ただいまぁ~
息子の定期演奏会は無事にすんだようで、終演後再び会うこともなく、彼はそのまま福岡に帰っていきました。
お疲れさん。
そのときの様子は、また後日。
そうして、またあたしは元の一人の生活になりまして、当夜午後9時には床についたのでありました。
明けて今朝5時半・・・
3月までの忙しさも一段落と考え、4月1日の本日は、うまい具合に定休日。
そこで、昨年も見に行きました岐阜の「カタクリの群落」をかねてより見に行こうと思っていたのですが、たまさか時期が少し遅れたようで、Kさんがわざわざ「カタクリは終わってしまったようですよ」と教えてくれたのです。
う~む・・・見頃を終えたものは仕方がないなぁ・・・と、昨夜までは見に行くのを諦めていたのです。
が、早朝5時半のあたしは、なぜか、
「今ここは、二度とないのダァ~!」
と、ものすごくポジティブでして、急遽つるちゃんに飛び乗って、41号線を北上したのでありました。
午前8時、現地到着。
だ~れもいない里山の麓につるちゃんを止めて、あたしはトボトボと、「カタクリの群生地」とかかれた矢印に沿って歩いていきました。
ほどなく見覚えのある場所にやってまいりました。
カタクリは・・・Kさんの言ったとおり、すでに盛りを過ぎて、ひなびた様子を映しておりました。

誇るほどの紫色は、もはや枯れた淡さを残しているだけで、しなびた花弁は、生を全うした残りかすのようにも見えました。
そんな景色を、しばらくボ~~~~~ッと眺めていて、何かがあたしの中でささやきます。
「花だけがカタクリなのではない。見えないそこに潜むものこそが、カタクリの生の実態なのではないか?」
・・・そうだよね・・・そのとおりだよね。
あたし自身の心の声を聞きながら、それからまたしばらく、ボ~~~~~~ッとそこにたたずんでおりました。
カタクリの しきる命や 山のあい(かたくりの しきるいのちや やまのあい)
あたしの目に映るカタクリの花たちは、確かにしおれていましたが、その命の豊かさは、花があろうとなかろうと変わらずそこにありました。
なんとなく嬉しくて、その場からまた山の奥に進んでみました。
そして、少し開けた所に出ます。

目の前には、たっぷりと水をたたえた木曽川が、とうとうと流れておりました。
ゴツゴツとした河岸の岩の上に立ち、ここでもまた、大地と水のコロンを感じておりました。
遠い昔から、名も知らぬ多くの人たちがあたしの立っているのと同じ所に立ち、そして、今のあたしと同じように、何かしらの思いをもったのであろうと想像することは、連綿と命が永らえていることの証のような気がして、ますます気持ちが穏やかになっていくのです。
大変気持ちのよいひと時でした。

(気持ちのよさを、表現してみますた・・・おバカだネェ~)
そばでポツンと立っていた桜に別れを告げて、

もう一箇所、行ってみたい所がありましたので、再びつるちゃんにまたがり、記憶を辿って少しだけ走ると、すぐにその場所は見つかりました。
「大きな切り株」という名前の、自然食のカフェです。
2年ほど前、Kさんに教えてもらって初めてここに来た時、メニューにあった「幸せになるお茶」(このお店にはハーブティーがたくさんあって、それぞれに、元気になるお茶とか疲れがとれるお茶とか、名前がついているのよ)を飲もうとしたら、「すっぱいけれど、大丈夫ですか?」と言われて、結局飲まなかったのがなんだかやり残した仕事みたいな気がして、今回はぜひともその「幸せになるお茶」を飲もうとやってきたのですよ。
丁度9時を過ぎたころで、お店は開いていました。
どうやらお客さんはあたし一人・・・
「いいですか?」
と尋ねると、素敵なオネェサンが、
「どうぞ、どうぞ」
と、穏やかにあたしを迎えてくれました。
メニューを見て、念願の「幸せになるお茶」とセットのオニギリを注文。
やがて、それはやってきましたよ。

(逆光で、本当はもっと美しい色合いです)
「お茶の赤い色はハイビスカスです。一般的にはもっと薄く出すところなのですが、私はコレくらい濃いほうが好みなのですよ」
と、可愛いオネェサンは教えてくれました。
ゆったりとした気分で、ほんのり酸味のあるハーブティーと雑穀を混ぜたオニギリ二つ、それにポテトサラダ、香の物、とてもおいしいお味噌汁を頂いて、まさしくあたしは幸せになったのでした。(コレで525円だよ・・・P、大感激!)
お会計を済ませ、「また、お友達と来ますね」と言葉を添えて、そのお店を後にしました。
本当に、おいしかったなぁ・・・
SSKさん、今度ご一緒しましょうね。
さて、お楽しみを充分に満喫しましたあたしは、その後名古屋でお仕事をこなし、つるちゃんとともに帰宅。
・・・今日を振り返って思ふ・・・
気の利いたウソのひとつも、言わずにすんでしまったエープリルフールだったなぁ・・・
でも、まぁ、それもよしなのダァ~~~~~!
確かなものを感じた4月1日でした。
息子の定期演奏会は無事にすんだようで、終演後再び会うこともなく、彼はそのまま福岡に帰っていきました。
お疲れさん。
そのときの様子は、また後日。
そうして、またあたしは元の一人の生活になりまして、当夜午後9時には床についたのでありました。
明けて今朝5時半・・・
3月までの忙しさも一段落と考え、4月1日の本日は、うまい具合に定休日。
そこで、昨年も見に行きました岐阜の「カタクリの群落」をかねてより見に行こうと思っていたのですが、たまさか時期が少し遅れたようで、Kさんがわざわざ「カタクリは終わってしまったようですよ」と教えてくれたのです。
う~む・・・見頃を終えたものは仕方がないなぁ・・・と、昨夜までは見に行くのを諦めていたのです。
が、早朝5時半のあたしは、なぜか、
「今ここは、二度とないのダァ~!」
と、ものすごくポジティブでして、急遽つるちゃんに飛び乗って、41号線を北上したのでありました。
午前8時、現地到着。
だ~れもいない里山の麓につるちゃんを止めて、あたしはトボトボと、「カタクリの群生地」とかかれた矢印に沿って歩いていきました。
ほどなく見覚えのある場所にやってまいりました。
カタクリは・・・Kさんの言ったとおり、すでに盛りを過ぎて、ひなびた様子を映しておりました。

誇るほどの紫色は、もはや枯れた淡さを残しているだけで、しなびた花弁は、生を全うした残りかすのようにも見えました。
そんな景色を、しばらくボ~~~~~ッと眺めていて、何かがあたしの中でささやきます。
「花だけがカタクリなのではない。見えないそこに潜むものこそが、カタクリの生の実態なのではないか?」
・・・そうだよね・・・そのとおりだよね。
あたし自身の心の声を聞きながら、それからまたしばらく、ボ~~~~~~ッとそこにたたずんでおりました。
カタクリの しきる命や 山のあい(かたくりの しきるいのちや やまのあい)
あたしの目に映るカタクリの花たちは、確かにしおれていましたが、その命の豊かさは、花があろうとなかろうと変わらずそこにありました。
なんとなく嬉しくて、その場からまた山の奥に進んでみました。
そして、少し開けた所に出ます。

目の前には、たっぷりと水をたたえた木曽川が、とうとうと流れておりました。
ゴツゴツとした河岸の岩の上に立ち、ここでもまた、大地と水のコロンを感じておりました。
遠い昔から、名も知らぬ多くの人たちがあたしの立っているのと同じ所に立ち、そして、今のあたしと同じように、何かしらの思いをもったのであろうと想像することは、連綿と命が永らえていることの証のような気がして、ますます気持ちが穏やかになっていくのです。
大変気持ちのよいひと時でした。

(気持ちのよさを、表現してみますた・・・おバカだネェ~)
そばでポツンと立っていた桜に別れを告げて、

もう一箇所、行ってみたい所がありましたので、再びつるちゃんにまたがり、記憶を辿って少しだけ走ると、すぐにその場所は見つかりました。
「大きな切り株」という名前の、自然食のカフェです。
2年ほど前、Kさんに教えてもらって初めてここに来た時、メニューにあった「幸せになるお茶」(このお店にはハーブティーがたくさんあって、それぞれに、元気になるお茶とか疲れがとれるお茶とか、名前がついているのよ)を飲もうとしたら、「すっぱいけれど、大丈夫ですか?」と言われて、結局飲まなかったのがなんだかやり残した仕事みたいな気がして、今回はぜひともその「幸せになるお茶」を飲もうとやってきたのですよ。
丁度9時を過ぎたころで、お店は開いていました。
どうやらお客さんはあたし一人・・・
「いいですか?」
と尋ねると、素敵なオネェサンが、
「どうぞ、どうぞ」
と、穏やかにあたしを迎えてくれました。
メニューを見て、念願の「幸せになるお茶」とセットのオニギリを注文。
やがて、それはやってきましたよ。

(逆光で、本当はもっと美しい色合いです)
「お茶の赤い色はハイビスカスです。一般的にはもっと薄く出すところなのですが、私はコレくらい濃いほうが好みなのですよ」
と、可愛いオネェサンは教えてくれました。
ゆったりとした気分で、ほんのり酸味のあるハーブティーと雑穀を混ぜたオニギリ二つ、それにポテトサラダ、香の物、とてもおいしいお味噌汁を頂いて、まさしくあたしは幸せになったのでした。(コレで525円だよ・・・P、大感激!)
お会計を済ませ、「また、お友達と来ますね」と言葉を添えて、そのお店を後にしました。
本当に、おいしかったなぁ・・・
SSKさん、今度ご一緒しましょうね。
さて、お楽しみを充分に満喫しましたあたしは、その後名古屋でお仕事をこなし、つるちゃんとともに帰宅。
・・・今日を振り返って思ふ・・・
気の利いたウソのひとつも、言わずにすんでしまったエープリルフールだったなぁ・・・
でも、まぁ、それもよしなのダァ~~~~~!
確かなものを感じた4月1日でした。