春になって羽化するのを心待ちにしていた越冬蛹、それが年末に確認したら1体は既に羽化して飛び去っている。年が明けてから写真をS先生に観て頂いたら「数多くの蛹の中からは時期を失して羽化する個体も出て来る」との事だった。孵化や羽化等々、生物の営みの中はランダムな部分があり、これが生存戦略の一画を成す、とも言われるけれど、さすがに吸蜜する花も途絶えた師走では低温も相まって生存はおぼつかないだろう。それはともかく冬の間に羽化するなんて青天の霹靂、でもあるけれど小生自身は低年金のボロボロ、とは言え元旦の霹靂に晒された人々に比べればうらぶれなぞ蚊の屁のようなものである。
さて小生だけでなく、低年金高齢者の範疇に入ってしまえば「来る」のはご来迎の阿弥陀三尊様以外は無く、他は全て「去る」ものばかりが現実である。「この世の朝 早も過ぎて 黄昏る頃となれば・・・」と歌い出すフォスターの民謡にある主人公には愛犬が寄ってくるけれど孤爺に寄るのはアブや蚊、蚋などが主な物であって、時折はオオスズメバチが睨みを効かせて「プイ!」と行ってしまうのが通例である。安心して越冬できるように苦心して設えた保護器から挨拶もせず飛び去ってしまうアゲハにとってはきっと「どうしても嫌だ」だった場所だったかも知れない。民話にもたくさんある「決して姿を見ないでください…」その類いなのである。
ちなみに羽化した種はナガサキアゲハで右側がカラスアゲハ、左側がモンキアゲハだ。上側左からキアゲハ、カラスアゲハ、モンキアゲハ、中段モンキアゲハとなる。モンキアゲハとカラスアゲハの蛹に茶色と緑色がある事になる。端的に言えば小生には種の違いは判らない。記憶にあるのは「背中が直角に反り返っているのが・・・」どっちだっけ⁉。実物では「なるほど!」と思えたのだが写真では判然としないし、わざわざ寒風の庭に出て確認する手間はしない。