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◆いのちの種と土地

2011年09月16日 06時45分31秒 | 聖書
愚かな者に話しかけるな。
彼はあなたの思慮深いことばをさげすむからだ。(箴言二三9)

「猫に小判」「馬の耳に念仏」「豚に真珠」などと、動物たちには気の毒ですが、洋の東西を問わず、同じようなことばがあるものです。どんなにすばらしい知恵のことばや、いのちのことばの種がまかれても、受け入れる心の土壌が整えられていなければ、むだだというのです。
イエス・キリストは、有名な種まきのたとえの中で、こう話されました。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた……。」昔、イスラエルでは畑に畝を立てず、パアッパアッと種をばらまきました。ある種は、踏み固められた道端に落ち、たちまち鳥についばまれてしまいました。もちろん、芽は出ません。ある種は、土の少ない岩地に落ちて、すぐ芽が出ました。しかし根がないために、日に照らされてその芽は枯れてしまいました。ある種は、いばらの土地に落ちて生え、いばらにさえぎられて、ひょろひょろになり、実を結びませんでした。最後に、よく耕された土地に落ちた種は、生え育って、三十倍六十倍百倍の実を結んだという話です(マルコ四2―9参照)。
世の力や悪魔が土足で出入りしている心は、無関心な心というか、道端のようです。次に、すぐ熱しますが困難や迫害に会うと冷めてしまう心は、岩地のようです。また、いばらの地は、この世の心遣いと富のまどわしに邪魔されている心です。そして、深く耕された心は、掘り起こされ、くだかれた心です。柔らかにされて、神の種と雨と日の光を待ち望んでいます。神のいのちのことばが、こんな心に深くまかれるなら、やがて実を結ぶのです。


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