は、5時半起床。

これまでは、この後散歩に出かけていましたが、最近ももちゃんが夜鳴きが激しくて、1時間に一度くらい起こされる。

そのため、次男を見送ってからは再度布団にもぐりこんでいます。

うまく寝られることは滅多にありませんが、そうでもせんと、おじいちゃん体が持たない。


そこそこの時間になると、本来の活動を開始。

体力の維持が大切だと思っていますので、散歩は欠かせません。

そして、田んぼの見回り。

それの延長で、気が向くと、美子ちゃんの竹林へ足を伸ばして、ヤギにご挨拶。

買い物なんぞしてると、これで午前中が終わる。


昼からは、何も無ければ、本を読んだり映画を見たり。

やがて夕方になれば、晩ご飯の準備に取り掛かり、そうこうしていると次男が帰宅。

6時にはご飯を食べて、ウダウダして、9時就寝。

・・・

考えてみれば、が隠居した時も、こんな生活をしておりました。

生産性がないような気がしないこともないですが、足るを知る生活と言うものは、こんなものなのかな?とも思っています。

ただ、365日がこうなるわけではない。

思わぬこともあちらからやってくることもありまして、それはそれで、良し悪しは別にして楽しんでやろうと思っています。


そんなこの頃は、田んぼの季節です。

3週間前に肥料まきをしました田んぼは、先日いよいよ代かきでした。

フルメンバー参加で、トラクターで代かきしました。

今回は、こちらも参加。



隊長の長男と次男。

もっこり山からの自走にくっついてきました。

そして、中学1年になる長男・和輝が、

人生初、トラクター単独運転での代かき。



かっこええぞ~!

お父ちゃんより、うまいぞ~!

ええ経験になったかな?

これを機会に、田んぼ同好会の次世代として、頑張っていただきたいと思います。(悲願)



さて、あたしはお仕事の関係で中座しましたが、無事代かきは済んだようで、今週はいよいよ田植えです。

18年目のお米作り。

おいしいお米が豊作となりますよう、念じています。

みんな、がんばろうね~!

(怪我だけは、気をつけてください)


出産間近の長女が、大事をとって入院していますが、何とか元気なようです。

長男のところも、何も言ってこないところを見ると、たぶん元気なのであろう。

気になるあの人やこの人も、それぞれにあるにせよ、穏やかそうである。

それがあたしは、一番ありがたいのでした。


久しぶりに、雁宿公園まで散歩して来た。

ニホンザルの檻があるんだが、サルが一匹だけいる。

今日もそのサルが、高いところにたたずんで、ボーっと中空をにらんでおりました。

一人ぽっちは、さぞ淋しいだろうなぁ・・・

わが身を振り返って、生産性はないにせよ、人と関わる喜びがあるだけ、あたしは幸せであると感じておりました。

ありがとうございます。


p.s.

たぶんわかる人がほとんど居ませんが、今日の出来事で面白かったこと。



・・・

あたしは幸せです。
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思い出を、書いておこう。 2

2020-05-13 13:35:00 | ノンジャンル
こんにちは。

昨夜は次男がお泊りで、朝ごはんもお弁当もないのですが、やはり定時に起きてしまいましたお父さんです。

この頃、ももちゃんがまったく足が弱りまして、動けないから夜中にオシッコで何度も鳴く。

昨夜も4回くらい鳴いたかな?

それがたまに、すんなりオシッコでないときもあったりして、水を飲ませたり、ウンチかと思ってしばらく体を持ち上げておなかをもんでみたり・・・

そんなこんなのこの頃です。

それなら、こんなときこそ2度寝をすればよいではないか?と思うでしょ?

それが、あにはからんや・・・年寄りは、朝目が覚めてしまうと、再度寝られないのでした。(残念)


朝5時半に起きて、することがないから散歩に行った。



氏神さま経由で、もうすぐ代かきの田んぼまで。

う~む・・・もう、疲れてしまったがね。


帰宅後、有り合わせでご飯を食べて、録画しておいた「新日本風土記」を見た。

あたしゃこれが好きです。


さて、それも見終わって、久しぶりにヤギに会いに行ったろう。

美子ちゃんの竹林を目指すと・・・いた。



ユキもメイも、お元気そうでした。


丁度美子ちゃんもいたのでご挨拶をして、少しだけ、竹林からの竹の運び出しのお手伝い。

ものの30分もしないうちに、暑さでばてるあたしでございました。

散歩の後で、ビール飲んだのが敗因だったかもしれません。(あほ)


え~・・・思い出を、書きます。

考えて書くわけでもないから、思いついたことを書くだよ。


先日は、母の日だったらしい。

不出来のあたくし、母の日だからとに何かした覚えがありません。

そんなことを言うと、お母ちゃんに、誕生日だからとか結婚記念日だからといって、何かした覚えがありません。

離婚の原因はそれだったのか?

まぁ、済んだこととして、お許しいただこう。

でね、ふと、こんなものが冷蔵庫に張ってあるのに改めて気がついたんだ。



読めるように、広げてみましたが、本来は1枚目を上にして張ってあります。

(ちなみに、その上にある可愛い画は、長女がたぶん幼稚園くらいの時に描いたものです。いつだったか、彼女の机の中に見つけまして、それ以後張ってありますの。)


なにげに気づいて、改めて、読んでみた。

・・・

思わず涙をこぼしてしまいました。


昭和4年生まれの母。

戦中派の、それでも教育熱心な親のお陰か、女学校を出ております。

それは後々彼女の自慢でした。

で、そんな母ですから、こんな字を書いておりました。

息子ながら、達筆だと思います。

(これを受け継いだのは長女で、次女とあたしは、字が下手)


文面からすると、あたしが53歳だから、9年前のお手紙です。

当時、彼女はすでに半身麻痺で、それでもお陰をもちまして利き腕は動いたので、こんなことも出来たのでしょう。

その上に、元来、大変筆まめな母でした。

5年分書ける日記を、何冊もずっと続けておりました。

そして、折りあるごとに、家族のみならず、ささやかなご縁の方々にも、それは丁寧に葉書を書いておりました。

(自分が動けないから、よく葉書や切手を買って来いと言われたのも、今では良い思い出です)


この一筆箋を改めて読んで、あたしの心の奥底から、グルングルンと湧き出してくるものがあるのでした。


そして、何より彼女の文章には、母から子への思いと共に、人としての大切なものがあるような気がしています。


箸が転がっても笑うという10代を、戦時に過ごした彼女は、どれほど笑ったのだろうか?

・・・

そんなことさえも思わせる、母の手紙でした。


今、93歳になるのかな?

施設に入って2年、今はコロナの影響で、面会も出来ません。

少し離れたところにいる次姉が、この前言うんだよ。

「週に一度、施設に来て、道路の端からおばあちゃんのいる部屋に向かって手を合わせています。・・・ヒマだからさ。」

ばあちゃんの薫陶、ここに生きておりました。


良いことを書いているつもりはまったくなくて、でも、この親のお陰を、あたしは知るのでした。


末筆ながら・・・

冷凍庫には、こちらが張ってあります。



(この横の紙の束は、彼女から頂いたレシピが満載)

こちらのご夫婦にも、あたくし、ただならず感謝申しております。

それに敬意をこめて・・・ありがとうございます。

(しおらしくするのが苦手なんだ・・・あなたたちをオチに使う・・・こんなあたしを許してください)




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思い出を、書いておこう。1

2020-05-10 13:29:00 | ノンジャンル
こんにちは。

コロナ狂想曲がいつまで続くのかわかりませんが、多少は落ち着いてきたのでしょうか?

ニュースもそればっかりで、種苗法なんてものが通過するとかしないとかのお話はテレビからは聞こえてこず、お米作りが趣味のあたしには、それは気になるんだ。


そんなこの頃のこと、昨日、身近なニュースが二つ入ってきた。

一つは少し心配なことで、一つはとても嬉しい知らせでした。

最初の一つは、心配はあるにせよ、何とか穏やかでいけそうな気配です。

そして次の一つは、個人的に大ニュースながら、大きな声では言えんという不思議なありがたい出来事でした。


そんなことがありましたもので、ふと、あたし自身のことが思い起こされた。

それを書く。

・・・

結婚して、たぶん3人目の子どもも物心がついているころだと思う。

毎年のこととして、家族でどこかに旅行に出かけようとしていた。

ただ、バブルがはじけた後のことで、ともかくも商売がまったく芳しくないときだった。

コロナ禍の今で言うところの、飲食・観光業みたいな呉服屋さんでした。


収入が激減して、もともとない手元もますます心もとなくなってきていたが、それでも家族旅行ぐらいはしたいと思ったんだろう。

そんな時に、新聞広告で、「有名温泉地・牛肉シャブシャブ食べ放題・大人一泊8000円!」というのを見て、家族5人で予約したんだな。

で、夏休みに家族5人で出かけたんだ。


場所すら忘れましたが、着いたところがオンボロな古い建物。

それでも、もともと結構大きな観光ホテルだったのは認識できる建物でした。

で、チェックインして、暗い廊下を歩きながら部屋に通された。

お部屋は泊まるには充分でしたが、これまで行ったところとは何かが違う。

ソファーがあったんだ。

それの背のところから、中にあるはずの家具のバネが、ビヨ~ンと飛び出ていた。


テレビをつけてみた。

子どもがいるから、ゲームもできるらしいボタンを押してみた。

インベーダーゲームのパチモンみたいな画面が出てきました。


う~む・・・かなりやばいぞ、ここは。


その後、牛肉しゃぶしゃぶ食べ放題の夕食

大広間には、かなりのお客様が参集。

で、テーブルについて、食べ放題が開始。


外国なまりのある東洋人の若いおねいさんが、お肉を持ってきてくれた。

確かに牛肉である。

それ以外に、有無を言わせない迫力のある、真っ赤な硬い牛肉でした。


それ以後、そういったところには行っていないのはある意味ラッキーかもしれませんが、あたしには大変衝撃的な体験でした。


あの当時・・・呉服屋さんならず、どちらも大変苦しかったと思います。

お陰さまであたしは良いご縁に恵まれまして、いまだに生き残っておりますが、市中の大半はなくなってしまいましたね。

当時のには、本当にお金がなくて苦労をかけたと思っています。

それでも、やがての子ども3人の教育費だけは残したいと、彼女に何とかやりくりしてもらって、無事長男はじめ成人いたしました。


そんなことを思い出した先日の夕飯時に、次男に尋ねてみたんだ。

「ホテルのソファーのバネが、ビヨ~ンと出ていたの、覚えてる?」

すると次男は、

「あぁ、あったねぇ・・・」

と、笑って応えてくれました。


・・・あの時は、きつかった。

当時、すでに隠居していたじいちゃんばあちゃんですが、たぶんまったく知らずにいたと思います。

でも、

今、笑える思い出になっているのが、嬉しくありがたいお父さんでした。


最近長女のところに行った時、財布の中にあったのがせいぜい1万円札が一枚だったから、それを置いていこうとしたらね、

「いつもしてもらっているから、これはもらえんわ」

と言った。
(せいぜい、米と肉くらいしか渡していない)

おじいちゃん、もっとしてやりたくなりました。


寝たきりのばあちゃんが、コウヤと行くとよく言った。

(今はコロナで、施設に会いに行けない)

「会いに来てくれて嬉しい。コウヤ君に、おこづかいをあげる様に(なぜか?いつも2万円)」

御意。


・・・

振り返ってみれば、いろいろありました。

それでも、何とか乗り越えられたのは、とてもあたし一人の力ではありませんでした。

良いご縁に恵まれたあたしでした。

そして、

1万円と2万円・・・娘と息子に渡せる今のあたしは、幸せでした。

ありがとうございます。



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