座間コミニティー

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◆あなたは初めの愛から離れてしまった。

2015年02月11日 17時15分10秒 | 聖書

(黙示録二・四)

私たちが絶えず思い起こさなければならないことは、初めて主にお会いし、自分の重荷を取り去られ、約束の巻き物を与えられ、全き救いを喜び、そして平安に満たされて信仰の歩みをした時のことである。それは、私たちにとって最上で最も輝かしい瞬間であった。たましいにとっては春の季節であった。冬は去り、シナイ山の雷鳴は消え、稲光のひらめきは見えなくなった。神は和解の神となられ、義もさばきも要求されなくなった。そして私たちの心に花が咲き、希望、愛、平安、忍耐が地中から芽を出した。悔い改めのヒヤシンス、聖潔の雪の花、黄金色の信仰のクロッカス、初めの愛のラッパ水仙。これらのすべてがたましいの花園を飾った。鳥の歌う季節が来て、私たちは感謝に満たされて喜んだ。私たちは罪を赦される神の聖なる御名をたたえて、こう言って決意をした。
「主よ。私は全くあなたのものです。私の持つすべてをあなたにおささげします。あなたは血潮をもって私を買い取られました。どうか私をあなたへの奉仕のために使い果たしてください。」
しかし、私たちはこの決心を守ってきたであろうか。私たちの初めの愛は、イエスに対する聖い炎に燃えていたが、現在もそうであろうか。イエスが「あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった」と言われたのは、当然ではないだろうか。私たちの冬はあまりにも長すぎた。夏の灼熱を感じ、聖い花を開くべき時に、私たちは氷のように冷たい。神に黄金をささげるべき時に、銅をささげるのである。私たちは主の教会と真理への奉仕のために、心血を注ぎ出さなければならない。はたして私たちはこのままでよいのだろうか。
おお、主よ。あなたは豊かに祝福してくださったのに、私たちはあなたの良いみわざに対して忘恩の徒となり、無関心のやからとなってよいでしょうか。私たちを生かしてください。私たちが初めの愛に帰り、初めのわざをなすことができるために。おお、義の太陽よ。暖かい春を私たちに与えてください。

 


「苦い根が芽を出して悩ましたり、

2015年02月11日 17時14分19秒 | 聖書

これによって多くの人が汚されたりすることのないように」(ヘブル12:15)

「苦い根」が自分の内にないだろうか。
根だから、普段は土の下に隠れて、外側からは決して見えない。
内側深くあるものだ。外側はにこやかで優しく良い人であり、常識ある社会人に見える。
しかし、その地中深くにある苦い根が芽を出して来る。
妬み、憎しみ、批判、さばき、敵対心…。
何か事が起こると、その苦みが出て来るのだ。
苦い根は自分にとどまらず、周囲に苦いものを流す。
周囲を傷つけ、踏みにじり、暗たんたる気持ちにさせ、恵みを消してしまう。
恵みが吹き飛んで暗いネガティブな嫌な気持ちにさせられる。
そして、苦い根はそれだけで終わらず、同時に相手にある苦み、嫌なもの、否定的なものを引き出してしまうのだ。
経験あるだろうか。
相手を責めて攻撃して行くと、相手の中の悪いものが誘発され、引き出され、双方でどんどん泥沼に落ちて行く。
憎しみは、相手の憎しみを引き出す。
逆に相手を受け入れ、愛し、尊び喜んで行くと、相手の良いものを引き出す。
苦い根は主の御前に持ち出して、断ち切ろう。
放っておくと、根ははびこる。
光のもとに出すことだ。
普段は隠れているが、何かあるごとに出て来る、苦い根があなたの内にないか。
--------------
普段はどうもないが、ある状況になると、必ず同じパタンで出て来る反応だ。
心のざらつきだ。
そこに根がある証拠で、光のもとに出し、悔い改めよう。
新たにされる。まず根を認める事から始めよう。


今日の聖人の記念日

2015年02月11日 07時30分48秒 | キリスト教

ルルドの聖母

 

 現在の南フランス、ルルドには4つの教会と多くの病院が建ち、世界中から多くの人々が毎日、巡礼に訪れている。

 これは1858年2月11日、ベルナデッタ(1844-1879)という14歳の貧しく無学に近い娘のところに聖母マリアが現われたことに始まる。まきを採るために出かけた彼女は、小さな洞くつから光が輝き出、その中に真っ白な服装で腕にロザリオを下げた美しい女性が立っているのを見た。「15日間ここに来るように」とその女性からいわれたベルナデッタは、洞くつに通い続けた。人々は最初冷笑したが、日増しに彼女とともに洞くつに通い、祈るようになった。その間、ベルナデッタは聖母マリアからのメッセージ「罪を償うこと、この場所に聖堂を建てること」などを人々に伝えた。彼女のもとに聖母は18回現われた。
 聖母マリアがベルナデッタに命じて掘らせた泉が、人々の病をいやしたことからいつしかその話が人々の中に広まった。

 綿密な調査の結果、カトリック教会はルルドに聖母が現われたことの真正を認めた。

 その後1866年にベルナデッタはヌヴェール愛徳修道会の修道院に入り、病弱な身をイエスにささげながら35歳の生涯を閉じた。現在、彼女の遺体は腐敗しないまま安置されている。1933年、ベルナデッタは聖人に加えられ、記念日は4月16日とされた。


◆知 恵 を 尊 べ

2015年02月11日 07時29分46秒 | 聖書

それを尊べ。
そうすれば、それはあなたを高めてくれる。
それを抱きしめると、
それはあなたに誉れを与える。     (箴言四8)

アメリカ人は「ライヤァ(うそつき)」と言われるのが一番こたえるそうですが、あなたは何と言われると一番屈辱を感じますか。私は、「きたない」と言われることだと感じています。
使徒パウロは、新約聖書のところどころに私たちの罪のリストをのせていますが、ローマ人への手紙一章ではこう言っています。「あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、……情け知らずの者、慈愛のない者……」(29―31節)。そしてこんな者に神の怒りがくだると言っています。
神が「きたないなあ」と言われる声が聞こえるようです。
人間として人間らしく、きたなくなく「高められた」人として生きたいと思いませんか。神のきよさ・神の愛・神の力を知り、神の栄光と人々を愛するために生きる知恵こそ、人間を人間らしく高めるのです。権力や金力のある人々の間に、きたない人がたくさんいます。しかし、財産も地位もないし、見ばえのしない仕事をしているように見えて、「高められた」人がいます。
私の知っていた大工さんの塩浦万平さんは、引退してから軽井沢に住み、毎日のように「神の福音」というパンフレットを持って、財産家や政治家や学者の家をまわって伝道しました。有名な京都の田辺元博士がこの塩浦万平さんを、「あんな人を見たことがない、高貴な人だ」と言ったそうです。
神の愛をしっかり抱きしめる時、人は高められ、神からの誉れを受けるのではないでしょうか。

 


◆ふたりがイエスとともにいたのだ、

2015年02月11日 07時29分07秒 | 聖書

ということがわかって来た。(使徒四・一三)

クリスチャンは、イエス・キリストに似た者でなければならない。キリスト伝の中で最上のものは、主の民の言行に描き出された主の伝記である。
私たちが公言しているままの信者ならば、キリストの生き写しでなければならない。この世の人々が私たちを長い間観察して、「どこか似ているような気がする」と言うくらいでなく、一目見るなり、「この人はイエスとともにあり、イエスに教えられ、イエスのようであり、ナザレの聖者の思想を受け、その生涯の行動のうちにそれを実行している」と言うようでなければならない。クリスチャンはその大胆さにおいて、キリストのようでなければならない。あなたの信仰を恥じてはならない。それは決してあなたを恥じ入らせるものではない。あなたの信仰を辱しめないように注意せよ。イエスのように、あなたの神に勇敢であれ。
愛の精神においてキリストに似た者となれ。親切に考え、親切に語り、親切に行動せよ。人々があなたについて「イエスとともにいた」と言うためである。
聖潔においてイエスと似た者となれ。
主は御父のためにどれほど熱心であられたか。あなたも常に善に励み、時を空費するな。時は貴重である。主はどんなに克己され、ご自分の利益を求められなかったか。あなたもそのようにせよ。主がどれほど信仰深くあられたか。あなたも祈りにおいて熱心であれ。主は父のみこころにどのように従われたか。あなたも自らを主にゆだねよ。どれほどイエスは忍耐強くあられたことだろう。あなたも忍耐を学べ。中でも、主のきわだった特徴である敵を赦すことを学べ。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」というおことばを常に耳の底にとどめよ。あなたが赦しを求めるように人を赦せ。敵に親切を尽くすことで、燃える炭火を敵の頭に積め。悪に報いるのに善をもってせよ。あなたも神のように完全となり、方法と手段を尽くして、「イエスとともにいた」と言われるようになれ。

 


第1列王記19章15-18節

2015年02月11日 07時27分54秒 | 聖書

19:17 「ハザエルの剣をのがれる者をエフーが殺し、エフーの剣をのがれる者をエリシャが殺す。
19:18 しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である。」



 主は、逃れたエリシャに、ダマスコに行けと言われました。

そして、ハザエルに油を注げと言われました。

彼はのちにアラム、すなわちシリアの王となる人です。

彼は強い武力を持って、北イスラエルを破壊し、苦しめました。

エフーという人は、後に北イスラエルの王となった人で、一番長く王として君臨した人です。

彼は、アハブによるオムリ王朝を徹底的に裁いて、そこに属する者たちを殺害した人物です。

主は、アハブに対する裁きを外側から、また内側から起こして、その王朝を滅ぼすと告げたのです。

 しかし、こうした偶像礼拝の時代にあっても、偶像礼拝をしないで主に仕える者を、主は7000人も残して、主への信仰を守らせて下さると告げられました。

いつの時代にも、主に真実な信仰の人たちがいるのです。


マタイの福音書24章12~13節

2015年02月11日 07時25分25秒 | 聖書

★不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。

詩篇146篇1~5節
★ハレルヤ。私のたましいよ。主をほめたたえよ。
私の生きているかぎり、主をほめたたえよう。いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。
君主たちにたよってはならない。救いのない人間の子に。
霊が出て行くと、人はおのれの土に帰り、その日のうちに彼のもろもろの計画は滅びうせる。
幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。

■O:今日のコラム
2月10日の朝です。今日1日も主に期待して、主に賛美を捧げ、主の愛の中に生き続けていきましょう。耐え忍ぶ者になりましょう!愛が冷めていく時代だからです。

マタイ24章は、イエス様が、この世の最後の事を語られた大切な箇所です。読む一人一人に聖霊様が助け、聖霊様が語ってくださいますように。聖霊様の声を注意深く聴いていきましょう。


そして、今は、不法な世の中です。道理(物事の正しいすじみち。)・道義(人のふみ行うべき正しい道)に背くことが多くなっている時代です。愛が冷めていく時代です。というと、歴史的にいつの時代にもある出来事だと思います。何が本当に大事なのか分からなくなってしまいそうです。でも、大切な事は、いつでも、どんな時でも、主に信頼をするべきだということです。主の愛の中に生き続けることです。


愛が冷たくなることは、神様に対しての態度が冷たくなることだと思います。神様が「愛」だからです。神様を神様として認めないのです。それぞれの「良心」という自己判断があります。育ってきた環境で、様々な価値観をもちます。テストの点数も違います。業績も違います。同じ一つのモノを見ても、感じ方や捉え方が違います。だから、人間の力では、神様を正しく知ることはできません。そのことで、ますます神様を知ろうとする人と、そうでない人の差が生まれてしまいます。愛が冷たくなるのです。


しかし、イエス様が愛を教えてくださいました。いのちを捨てるほどの愛を示してくださいました。主の十字架の贖いの愛によって、僕らを天のお父さんと引き離す罪からの解決を与えてくださいました。十字架と復活により、聖霊様が僕らの内側に住んでくださることになりました。聖霊様は天のお父さんとイエス様の愛を教えてくださいます。聖霊様が神様だからです。


『4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
6 不正を喜ばずに真理を喜びます。
7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。』(第一コリント13:4~7)


天のお父さんが、イエス様が、聖霊様が愛です。愛がなければ、すべてを耐え忍ぶことはできません。だから、主に賛美するのです。ハレルヤと叫ぶのです。自分のたましいに宣言するのです。主をほめたたえよと。自分の生きているかぎり、主をほめたたえようと。いのちのあるかぎり、主なる神様に、ほめ歌を歌おうと宣言するのです。

僕らは、この世の君主たちにたよってはならない。救いのない人間の子に。僕らは、君主たちを祝福していくのです。人は、霊が出て行くと、人はおのれの土に帰り、その日のうちに彼のもろもろの計画は滅びうせる者だからです。

なんて幸いなことなんでしょうか。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は!主を熱烈に待ち望み、主に賛美していきましょう。


■A:考えてみよう
主を待ち望みましょう。主の愛を受け取る宣言をしましょう。詩篇146篇を宣言しましょう。愛の中に生き続けましょう。


■P:祈り


イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


2月10日(火)のつぶやき

2015年02月11日 02時11分24秒 | キリスト教