座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

ホームレスの人々には住居を保障すべき義務がある──静岡事件裁決の意義

2011年09月16日 21時06分12秒 | セーフティーネット
笹沼弘志(静岡大学)


1 事件の概要

 静岡県は、静岡市と浜松市で元野宿者の方たちが行った二つの行政不服審査請求に認容裁決を出しました。

 浜松の事件は、保護開始された3名の元野宿者(47歳から50歳)に対して3ヶ月以内にフルタイムの仕事を開始せよとの文書指示が出され、求職活動は行ったものの就労するには至らず、保護を廃止されたためその取消を求めたものです。県は、廃止処分の手続に不備があるとの理由で取消請求を認めましたが、浜松市が法定手続の重要性を認めず再度の廃止処分を行うという理解しがたい行動に出たため、改めて処分の取消を請求し、現在審査中です。

 静岡の事件は、野宿状態のまま生活保護申請を行った64歳のAさんに対して、生活保護を開始したものの、ホームレス状態であった期間については保護を支給せず、自力で住居を確保した日からのみ開始したことに対して、申請日から保護を行うように求めて行った不服審査請求です。これについては、審査庁静岡県知事が、11月25日、認容する裁決を出しました。

2 地方における野宿者への保護行政

 そもそもなぜこのような事件が起こったのか理解していただくためには、地方における野宿の実態や、野宿者に対する保護実施機関の対応の在り方をご説明しておいた方が良いでしょう。

 現在、静岡県の2大都市、浜松市と静岡市で野宿している人々は、厚生労働省がまとめた01年の概数調査結果では、浜松150、静岡70名となっていますが、実数はその倍以上にのぼると推測されます。職も収入も無く、住居も無いほど困窮した人々に対しては本来生活保護法により住居を含む最低生活保障が行われるべきですが、多くの保護実施機関では、野宿者に対して、65歳未満の場合には障害や傷病が無い限り保護しないとか、単に住居が無いという理由だけで申請を拒んだり、保護を行わなかったりという運用が慣例化してきました。その結果、全国に3万人以上といわれる野宿を強いられている人々が存在するのです。国は再三にわたり、たとえホームレスであっても保護の要件は一般の人々と同じであって、住居は保護の要件とは関係ないと指導を行ってきましたが、実際には多くの保護実施機関はこの国の指示にさえ違反し続けてきました。

 静岡、浜松両市とも、ボランティアによる野宿者の生活保護申請支援が行われる以前は、住居の無い限り申請もさせないという方針をとってきましたが、、現在では野宿状態のままでも申請を受理するようになっています。ただし、自力でアパートを借りるなど住居を確保しない限り、保護を実施しません。アパート賃貸契約には連帯保証人が必要とされる場合が普通ですが、頼れる人がいないからこそ野宿を強いられている人々が保証人を見つけるのは絶望的です。そのため保護を諦めさせられたり、住居を見つけられず保護申請を却下されてしまうこともあります。

 野宿者が運良くアパート契約にこぎつけたとしても、静岡市福祉事務所は申請日から遡及して保護を開始せず、「居宅」を確認した日からしか開始しないという対応をとり続けてきました(ただし、敷金礼金は一時扶助で支給されます)。浜松市は申請日から遡及して保護を行っているにもかかわらず、静岡市だけがこのような差別的処遇を行っているのはおかしいと何度も当事者や支援者が抗議し続けてきましたが、静岡市福祉事務所はかたくなに是正を拒んできました。そこで本年9月9日、元野宿者のAさんが申請日からの保護開始を求める行政不服審査請求を行ったのです。

3 静岡市福祉事務所の主張の問題点

 静岡市福祉事務所はAさんが申請日から要保護性を有することについては当初から認めていました。弁明書でも急迫性はないが資産も収入もなく、身内からの扶養も期待できないと要保護性を認めています。しかし、ただ一点、住居がないことを理由に申請日からの保護費の支給を拒否したのです。

 静岡市福祉事務所の主張は次の通りです。

ア、ホームレス状態のままでの保護は、法においては想定されていない。法第30条1項の規定に基づく居宅保護の原則に従い、かねてから居宅の確保に向ける努力を旨とする指導を行ってきた。

イ、居宅が確保された日をもって、生活困窮の事実を確認し得たため、保護の開始をしたのであり、当庁の処分について、何ら違法性、不当性がない。

 イ、については、居宅を確保した時点で生活困窮の事実が確認されたということが仮に事実であったとしても、申請日から困窮していたことを認めているのですから、申請日に遡及して実施しない理由にはなりません。

 ア、が法解釈を全く誤ったものであるのは、明らかです。居宅保護の原則について、生活保護法制定当時の厚生相社会局長、後厚生事務次官となった木村忠二郎は、個人の尊重と自由の保障という憲法上の大原則にのっとって要保護者が自己の住居に保護適用後も居住し続ける権利を保障し、施設収容主義を否定したものであるとはっきりと述べています。従って、居宅のない者に保護を与えないとの趣旨を規定したものではありません。(木村忠二郎『生活保護法の解説』時事通信社、1958年、236-237頁を参照)。住居がない要保護者に対しても保護実施機関は現在地保護を行う責任を有しており(19条1項2号)、住居のない要保護者に住宅扶助を現物給付する方法として宿所提供施設が設けられていることからいっても、住居がないことが保護の要件に欠けることになるわけではありません。

 ホームレス状態のまま保護を実施することが想定されていないというのは、ある意味で当然です。なぜなら、住居もない野宿状態は健康で文化的な最低限度の生活とはいえず、保護実施機関は住居の保障を行わねばならないからです。Aさんも、保護で家に住みたいと申請理由に書いており、保護実施機関には住居を確保すべき義務があるのです。

4 静岡県の裁決の意義と人権保障を求める動き

 裁決が、申請日からの保護開始を認めたのは当然ですが、より重要なのは、「保護を要する可能性が高いと認められる場合再度路上生活に戻すことはできないので、状況に応じ医療機関や宿所提供施設…等においてなんらかの保護等援助を図る必要があります」と保護実施機関には住居を確保する義務があるとはっきり認めた点です。これは、住居が無いという理由で保護申請を拒否したり、保護を実施してこなかった違法な行政の抜本的是正を迫る画期的な裁決と言えます。静岡市のように保護施設を設置していない多くの地方において住居を確保するには、施設入所以外の方法、アパートや公営住宅への入居をすすめざるを得ませんが、入居援助を行うべき責務があることを認めたものです。

 東京や大阪など大都市部では、ホームレスの人々については更生施設やシェルターなど施設への入所を経ない限りアパートへの入居を認めないという差別的運用を行っていますが、これが居宅保護の原則に反するのは明らかです。静岡など地方においては、ホームレスの人々であってもアパートへの入居を行うことが可能であるというだけでなく、施設入居を強いるよりも保護の目的をよりよく達成しうるという例証を積み上げています。静岡県の裁決は、大阪等のように、ホームレスの人々については施設入所を原則とするという考え方を取らず、一般的な住居確保義務を主張しており、この点においても非常に重要な意義を有するものであると言えます。大阪では、敷金の支給による居宅保護認められる地裁判決が、ようやく下されました。

 住居もないほど困窮した野宿者に対しては、生活保護法にだけでなく、国の運用指針にさえ違反する驚くほど差別的で違法な行政がまかり通ってきましたが、ホームレスの人々に安定した住居と雇用の保障を国や地方公共団体の責務として定めたホームレス自立支援特別措置法制定後の現在、もはやそのような違法は許されなくなったのだということを、静岡事件の裁決は示しているといえるでしょう。名古屋の林訴訟が突破口を開いて以来、野宿者の人権保障を求める争訟の流れは、もはや押しとどめることができなくなっているのです。

(総合社会福祉研究所『福祉のひろば』2003年1月号掲載)



新宿区ホームレス生活保護裁判の判決が延期になりました

2011年09月16日 20時48分36秒 | 予定・告知
 9月20日に予定されていた「新宿区ホームレス生活保護裁判」の判決期日が、
 急きょ、裁判所の都合により延期されました。

 判決期日は

 11月8日(火)16時30分 東京地裁103号法廷 です。

 お間違いのないようお願いいたします。



**********

新宿区ホームレス生活保護裁判、いよいよ判決


3年以上かかった「新宿区ホームレス生活保護裁判」がついに結審し、判決を迎えます。
ご注目ください。

◆新宿区ホームレス生活保護裁判(新宿七夕訴訟)◆

「ホームレス」 だと生活保護を受けられないの?
~アパートでごく普通に暮らす生活を求める裁判(東京)~

事件名:新宿区ホームレス生活保護裁判 (新宿七夕訴訟)
「ホームレス」 だと生活保護を受けられないの?
~アパートでごく普通に暮らす生活を求める裁判 (東京)~

係属裁判所:東京地方裁判所民事第2部

事件番号:平成20年(行ウ)415号
生活保護開始申請却下取消等請求事件
平成20年(行ク)146号
生活保護開始仮の義務付け申立事件

次回期日:11月8日(火) 午後4時30分~
       東京地裁103号法廷。
傍聴希望の方は直接法廷にお越し下さい。



【訴訟の概要】
1  当事者
原告:新宿区で野宿生活を余儀なくされていた58歳の男性
VS
被告:新宿区 (代表者 区長中山弘子)
2  提訴日 平成20年7月7日
3  請求の内容
(1) 生活保護開始申請に対する却下処分の取消し
(2) 生活保護開始決定の義務づけ及び生活保護費の支払い
(3) 仮の義務づけの申立て

【提訴までの経緯】
1 新宿区福祉事務所へ生活保護申請
原告は、野宿状態で困窮していたことから、本年6月2日に 「ホームレス総合相談ネットワーク」 の法律家、
支援者らとともに生活保護申請をしようと新宿区福祉事務所の窓口を訪れました。
ところが、相談員は、生活保護申請をする意思が明確である原告に対し、
執ように法外の制度である緊急一時保護センター等への入所をすすめ生活保護申請を直ちに受け付けようとはしませんでした。
原告は、自立支援センターではなくあくまで生活保護を申請し簡易宿泊所で待機後、アパート入居をめざす旨を支援者らとともに再三にわたり述べたところ、
ようやく申請が受理されました。

2 生活保護申請却下
しかしながら、新宿区福祉事務所は、申請は受けつけたものの 「急迫」 を理由とする職権保護は行わず、 そればかりでなく 「調査」
と称するさまざまな形での嫌がらせを原告に対し行ったあげく、 「稼働能力を活用していない」
という理由で生活保護申請を却下するという暴挙にでました。
新宿区福祉事務所が言う却下理由は、いずれも生活保護法に照らし理由のないものです。

3 訴え提起
原告についてみれば、生活保護の要件を満たすことは明らかであり、直ちに保護が開始されなければならないのですが、いまだ保護は開始されていません。
そこで、原告は、やむなく本訴を提起し、併せて 「仮の義務づけの申立て」 を行い緊急の保護を求めるに至りました。

4 板橋区福祉事務所では保護開始決定!
仮の義務付け申立ては、不当にも却下されてしまいましたが (現在即時抗告中)、板橋区福祉事務所は、8月25日、原告に対し生活保護を開始する決定を行いました。

【訴訟の経過】
2008年  7月 7日 提訴
8月13日 仮の義務づけ却下決定
9月10日 第1回口頭弁論
11月 5日 第2回口頭弁論
2009年  2月20日 第3回口頭弁論
5月12日 第4回口頭弁論
8月20日 第5回口頭弁論
11月12日 第6回口頭弁論
2010年  3月11日 第7回口頭弁論
6月 4日 第8回口頭弁論
9月22日 第9回口頭弁論
(証人尋問は証人の急病により延期)
11月24日 第10回口頭弁論(信木さんの証人尋問)
12月22日 第11回口頭弁論(長友さんの証人尋問)
2011年  1月28日 第12回口頭弁論 新宿区福祉事務所T氏の証人
尋問
3月 2日 第13回口頭弁論 原告本人尋問
6月21日 第14回口頭弁論 最終準備書面 陳述
11月8日 判決言い渡し

【次回期日の内容】
判決言い渡し

【訴訟の意義】
本件訴訟は、ホームレス状態を余儀なくされている人々に対し侮辱的、差別的な取扱いを行う新宿区福祉事務所の生活保護行政のあり方を問う訴訟です。

生活保護法は憲法25条に基づいて全ての生活困窮者に対し 「健康で文化的な最低限度の生活」 を保障することを行政に義務づけています。
にもかかわらず、多数のホームレス状態にある人が生活している新宿区において、
ホームレス状態にある人々への生活保護制度の適用を事実上排斥していることは由々しき事態です。

本件訴訟は、単に原告ひとりの生活保障を実現するにとどまらず、
背後に数万人はいるといわれる日本中の安定した住居を持たない人々への生存権保障のあり方を強く問うものでもあり、広く社会的意義を有するものと考えます。




◆私は海でしょうか、海の巨獣でしょうか、

2011年09月16日 20時44分59秒 | 聖書
あなたが私の上に見張りを置かれるとは。(ヨブ七・一二)

これは、ヨブが主に対してした奇妙な質問であった。彼は自分が全く無価値な者で、そのように厳重に見張られ、懲らしめられるに値しないと思った。そのように拘束されることが必要であるほど、手に負えない者ではないことを彼は望んだのである。この質問は、無理のないものである。しかし彼が願うような答えは得られそうもなかった。
人は海ではない。しかし海よりもさらにやっかいな存在である。海は従順にその境界線を守り、境界線が砂の帯にすぎなくても、その制限を越えることはない。海は力強いが、神の指図に従い、荒れ狂うあらしもみことばを守っている。月に対して従順であり、規則正しく満ち潮引き潮をくり返す。このように、能動的にも受動的にも海は従順である。しかし、人はいらだって境界を越え、義務を果たすべき時に眠り、活動的にならなければならない時は怠惰である。神の命令があっても、行くことも来ることもせず、してはいけないことをなし、しなければならないことを放任することを好む。
大洋の中の一滴一滴、水泡の一つ一つ、泡立つ波の起伏、一つ一つの貝がらや小石、これらはすべて自然界の法則の力を感じ、ただちにそれに従い、かつ動いている。ああ、私たちの性質が、この千分の一でも神のみこころに従うことができたなら! 私たちは言う! 海は気まぐれで、偽りが多いと。しかし海は不変である。私たちの父祖の時代から、否、それ以前の時代から海はその位置を変えず、同じ調子で同じ絶壁を洗っている。私たちは、海がどこにあるかを知っている。海はその床を離れず、その波の青も変わらない。だが人はどこにいるのか――愚かな気まぐれな人は。賢者であっても推測できようか。人が次の瞬間、どんな愚行によって不従順に誘惑されるかを。私たちは波立つ海よりも反抗的であり、見張りを必要とする。
主よ。あなたのご栄光のために、私たちを統べ治めてください。アーメン。


●外国人労働者と労災●

2011年09月16日 20時41分30秒 | 労働法
労働者が外国籍であったとしても、労災は当然に適用があります。問題は不法就労の場合です。不法就労の場合であっても労災は労災です。適用は免れません。労災保険による給付金には年金によるものと一時金によるものがあります。労災保険から年金が支給されるのは労災保険法上の障害等級7級以上の場合なので、療養のための休業が終了すれば、障害が残っても7級以上でなければ、一時金の支給のみで労災による給付は終了します。障害等級が8級より程度が軽い場合でも、今後の就労に影響があることは間違いありません。それを理由とする逸失利益を損害賠償として会社に請求した判例があります。不法就労であったため、今後3年間は日本での給料を基準に、その後は帰国後の母国での給料を基準に計算しています。つまり不法就労であるため、遅かれ早かれ国外退去となるから、日本での就労期間を3年と見積もったものです。

出エジプト記12章40-42節

2011年09月16日 06時52分23秒 | 聖書
12:42 この夜、主は彼らをエジプトの国から連れ出すために、寝ずの番をされた。この夜こそ、イスラエル人はすべて、代々にわたり、主のために寝ずの番をするのである。 パロが、イスラエルの民を強制的に、エジプトから出国するように命じたのは、夜でした。その夜に、イスラエルの民は、せわしくその準備を整えて、出たのでした。エジプトを出た時は、民がエジプトに滞在して、430年経った時であった、と言われています。 ここで聖書は、「主はこの夜寝ずの番をされた。」と語っています。それは、イスラエルの民をエジプトから出すために、多くの事々があった時に、それを見守って事をなして下さったと語っているのです。もちろん、主は霊であられますので、寝るなどということは必要がありません。しかし、この言葉を持って、主が非常な配慮を持って導いて下さったことを告げているのです。それから人々は、この夜は、主の為に代々寝ずの番をするようになったと語っています。主の配慮の業を記憶するためでした。イエス様が捕らえられたのも、過ぎ越しの祭りの日の、夜でした。感謝して、記憶すべき夜なのです。

◆いのちの種と土地

2011年09月16日 06時45分31秒 | 聖書
愚かな者に話しかけるな。
彼はあなたの思慮深いことばをさげすむからだ。(箴言二三9)

「猫に小判」「馬の耳に念仏」「豚に真珠」などと、動物たちには気の毒ですが、洋の東西を問わず、同じようなことばがあるものです。どんなにすばらしい知恵のことばや、いのちのことばの種がまかれても、受け入れる心の土壌が整えられていなければ、むだだというのです。
イエス・キリストは、有名な種まきのたとえの中で、こう話されました。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた……。」昔、イスラエルでは畑に畝を立てず、パアッパアッと種をばらまきました。ある種は、踏み固められた道端に落ち、たちまち鳥についばまれてしまいました。もちろん、芽は出ません。ある種は、土の少ない岩地に落ちて、すぐ芽が出ました。しかし根がないために、日に照らされてその芽は枯れてしまいました。ある種は、いばらの土地に落ちて生え、いばらにさえぎられて、ひょろひょろになり、実を結びませんでした。最後に、よく耕された土地に落ちた種は、生え育って、三十倍六十倍百倍の実を結んだという話です(マルコ四2―9参照)。
世の力や悪魔が土足で出入りしている心は、無関心な心というか、道端のようです。次に、すぐ熱しますが困難や迫害に会うと冷めてしまう心は、岩地のようです。また、いばらの地は、この世の心遣いと富のまどわしに邪魔されている心です。そして、深く耕された心は、掘り起こされ、くだかれた心です。柔らかにされて、神の種と雨と日の光を待ち望んでいます。神のいのちのことばが、こんな心に深くまかれるなら、やがて実を結ぶのです。


◆あなたがたが……神のご性質にあずかる者となるためです。

2011年09月16日 06時39分18秒 | 聖書
◆あなたがたが……神のご性質にあずかる者となるためです。(Ⅱペテロ一・四)

神のご性質にあずかるとは、もちろん神になることではない。そのようなことはあり得ない。神の本質は、被造物の関与できないものである。被造物と創造者の間には、絶えず本質的な深淵が横たわっている。しかし最初のアダムが神のかたちにかたどって造られたように、私たちも聖霊によって生まれ変わることにより、いっそう尊い意味において、いと高き方のかたちに似、神のご性質にあずかる者となる。私たちは恵みにより、神に似たものとされる。
「神は愛です。」私たちもまた愛とされる。「愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。」神は真理である。私たちもまた真実な者となり、真理を愛するに至る。神は善である。そして神は恵みによって私たちを善なる者とし、私たちを清い者とせられ、神を見ることを得させられる。
しかしこれよりさらに高い意味において、私たちは神の性質にあずかる者となる。それは、絶対に神のようになり得ない私たちにとって、考え得る最高の意味においてである。私たちはキリストの神たるご人格の肢体となるではないか。かしらを流れるのと同じ血が手にも流れ、キリストを生かすのと同じいのちがその民をも生かす。「あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてある」のである。否、これだけではまだ十分でないかのように、私たちは主と結婚する。主は義と真実をもって私たちと婚約された。そして主につく者は主と一つの霊になる。
なんという驚くべき恵み! いったいだれがそれを会得できよう。イエスと一体になる――枝がぶどうの幹につながって一体となる以上に、私たちは主の一部分となる。これを私たちは喜び、さらにこう心に銘記しようではないか。神の性質にあずかる者は、人との交際の中に、いと高き聖なる方との関係を表し、日々の歩みと会話の中に、肉の世の腐敗から逃れ出た者であることを明らかにすべきである、と。
ああ、さらに聖い生活を望みたい。