TMA講師代表:「地域経済論」が成立するには、地域通貨が存在し、それが機能していることが大前提である。だから、「藩札」が通用した江戸時代には、立派に「地域経済論」は、議論として成立した。しかし、金融経済のグローバル化により、世界の通貨は、IMFのSDRを信用貨幣の中核に据えて、各国の通貨や、金券が市場の相場でレート変更されながら、潤滑に流れている。経済学は、貨幣の交換価値を基軸に論理が整理される。だから、地域経済論は、実は成立しない。北陸経済という大前提はありえない仮説である。
ところが、「地域経営論」は、論理的に成立する。なぜなら、経営は人間の集団の営みであるからだ。そのとき、1日通勤圏、1日営業圏という人間の行動範囲に制約条件が生まれる。それが地域である。だから、北陸営業所、富山支店、富山工場というローカルな経営組織も、「地域経営論」の枠組みにはまる。顧客に対しては、「地域内の企業は地域内の顧客だけを対象」にしてはいない。あらゆる職種に分かれ、働くという人間の行動範囲と、8時間なり10時間なりの行動時間の最適な組み合わせにおいて「地域という生活空間」が大前提となる。
富山県の場合、工場での生産など移動しない定点への勤務のためには、1日通勤圏が、富山県の東部と西部とに大まかに分かれている。西部では、金沢への1日通勤圏へ組み込まれている。だから、理屈的には、「富山地域経営論」は成立するが、石川・富山の2県を「大地域」とみた「北陸地域経営論」の方が実態にかなっている。
おこらく、この傾向は人口規模が縮小すればするほど、石川・富山の経営の一体性は増してくる。このとき、一方的に石川サイドが優位になるとか、反対に、富山サイドが石川を逆征服するとは考えられない。そこで、産業別、サービス別の石川・富山の比較と、市場の動態の分析がカギになってくる。銀行では、北銀>北国。大学では、金沢「学都」>富山5大学、製鉄では、富山>石川、IT機器では、石川>富山・・・、このように見ると、強弱が複雑な組み合わせになる。しかも、経済のグローバル化により、市場も工場も外国にあるという企業が存続の柱になってる。
では、なぜ、産業別、サービス別に濃淡、強弱などの違いが生じたのか?それは、個々の組織にマネジメントのリーダーの学習歴の差異が、非常に大きい。1970年に、金沢大学を卒業した2代目、3代目の経営者の子弟が、金沢経済同友会で経済地理学を基礎とする都市経営論を勉強し、金沢「学都」構想など、今日の金沢の姿を描きだしていたからである。1970年から数え、30年、40年たった今、その成果が生まれている。富山県では、起業塾に力を入れた。富山市は、国家の官僚の知恵を借りて、コンパクト・シティ構想にのめり込んだ。経済同友会の若手の勉強会が上手く機能しなかった。それは、知恵を貸すべき富山大学の側に、1970年代の地域経営を導くだけの知恵がなかったのも事実であるが、都市計画が行き届き、富山市に限れば解決するべき深刻な課題がなかったからである。石川県は、能登の過疎化に本気で悩んでいる。富山県は、金沢「学都」>富山5大学を本気で悩まないと、金沢「学都」で育った人材が「富山経営」の中核となる時代は確実に迫っている。多くの富山の識者が、金沢工業大学、金沢星稜大学の教育力を見くびっている。大衆社会の今、この2大学は中堅の社会層の向上と安定に寄与している。